ブゥゥ!ブゥゥ!
我が休日のみ訪れる安息の時間を邪魔するとは、八つ裂きにしてくれようか。誰だよ・・・と文句を言いながらベッドから身を起こした。
日曜日。
沙梨のボディプレスがない為に、昼前まで寝ていた。
俺の睡眠を邪魔する携帯の振動。
数秒間沈黙。
その間も着信を知らせる振動は鳴り止まない。
『・・・休養中です』
そう呟いて布団にくるまる。
『拓、まだ寝てるの?』
深雪が部屋に入ってきた。俺は黙殺した。
『拓、携帯鳴ってるよ?』
『・・・誰?』
『もう、起きてるなら自分で見なよ』と、深雪は俺の携帯を見た。
『坊主・・・って、誰だっけ?』
『あぁ、テルか・・・テル!?』
俺は慌てて携帯に出た。
『もしもし!?』
『ばぁか!マジ、チャリ通勤してみろよ!?鬼辛いわ!』
いきなりあの日を思い出させる一言を放つテル。
『あ、まだ免停なの?』
『マジ最悪だよ!』
そう、テルはあの日捕まり、免許再取得が不可能の状態に居た。
『あはは!一生チャリ乗ってろよ!で、何?どうした?』
『車貸して?』
『・・・』
黙殺しながら通話を切った。
二秒後に再び掛かってきた。
『おい!何で切るんだよ!』
『馬鹿な事言うな!反省の色ゼロじゃねぇか!』
『毎日十km、往復二十kmをチャリで通勤!
これが罰じゃないなら、何が罰だって言うんだよ!』
『今のお前ほど自業自得って言葉が似合う人間は居ないだろうな』
『酷いな。鬼だな』
『クソが付帯する程正論だろ!』
『小野さんマジ・・・あんた悪魔だ』
『あぁ、鬼でも悪魔でも好きに呼べよ』
携帯を切った。
今度は掛かってこなかった。
深雪はケラケラと笑っていた。
どうやらテルの声が筒抜けだったらしい。
『マジ・・・あの馬鹿』
『坊主って、昔眼鏡かけてた人だっけ?』
『そうそう。マジ救えないよあいつ。昔はあんな奴じゃなかったのになぁ。
さてと』
俺は再び布団にくるまった。
『ちょっと!』
深雪が俺の腹部付近を布団の上から叩いた。
『何だよ?』
『せっかくの日曜日だよ?こんな晴れてるのに、布団にくるまったまま?』
『俺は疲れてるの』
『私も疲れてる!けど、出掛けたいの!』
『嫌だ』
『どうして』
『面倒』
『じゃ、離婚する?』
バッ!と、俺は慌てて布団から飛び出た。
そこには悪戯の表情を見せる深雪がいた。
『馬鹿かお前。そういう事冗談でも言うなよな』
『あはは!マジうける!超焦ってたし!』
そりゃあ、普通焦るだろ。
実は、二人とも疲れているのは仕事のせいではなかった。
夜遅くまで、図書館で借りてきた書物を読破していた。
二人とも医学に対して、素人よりかは知識を持てた気がした。
しかし、疑いをかける、【モルキオ病】ばかりは俺達の判断で見極める事が出来る病ではなかった。
近々、立浪さんから紹介された病院に診せに行こうと考えているが・・・。
その行為にも、一踏張り歯を食い縛る必要性があった。
そして、沙梨に渡された手紙と、恐らく沙梨の本当の親父であろうあの男。
そう考えると、こうやって部屋に引き篭もるより、外に出た方が事が動くのかもしれない。
況してや、今、この場をどこからか監視されているかもしれない。
『出掛けるにもよ、飯食い程度だろ?とりあえず、図書館にこの知の塊返してきてからだな』
『うん、そうだね!』
深雪は単純に出掛ける事に対して喜んでいた。
出掛ける支度をさっさと済ませ、下の階に向かった。
『じぃ!行くよ!』
ドス!・・・沙梨が俺の股間に猛スピードで体当たりしてきたものだから、
俺はもう蹲るしかなかった。
深雪がその様子を見てケラケラと笑っていた。本当の親子のようだった。

『なぁ、このままあの子をあの二人に託さないか?もう、俺達が出られる状態じゃないよ』
男は女にそう告げた。
女は泣きながら首を横に振る。
口元を手で押さえながら、
『それは嫌よ....捨てたわけじゃないのよ』
『けど、俺達はもうあの子の両親になれる権利もないような気がするんだよ』二人の姿は他の人が見れば一目で分かるくらい、沈んでいた。
小野夫婦が抱える沙梨の実の両親である。

-沙梨の実親の話(沙梨の生誕話)-

喫茶店で話す二人は酷く沈んでいた。
我が子を育てる事を放棄して、他の夫婦に子育てを任せている事実。
しかし、決して簡単な理由で子育てを放棄したわけではない。
もし、体調を崩し病院に診察を受けに行き、診察の結果が、【未知の病】と診断されたらどう受け止める?
まさに・・・まさに沙梨はその類に属していたのだ。
発展途上国であるとか、先進国であるとか、そういう問題ではなく、地球上に存在しなかった病。
地球上でただ一人、その病に選ばれてしまった沙梨。
つまり、病名も決まっていないのだ。
沙梨が生誕したのは、三年前、十二月十九日。
すでに、病に冒されていた。
生誕直後、沙梨は他の赤ん坊とは明らかに違う成長を見せた。
身体の成長速度は至って普通なのだが、脳の成長は計り知れなかった。
勿論、言葉は話せない。
しかし、明らかに意識して答えを出そうとしていた。
やがて、沙梨の実の父は喜びを噛み締めた。
そう・・・
【我が子は稀に見る天才】と。
沙梨が産まれ、一年の月日が過ぎた。
両親でさえ知らぬ事実・・・
沙梨の脳はこの時すでに、高水準に位置する高等学校レベルの知識を記憶していた。
簡単なゲーム。
一種の遊戯にさえ、その偉才は現れた。
円周率。
まだ、言葉の発音がしっかりしていない為、玩具で答えを示した。
一から九の数が書かれたボード式の玩具に指を差していったのだ。
三.一四から始まり・・・終わりはない。
沙梨の父が止めるまで、沙梨は円周率を、【正確】に当てていった。
否、当の本人に当てているという感覚はない。
脳の隅に記憶した数値を、順番に指差しているだけだ。
沙梨の母はこの時、少なからず寒気を感じていた。
しかし、父の期待通り沙梨の脳は恐ろしい速度で成長した。
この時の事を沙梨の母は後悔していた。
あの時、あの時に自分自身を襲った寒気を素直に言えば・・・
もしかしたらこのような結末にはならなかったかもしれない。
転機は沙梨が産まれてから二年の月日が過ぎようとした頃だった。
【わからない】
言葉を発し出すようになった沙梨は、口癖のように言った。
『わからない』
父は目を真ん丸にした。
この天才児にも分からない事があるのかと。
『何が分からないんだい?』
父は問う。
『あのね・・・愛って・・・何?』
『!』
一年前から認識していたであろう言葉を、沙梨は不器用な仕草で言った。
父は笑いながら、
『まだお前には分からないかもな。けど、その内分かるさ。
何せお前が』
『わからない!』
沙梨は父の言葉を遮り、怒鳴った。
そして、泣き出した。
父は沙梨を宥めようとするが、父の手を叩き落とし、沙梨は号泣した。
この頃から、沙梨の発する言葉は全て質問化とした。
最初の内は深く考えていなかった父親。
しかし・・・沙梨の中に潜んでいた病がこの頃に発病した。
『わからないよ。何?エンシュウリツ?』
沙梨は、三から始まる円周率が分からなくなっていた。
『昔は出来てたじゃないか?どうしたんだろうな』と、父は母に話した。
『それに、最近何でも分からないって・・・どうしたんだろう』
つまり、率直に言うならば沙梨の脳はこの時すでに、【死】に向かっていたのだ。
【地球上の、ありとあらゆる全ての知識を約七百日の内に脳に貯えてしまい、脳がパンク状態に】
ざっくばらんに言い換えるとこのような病気だった。
約二年の内にこの世の知識を全て理解した沙梨の脳は、限界を察しパンクしたのだった。
ここからは単純に知識を忘れていくだけの脳と化した。
勿論、沙梨の変化を察した両親は病院に向かった。
しかし、地球上の医学には存在しない病、そう診断され突き放された。
沙梨の両親は奈落の底に落ちた。
それでも沙梨は言うのだ。
『パパ。【パパ】って、何?ママは知ってる?あ!あとね、【ママ】は何?』両親の中で何かがプツリと切れた。
【こんな子さえ産まれてこなければ。
至って普通の、近所の子供達と何一つ変わらない子が産まれてくれればよかったのに】
これは、言葉にはしていないが、沙梨の両親どちらとも脳裏を過った真実の言葉。
夫婦お互いにその言葉を塞ぎながら、沙梨生誕から三年弱の月日が流れた。
沙梨の母は泣きながら言った。
『私には育てていく自信がない!』
その日、沙梨は捨てられた。
二月の寒い夜。
沙梨は一人、大きな駐車場の片隅で星を見ながら・・・泣いた。
これ以上出ないくらいの、大きな大きな声で、泣き続けた。
パパは?ママは?
全能の知識を持っていた頃の脳が沙梨に語り掛けた。
【愛がないから一人なんだ】
母に渡された手紙に興味を持つ事はなかった。
くしゃくしゃになるまで握り締め、泣き続けた。
やがて、自分の存在に気付く二人の人間が現れた。
沙梨にそっと近寄り、男が言う。
『おい、母ちゃんはどうした?迷子か?』
これが・・・これが新しいパパ(拓也)とママ(深雪)との出会いだった。



私はどうすれば捨てられないの?