目が合わないように気をつけながら、今日もそっと彼の手元を覗き見る。

あれは私の好きな作家の処女作だ。

同じ本を読むということは、同じ世界を共有することに等しいと思う。

ちょっと陳腐な会話も、解説じみたモノローグも、ここぞという時に絶妙に訪れるユーモアも、私は経験している。

まあ楽しむがよい、だなんて勝手に先輩ぶりながら、満足して自分の読書に戻る。

彼のことは、その見た目から分かる分にしか知らない。

私と同じで、どうやら手当り次第に本を読んでいること、読書のときには眼鏡をすること、近所にある県で一番の進学校の生徒であること。

そういえばあの学校の図書室は、私の永遠の憧れである円形閲覧室の構造をしているらしい。羨ましい限りだ。

なのに、どうしてわざわざここに来るのだろう。



いけない、いけない。読書を中断しすぎた。



最近はこんなことが多い。

意識がほとんど半分、目の前の名前も知らない彼に持って行かれているような。



慌てて自分の手元に目線を落とすと、田舎娘が気障な男にあられもない罵詈雑言を吐いている。あまりの酷さと不意打ちで、思わず小さく吹き出した。

本に引き込まれるタイミングは人それぞれだが、私の場合はどうもこの場面だったらしい。勢い良く読み進めて、物語が小綺麗な収束を迎えたときには、もう彼は立ち上がろうとしていた。

私よりも一歩後に来て、一歩先に帰る。いつものことだ。



いつか声をかけることがあったなら、なんと言うだろう。

今はただ、彼がいつもそこにいるというだけで。

よく会う人、でしかないのだけれど。