彼女が持っている本のページが、水の中を泳ぐように緩やかな動きを始めていた。

このままではページがめくれて、どこまで読んでいたか分からなくなってしまうだろう。

常識的に考えて何もする必要などないのに、僕は思わず鞄の中に手を突っ込んでいた。

確か、この辺りにあったはず。指先で、つるつるとしたラミネートで覆われた薄っぺらい紙片を摘み出す。

先月の誕生日に友人からもらったシンプルな栞だ。もらってすぐに鞄にしまったのでよく見ていないが、確か無地の萌葱色の色紙に薄紅色の紐を通しただけのつくりだった。粗末ではあるが逆を言えばどんな場合においても失敗しない代物だ。

そんなことを考えていたのもつかの間、栞を裏返したら雑な字で書かれた友人の直筆サインが目に入った。




どう考えても大失敗だ。




どうして僕の友人は阿呆しかいないのだろうか。しかもこの字の汚さ。これだから、センター模試では上位なのに筆記では揮わないのではないか。

そうこうしている内に、彼女が読み進めた軌跡は無に帰されようとしていた。



次の瞬間、音一つ立てずにサイン入り栞は僅かにアルファベットの羅列を反射しながらページの間に挟み込まれた。



それから僕がどうしたかというと、自分の本と鞄を取り上げて手練の万引き犯の如くその場を速やかに立ち去ったのだ。

本を悠長に取った場所へ戻している場合でもなく、返却図書が積まれたワゴンにそれを滑り込ませる。


眼鏡を外しながら、足早に出口を抜ける。雨の音が強くなった。


ああ、こんな日には全てを雨のせいにしてもよいのではないだろうか。
やはり、今日起きなければよかったと僕は後悔した。