奏様は今頃、先程の文を持って離れに住む母君の元へと相談しに行っている頃だろう。

奏様の父上様がご病気で亡くなってからと言うもの、すっかり元気を無くした母上様は侍女を数名連れて離れで静かに暮らしている。

城内にはあちこちに2人の思い出があるので、そこに留まっているのが辛いとの理由だった。

そんな母上様の元に、時折奏様は足を運んでいる。母上様もまた、そんな奏様を受け入れ、戦乱の世とは思えぬ程に暖かい家族愛を築いているのだ。




…そう、戦乱の世と思えぬ程に。





『…お呼びでしょうか。』

室内に、流の声が響く。

『…近江が、山城を制圧したそうだ。河内と伊賀の状況は未だ分からないが、その手は伊勢まで伸びているらしい。同盟国として、軍を送ろうと思うのだが…』

『…かしこまりました。その援軍は、私が先導致しましょう。』

『助かる。恐らく近江は周りを固め、最後に大和を…この国を制圧しようとしているのだろう。だが…そうはさせない。』

『噂によると、近江の将軍は非常に意地汚く、冷酷で非道…ついでに見た目も野豚の様だと巷では有名な様ですね。そんな汚い国に、奏様率いるこの国が…敗れる訳がありません。』

珍しく流が、強い口調で賛同を示す。

『…奏様のお父上には、幼い頃から大変お世話になりました。そのご恩を今、返す時だと思っております。』

奏様の父上…そう、去年病気でお亡くなりになったかつての将軍は、とても温かい人だった。



いつも強く、気高く、そして子供には人一倍優しい、皆に慕われ愛される将軍。

そんな将軍に、流の存在は度々聞かされていた。



流は古くから付き合いのある友人の子供で、運動神経が抜群。頭の回転が早く、幼い子と思えぬくらいに冷静沈着だ、と。

そんな流に初めて会ったのは、将軍が亡くなられた後だった。

詳しくは聞いていないが、今は身寄りも無く、行くアテがないと言う。

正直疑わしい部分もあったが、大喜びで奏様が迎え入れた為、そのまま諜報部隊の1人して採用する運びとなった。




『…しかし、問題もある。伊勢に援軍を出せば、我が国の守りが手薄になる。そこを狙って攻め入られたら…』



近江がどう出てくるか。
伊勢への進軍が大掛かりな陽動ならば、慎重に事を運ばなければいけない。

大和の国の軍は、ここ最近だけでもかなり強化されている。しかし、援軍に狩り出せばそれなりに自国の負担は大きい筈だ。


『…そうなったら、私が近江の国に《蛍火の術》をかけましょう。』


『蛍火の術?』


聞き慣れない言葉だった。


『私が近江の国に侵入し、武将宛に「内部情報提供の礼」と書いた文を届けるフリをするのです。そして、道中でわざと捕まる。当然内部は、武将が敵陣に情報を漏らしていたのかと混乱し、一時的に足が止まるでしょう。その間に伊勢の援軍が戻って来れば、大和の国を守れます。』



『…お前は?文を届けたら、どうなる?』



『…当然、敵地に監禁されるでしょうね。でも、武将の不祥事となれば大事な証人を簡単に殺すことは出来ない。中にはここぞとばかりに武将を蹴落とそうとする輩も沸いて出る筈ですから。』


その間に適当に逃げますよ、と言って流は目を細めた。小さく笑っているのか、あまり表情が読めない。


『…そうだな。その案は良さそうだ。お前が裏切りさえしなければ、な?』


いつもの皮肉のつもりで、そう返した。



『…その時は、貴方がその刀で俺を殺して下さい。』



不意に真面目な声色が響く。



『貴方なら出来るでしょう。何の躊躇いもなく、俺を。』


あまりに真っ直ぐ己を見る相手に、同じ様に視線を返す。


『…それは、裏切るって意味か?』


『ご冗談を。奏様や…かつての旦那様を裏切るなんて、死んでも出来ませんよ。』



『…そうだろうな。』


流のさも当然、といった態度の答えにからかわれたのだと自覚する。



『まあ…もしお前が裏切ったら、迷うこと無く殺してやるよ。お望み通りに、な。』



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