『おおっ…この木炭のような黒さ、そして両腕にずしっとくるこの重さ…これが本物の焙烙玉…!』
『左様で御座います。』
『この紐の先に火を点けたら、ドーーーンとなってパーーーンってなるんやな!』
『左様で御座います。』
『えぇなー…凄いわー…こんなん使いこなすなんて、やっぱり忍者は無敵やな。最強やと思うわ!』
『左様で『奏様。』
障子一枚隔てた向こう側。
楽し気に会話をする己の主と、それに付き合う相手の淡々とした一辺倒の返事に僅かな苛立ちを覚えながら、半ば無理矢理自分の声をそこに重ねた。
いつか誰かが断ち切らなければ、こんな遣り取りが延々と繰り返されるからだ。
『ん?葵?丁度良かったー!見てこれ、
焙烙玉!』
己の呼び掛けを聞いたであろう数秒後、畳を小走りに歩む音が徐々に近付き、そして勢い良く目の前の障子が開かれる。
『めっっっっちゃ格好良いと思わへん⁉︎』
『…奏様、御返事を頂ければ私が障子を開けます故。』
『そんなんどっちが開けてもえぇやんー。今は一早く、葵にコレを見せたかったし!ね、見て!焙烙玉!』
振る舞いに対して微塵も反省をした様子を見せない侭、己の主は目を輝かせながら片手に乗せた黒色の爆薬を差し出した。
『…此の品はどちらから?』
『流が持って来てくれたんやー。前々から見たいって言ってたからって。な?流。』
そう言いながら、奏様が後ろを振り返る。其処に佇むのは、奏様専任とも言える隠密・桐鞘流(キリサヤ ナガレ)。
頭部と目元を除いては黒い布で覆い尽くし、切れ長の目元からは一片の感情も読み取れない。
時折奏様の執務室へと姿を現すものの、その行動には未だ読めぬ意図が有る気がして、警戒せざるを得ない相手だ。
『…奏様。万が一にでも此れが爆発したら如何するおつもりですか。』
注意を促しながら、視線は流へと向ける。
『大丈夫やって!火が点いてる訳じゃないし。』
『…もし、火が点いていたら?』
そんな自分の言葉にも、流から動揺の色は伺えない。此処で反論の一つでもすれば、少しは可愛げも有ると言うのに。
『そんな事、ある訳ないやんー。流が持って来てくれたんやで?』
全面的に人間というものを信用し、疑うと言う事を知らない。
世の中に性善説を説く人間は山程存在するであろうが、彼ほどそれを無意識の内に実践し、一国の主として君臨した人間は恐らく他に居ないだろう。
(…人が一番恐ろしい。)
何度この言葉を心の中で繰り返したか分からない。
何度、醜い人間から放たれる「毒」に冒され、苦しんだか分からない。
『葵は心配性だから、たまには肩の力を抜いてゆっくりした方がえぇでー?』
此の人には、奏様だけには、そんな思いをさせてはいけない。
そんな思いが、益々得体の知れぬ隠密への不信感を募らせる。
…しかし。
《ご報告申し上げます!先程、伊勢の軍と見られる者が我が大和国に侵入致しました!全員が武装、恐らく奇襲を仕掛けたものと見られます…が、直ぐに桐鞘流の手により制圧された模様です!》
つい先刻、そんな報告を受けたばかりだった。
諜報活動を主とする隠密は、本来戦闘へは余り出向かない。
しかし桐鞘流という男は、諜報活動をしている中で奏様に危険を及ぼす可能性が有ると知ると、自らが先陣を切ってその場に出向き制圧する。
そして其れを、奏様には決して知らせないのだ。
…何を考えているのか分からない。感情も、動きも読めない男。
しかし、容易く此の国から切り捨てて良い相手ではない。其れだけは、本能で確信していた。
『…奏様、明朝は早くから帝王学を読み解かねばなりません。今日はもうお休み下さい。』
『えー…。折角生の焙烙玉を見られたって言うのに、もう寝なアカンなんて…』
『奏様。』
『ちぇー…じゃあ、この感動の余韻は夢の中で楽しむ事にするわ。流もありがとうな…って、あれ?』
一瞬不満げな顔を浮かべるも、すぐに気持ちを切り替えた様子で背後に居る流を振り返る。
しかし其処には月明かりが漏れる窓が有るのみで、先程まで佇んでいた黒衣の隠密の姿は既になかった。
『わぁ…やっぱり忍者って凄いわ!真似出来へん!』
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