「稲生冬樹サン?」
暫く見つめていたからか、カレが名前を呼んだ。
「その名前はッ…!」
稲生。
物心つく頃には亡くなっていた、両親の名字。
親戚は周りに養子だと言いながらも、彼の名字を自分と同じ名字に買える気はなかったから、彼は両親の名字なのだ。
だけど、今は稲生じゃない。
今は妻の名字―――中岡、だ。
バイト先では、店長の計らいで、店員は全員偽名を使っていた。
その後今の妻と出会い、中岡へ名字を変えたから。
彼の名前が稲生だと知っているのは、限られる。
「今は結婚したからか、中岡になりましたね。
でも、僕らが出会ったころ、アナタは稲生と名乗っていた」
「お前ッ…!?」
この紳士のような穏やかな話し方だけど、何を考えているかわからない、不気味で気味の悪い笑顔も声も。
聞き覚えがある。
こんな声をする奴、俺は1人しか知らない。
彼―――稲生冬樹は、声を震わせながら、彼の名を呼んだ。
「若王子貴魅
(わかおうじ・きみ)―――……」