むかしむかし、あるところに若い夫婦がおりました。
美しい妻と、心優しい夫は周囲から羨望の眼差しで見られるほど理想的な夫婦でした。
そんなある日、夫婦は女の赤ん坊を授かりました。
二人はその赤ん坊に「シンデレラ」と名付け、大切に大切に育てました。
数年が経ち、シンデレラは美しく、心優しい少女に成長します。
誰が見ても、幸せな家族でした。
ですが、シンデレラが十三歳になった頃でしょうか。
シンデレラの母の体調がどんどん悪くなっていったのです。
そして一年も経たない内に、彼女は静かに息を引き取りました。
死因は、近頃流行していた感染病でした。
泣き崩れ、食事もままならなくなったシンデレラを見るたび、父の心は酷く痛みました。
……それと同時に、父の中にある一つの感情が浮かんできたのです。
それはまさしく「憎悪」でした。
自分が愛した妻がもうこの世にいないことを知りながら、目の前にいる妻と同じ顔をした娘を育てることは彼にとっては苦痛でしかありませんでした。
だから、彼はシンデレラに冷たく当たったのです。
シンデレラの母親がこの世を去って三年が経った頃、父は新しく妻を娶ることに決めました。
そう。
この先の展開を、まだ誰も知らなかったのですから。
唯一、シンデレラを除いては――――――
父親が娶ったのは、美しくもどこか妖しい雰囲気を醸し出している女性でした。
二人の美しい娘たちと家にやって来たのです。
「ようこそ、我が家へ」
父親が継母に笑顔で言うと、継母は満足そうに笑いました。
「本当にこんな立派な家に住んでもよろしくて?」
「勿論だよ。部屋だって沢山あるから、ドリゼラやアナスタシアも気に入るはずさ」
「まあ、娘たちのことまで気を配ってくれるなんてお優しいのね」
仲睦まじく談笑していると、不意に義姉の一人のドリゼラが口を開きました。
「ねえお父様、シンデレラはどこにいるの?」
その言葉を聞いた途端、父親の目つきが鋭くなりました。
「シンデレラ……?ああ、部屋にいるよ」
「折角家族が揃ったんだから、シンデレラも降りてくるように言ってよ」
今度はアナスタシアが口を開きました。
義姉は二人とも、父親の変化に気付いていないようです。
「あなた、娘たちもこう言ってるのだから、呼んであげたほうがよろしいんじゃなくて?」
継母がそう言うと、父親は困ったように笑い、二階に上がって行きました。
「シンデレラ」
父親の冷たい声が廊下に響きました。
「何でしょうか……お父様」
部屋から聞こえてくる小さな声。間違いなくシンデレラの声です。
「新しい家族がお前に会いたがっている。早く降りてこい」
「分かり、ました」
それだけ言うと、父親は踵を返して階段を降りて行きました。
自分の部屋でシンデレラは写真を見ていました。
数年前、家族三人で撮った写真です。
どこから歯車が狂ってしまったのでしょう?
シンデレラは服の袖をぎゅっと握り締め、扉へ向かいました。
「お母様……私は、悪い子なのですか……?」
ぽつりと呟いた言葉は、静寂によって掻き消されてしまいました。
ゆっくりとシンデレラが階段を降りて行くと、そこにいたのは見たこともない女性と、年の近そうな二人の少女でした。
継母はシンデレラを見て息を詰まらせました。
それもそのはずです。
継母にとって、シンデレラは今までに見たことがないほど美しかったのですから。
二人の義姉も同じでした。
「紹介するよ、“これ”が私の娘のシンデレラだ」
「初め、まして」
シンデレラが軽く一礼すると、何かを察した継母はニヤリと笑いました。
「初めまして、今日から貴方の母親になるレイチェルよ。これからよろしく。それから――」
「私が姉のドリゼラよ、でこっちがアナスタシア。よろしくね!」
「貴方の髪凄く綺麗!!何か特別なお手入れでもしているの?」
継母に割り込むような形で話しかけてきた義姉に戸惑いつつも、シンデレラは微笑みました。
「よろしくお願いします、ドリゼラお姉様、アナスタシアお姉様。髪は特別な手入れはしていませんの」
シンデレラがそう言うと、父親が一つ咳払いをしました。
「……シンデレラ、夕食の支度は出来たのか」
「あっ、ま、まだ……です……」
「急いで作ってきなさい」
「分かりましたお父様……」
シンデレラが厨房へ走って行った後、継母が口を開きました。
「あの子はいつも夕食を作っているの?」
「ああ。夕食だけじゃなく、掃除、洗濯……家事全てを任しているよ」
「あら凄い。ドリゼラとアナスタシアも見習わなければね?」
そこまで言って、継母は妖しく笑いました。
「とっても偉いシンデレラを――――――」
一方、シンデレラは夕食の盛り付けをしていました。
生前に母親が残してくれたレシピを見て、一生懸命に料理を作っています。
と、そこに継母がやって来ました。
「一人で家事をこなすなんて偉いわねえ、シンデレラ」
微笑んでいる継母を見て、シンデレラは引きつった笑みを返しました。
「あ、ありがとうございます」
「あら、そこにあるノートはなに?」
継母が指差したのは、レシピが書かれたノートでした。
「あ……生前、母が残してくれたものなんです。私、掃除や洗濯は出来るんですけど、料理が得意じゃなくて……だから、こうやってレシピを見ながら料理を作っているんです」
はにかんだシンデレラを見て、眉間に皺を寄せた継母はすぐに顔を笑顔にしました。
「お母様を本当に愛していたのね」
その言葉を聞いて、顔を緩ませたシンデレラでしたが、継母の呟きを聞きのがしませんでした。
「とっくに死んだ者なのに……可哀想な子」
シンデレラは唇を噛み、俯いてしまいました。
継母はそれだけ言うと後ろを向き、足早に厨房を去って行きました。
……この時、シンデレラをよく見ていたら、未来は変わったのかもしれません。
シンデレラは継母がいなくなったことを確かめると、ポケットから小さな小瓶を取り出しました。中には液体が入っており、小さく波打っています。
シンデレラはその液体を数滴、スープの中に垂らしました。
シンデレラは小さく微笑み、こう呟きました。
「これでやっと、解放される――――――」
「夕食の準備が出来ました、どうぞこちらへ……」
シンデレラがリビングで談笑している父親たちにそう告げました。
食堂に行くと、そこには四人分の夕食が置かれていました。
「四人分?一人少ないんじゃないの?」
アナスタシアがニヤニヤと笑いました。
継母に入れ知恵をされたのか、アナスタシアは理由を知っているようでした。
「アナスタシア、これで全員分なんだよ。シンデレラは食が細くてね、食事はスープとパンだけで十分なんだ。私たちが食事をしている間にもこの子には仕事があるから、私たちと一緒には食べないんだよ」
父親がアナスタシアの肩に手を置き、笑いました。
「とっても働き屋さんなのね、シンデレラって」
ドリゼラが驚いたように言いましたが、シンデレラにとっては嫌味でしかありませんでした。
勿論、ドリゼラも嫌味と知って言ったのですが。
「さあ、早く食べよう。折角の夕食が冷めてしまう。シンデレラ、お前は洗濯が終わるまで夕食を食べるんじゃないよ」
父親に冷たく言われ、シンデレラは悲しそうな顔をして部屋から出て行きました。
――――ですが、部屋から出たシンデレラは恍惚の笑みを浮かべていました。
だから、それから数時間後、書斎で本を読んでいた父親が突然心臓発作で倒れ、数十分後に帰らぬ人となったのは、間違いなくシンデレラが仕組んだ父親の運命なのです。