初恋パレット。~キミとわたしの恋の色~

 
あっという間に姿がなくなり、もう聞こえるはずもない百井くんに、今さらながらぽつりと本心がもれる。

最初からわかっていたことなのに、どうしてこんなにも胸が締めつけられるんだろう。

どうして足が竦んで動けないんだろう。

吐き出しようのない想いは日々溜まり続ける一方で、ただ胸の中にぎゅうぎゅうに押し込められていくだけ。

心から百井くんの恋を応援できないくせに、苦しいとか切ないとかつらいとか、片想いの感情だけが、毎日毎日、降り積もっていくだけだ。


もしかしたら百井くんは、もう何年も前から、こんな気持ちをひとり抱えているのかもしれない。

そう思うと、わたしなんてまだまだだと痛いくらいに実感させられる。

けれど、どれくらいの間、想っていたのかなんて関係なく思えるくらい、今のわたしの胸は痛くて痛くて仕方がなくて……。


「……百井くんの、バカ」


そう喉を震わせたのと同時、切ない想いが涙となって、はらはらと頬を伝い落ちていった。





結局、この日の呼び出しが本当に実結先輩からのものだったのかもわからないまま、夏休みは明けた。
 
 
活気を取り戻した校舎内は、休み中はなにをして過ごしたとか、どこに行ったとかいう友だち同士の楽しそうな会話が廊下や教室のそこかしこから聞こえてきて。

始業式後のロングホームルームでは、夏休み前のとおりに席替えが行われ、わたしの隣は百井くんじゃなくなった。


あれから何度か、百井くんとは連絡を取り合った。

急に帰ってしまったことを申し訳ないと謝られたり、また日を改めて行こうと誘ってもらったり、百井くんからのメッセージは、それが主だった。

だけど、すっかり意気消沈してしまっていたわたしは、課題の進み具合があまりよくないことを理由に、あの美術室で絵を描き続けている百井くんに会いに行くことも、改めて公園に行くことも断り、そうして新学期を迎えた。


今度のわたしの席は、窓際の列の前からふたつ目。

百井くんは、教室の真ん中あたりの列の、ややうしろ。

幸い、わたしの隣の列の前から三つ目は亜湖が座ることになって、くるりと体を反転させるだけで会話ができ、前と比べるとずいぶん便利になった。

ただ、亜湖のほうを振り向くと、必然的に百井くんの席も視界に入ってしまうのが難点で……。
 
 
避けられていると思われていないだろうかとか、わたしより実結先輩を優先したことをまだ怒っていると思われていないだろうか、とか。

そんなことを気にしてしまうあまり、亜湖のほうに体を向けて話をしていても、百井くんの席から不自然に目を背けてしまう自分がいるのも事実だった。


百井くんに対するクラスのみんなの態度も、相変わらず以前と同じまま。

学祭の準備が始まることを機に、百井くんもみんなと同じなんだとわかってもらおうと意気込んでいた気持ちは変わらず持ち続けているものの、その肝心の百井くんとは微妙に距離が空いてしまって……。

前にも増して、胸の中にモヤモヤとした気持ちが溜まっていくばかりだった。










 
 
そんな毎日を過ごしているうち、ふと気づくとクラスの出し物がいつの間にか『模擬縁日』に決まっていたのは、二学期が始まって3週間が経とうとしていた頃だった。

学祭は10月の最終週の土日に行われるのが通例で、ざっと数えて約1ヶ月の準備期間が設けられている。

クラスごとの出し物に加えて部活での出し物や展示もあり、保護者や地域のみなさんといった一般の人たちに解放される学祭2日目は、去年初めて体験したけれど、ものすごい混雑具合で軽く眩暈を起こしそうなほどだった。


クラスのほうは人気の飲食系なので、そこそこ忙しかったけれど、写真部は閑古鳥が鳴くほど集客がなく、たまにふらっと顔を見せるのは先生方だったり、うっかり迷ってしまったふうな年配の方だったり……。

悠仁先輩と秋人先輩が校内を触れ回って一生懸命写真部の宣伝をしていたものの、そりゃ、食べ物だったり賑やかな催しが行われているほうに自然と人が集まるのは当たり前のことで。

当時、写真なんて別にどうでもいいと思っていたわたしは、先輩ふたりの涙ぐましい努力がすっかり水の泡になり、ふたりしてものすごくヘコんでいる姿を見ても、言葉は悪いけれど、当然の結果でしょう、と心の中で思ったりもした。
 
 
でも、今年は少し違う。

芸術の秋と言うだけあって、11月にある写真コンクール。

学祭は、それに向けての前哨戦というか、腕試しというか……またちゃんと写真をはじめようと決めて撮った写真を展示するので、そこには自然と〝百ノ瀬仁菜〟が出る。

どれくらいの人が見に来るのか、また閑古鳥が鳴くのかはわからないけど、気持ちが入ったものを初めて見てもらう機会だから、今からけっこう緊張している。


といっても、あの日、百井くんが途中で帰ってしまって以来、あんまり写真を撮る気にはなれなくて、カメラを構えるものの、いつもどこか上の空なんだけど……。

--と。


「こら仁菜、ちゃんと話聞いてる?」

「うぇっ!?」


唐突に目の前に亜湖の怒ったような半分呆れたような顔が迫り、椅子から飛び上がると同時、素っとん狂な声が口から出ていった。

すぐに我に返って周りをきょろきょろと見回すと、教室はいつの間にか騒がしくなっていて、みんな席を立ってわいわいとなにか話している。


「学祭の準備。うちのクラスの模擬縁日だけど。仁菜は写真部だから、記念撮影したいっていうお客さんに写真を撮ってあげる係と、準備期間中や当日の様子を記録する係に決まったの。……てか、なんでそんな心ここにあらずみたいになってんの? 係決めの話し合い、もう終わったよ」
 
 
眉をハの字に下げた亜湖が、腰に手を当て、まったくもう、とため息混じりに吐き出す。

そういえば今は、模擬縁日の係を話し合う時間だったっけ。

最初のほうはちゃんと話し合いに参加していたはずだったのに、いつからぼうっとしちゃっていたんだろう。


「……あ、ああ、そうだったんだ」

「そうだよ。ちなみにあたしは売り子で、百井は大工係。教室の中でやるものだから、そんなに大掛かりなセットは作れないけど、お店の骨組みとか、神社の雰囲気とか、そういうのを作る係だって」

「へぇ」


相づちを打ちつつ、ちらりと百井くんのほうを盗み見る。

するとちょうど、同じ大工係なのだろう、数人の男子が固まって話している席へ顔を出そうと自分の席を立ったところに重なり、なんとなくその姿を目で追った。

けれど、百井くんがちょっと彼らのうしろに立っただけで席の周りの空気がぎくしゃくし出し、彼自身はまだ口も開いていないのに「セットは俺らで作りますから……」なんていう声が、ほかのクラスメイトの騒がしい声の間を縫ってわたしの耳に入る。


「ちょっ、なんで……!?」
 
 
なんで百井くんだけのけ者扱い!?

そりゃ、まだみんな百井くんのことを怖がっているのはわかるけど、学祭でしょ? あんな言い方、参加されたら困るって言っているようなものじゃない。

百井くんがみんなにいったいなにをしたっていうの。


「仁菜」

「でも……」

「仁菜、やめときなって」

「……っ」


亜湖に肩に手を置かれて制され、浮かしかけた腰を渋々椅子に戻す。

亜湖の言いたいことがわからないわけじゃない。

きっと亜湖は、仲裁に入ろうとしたわたしを見たクラスメイトの、わたしに対する後々の反応と、百井くん自身のプライドを傷つけるおそれがあることを瞬時に頭の中に思い描いて止めたんだろうと思う。


せっかくの学祭なんだから、仁菜だってみんなの輪からあぶれたくないでしょ?

百井だって、仁菜のためを思って教室では他人のふりをしてるんだから、その仁菜が百井の気持ちを踏みにじるようなことをしちゃいけない。

それに、いくら仁菜でも〝女子に助けられた〟ことには変わりないんだから、男としてプライドが傷つくよ。


亜湖の表情からは、そんな気持ちがよく読み取れた。

でも。
 
 
「……でも、百井くんにとっても、せっかくの学祭なんだよ? クラスに溶け込むいいチャンスなのに、ちょっとくらい手助けしちゃダメなの……?」


百井くんはいつも平然とクラス内の自分の立ち位置的なものを受け入れているように見えるから、亜湖にはもしかしたら、普段からそれほど傷ついているようには見えていないのかもしれない。

だけど、百井くんは、本当はいつも寂しいんじゃないのかな。

仕方ないって思っていても、いつだって本心ではクラスに馴染むことを諦められないんじゃないのかな。


どんなに平気そうに見えていたって、心の中までは覗けない。

だから、想像するしかない。

でも、もしわたしが百井くんのような立場にいたら、誰か助けてくれって普通に思うし、助けてもらったら泣くほど嬉しい。

そういうのって、男女で気持ちに差があるものなの?


「仁菜の気持ちはわかるよ。百井が本当は不良でもなんでもない、ただの普通の男子だって知ってる仁菜なら、なおさらどうにかしてやりたいって思うだろうなとも思う。でも、どんな理由があったにせよ、前にケンカばっかりしてた時期があったことは事実で、今さら変わらないし、絶対に変えられない。今の百井がどんなにいいヤツでも、それはこの先もずっと付いて回るんだよ」
 
 
「それは……そうだけど……」


亜湖の言うことは、残酷だけど、正論だ。

言われてみれば確かにそのとおりで、なかなか反論できない自分がもどかしい。

悔しくて唇を噛みしめていると、亜湖が言う。


「あたしが言いたいのは、なにも仁菜ひとりが背負い込まなくてもいいんじゃないの? ってことだよ。百井だってバカじゃないんだし、本当にクラスに馴染みたいと思ってるなら、自分でどうにかするかもしれない。まずは百井本人の気持ちを聞いてみないと。あたしもできることは協力するし、それからでも遅くないんじゃない?」

「そ、そうかな……?」

「そうだよ。夏休み中になにがあったのかは知らないけど、今、仁菜と百井、ちょっと微妙じゃん。話をするいい機会って言ったら変かもしれないけど、さっさと仲直りしてくれないと、あたしの仁菜に元気が戻らなくて困るんだよ」

「亜湖……」

「まあ、仁菜を取られたみたいで悔しいけど、仁菜を元気にできるのも、落ち込ませるのも、百井にしかできないことだもん。この機会に放課後、ちゃんと話をしてきなよ」

「……うん、ありがとう」