初恋パレット。~キミとわたしの恋の色~

 
「ふむふむ、待ち遠しくてたまんない、と。ほんともう、百井くんってわかりやすいっていうか、ツンデレを極めてるっていうか。ぶふふ、期待を裏切らないよね、マジで」

「なにそれ褒めてんの、けなしてんの、どっち」

「どっちもー」


――ガタッ。


「ひいぃぃ、嘘だよごめんって……!」

「ニナ嫌い。もう帰れボケ」

「ほんっとごめんってば。スケッチするのにいい場所探しておくから、それで許して……!」


調子に乗ってからかっていたら、今度は本当に逆鱗に触れたらしく、こぶしを握って戦闘態勢を取られたり。

と、なんだかんだありつつ、久しぶりに訪れた旧校舎の美術室は、本当に楽しくて。

そして、驚くほどあっという間に時間が過ぎていった。





「つーか、付き合わせて悪かったな。またいつでもメシ食いに来い」

「ううん、わたしが入り浸っちゃっただけだし、こっちこそ長居してごめん。じゃあ、遠慮なくごちそうになりに行くよ」

「おう」


結局、夏場で日が長いこともあって、すっかり美術室に入り浸ってしまったあとの帰り道では、まだ十分明るいのに百井くんがわざわざ百ノ瀬写真館の前まで送ってくれて。
 
 
またメシ食いに来い、なんていう嬉しい誘いをもらったわたしは、じゃあ、と踵を返して帰っていく彼の背中が見えなくなるまで道端で見送っていた。

当たり前だけど、実結先輩という想い人がいる百井くんは、わたしを家まで送ってくれても、振り返ることはない。

夕暮れのオレンジ色がそうさせるのか、アスファルトに伸びた長い影がそうさせるのか。

はたまた、巣へ帰る鳥の鳴き声や、カナカナと鳴くセミの声がそうさせるのか。


「……好きだったよ、百井くん」


このときばかりは、どうしようもなく胸が苦しくなって、もう見えないはずの百井くんに〝だった〟という過去形の告白をせずにはいられなかった。

自分が傷つきたくないから諦めることにした、百井くんへの想い。

友だちというポジションに居心地の良さを見いだして完結させた、この恋。


「……ごめん、百井くん。やっぱ好きだよ」


だけど、負け犬で逃げ腰で、百井くんが先輩を想う気持ちには到底及ばないのはわかっているけど、無理やり気持ちを押し込めたところで、こんなにも簡単に溢れ出してしまう。
 
 
本当は、ヒーローも恩人も、たまらなく嫌だ。

あの写真が好きなら、どうしてそのとき、写真を撮ったわたしのことを好きになってくれなかったんだろうって、汚いことも普通に思う。

どうしてわたしは〝ヒーローで恩人〟で、実結先輩が〝人を好きになることを初めて教えてくれた人〟なの。


「実結先輩は先生が好きなんだよ。百井くんを好きな人なら、ここにいるよ……」


無理な恋はしたくなかったのに。

ちゃんと前向きな気持ちで終われた素敵な失恋にしたつもりだったのに。





――恋は理屈じゃないと初めて知ったこの日の夜、わたしは、失恋してから初めて本気で泣いた。










 
 
それでも容赦なく時間は過ぎる。

夏期講習の前半が終わり、お盆休みを挟んで講習の後半が始まった。

今日は最終日。

そして、講習が終わった午後からは、電車で15分ほどの距離にある〝かしの木公園〟というところに出向き、かねてからの約束どおり百井くんとわたしでデッサンをしたり写真を撮ったりと、出かけることになっている。


講習は、午前11時に終了予定。

学校から生徒がいなくなるのを待ってから、コンビニなんかでお昼ご飯を調達しつつ電車に乗り、公園で食べる、という段取りを決めたのは、もちろん百井くんだ。

相変わらず自分と一緒にいることでわたしに迷惑がかかることを恐れているらしい彼は、教室では今日も絶賛、一匹狼を貫いている。

百井くんが心配するといけないと思い、前もって学区からもほどほどに離れている〝かしの木公園〟を候補に挙げてみたんだけれど、どうやら彼には、わたしの配慮では、まだまだ足りないところがあるらしい。


『学校が終わったらすぐに行こうね!』

とメッセージを送ったら、

『バカか、みんな帰ったあとに決まってんだろ』

と普通に返信がきて、なんとも形容しがたい切ない気分になったのは、昨日の夜のこと。
 
 
「あー、であるからして――」


やたらとその台詞が多い古文のベテラン教師のお経のような授業を受けながら、なにもそこまでしてわたしに気を使ってくれなくてもいいのに、と隣の百井くんを盗み見て思う。

夏期講習にも真面目に出席する百井くんは、けれどまだクラスのみんなからは〝極恐ヤンキー〟として恐れられていて、話しかける人もいなければ、彼の周りはいつも歩きやすそうに人がはける。

以前『クラスで浮きたくなかったら』と百井くんと関わるわたしに渋い顔で釘を刺した亜湖と、今も普通にそんな彼と関わりを持ち続けているわたしを除けば、百井くんに対するイメージは新学期が始まった頃となにひとつ変わってはいなくて……。

百井くんへのそのイメージをいい方向に覆させられるような、なにかとんでもなくインパクトがあって、かつ百井くんがヒーローになれるようなことはないかなと。

教室でのわたしは、ここのところ、いつもそれを模索している。


でも、教室では一切関わり合いを持たないわたしも、ヤンキーのイメージをいまだ先行させているクラスメイトたちと同じだ。
 
 
周りにどう思われても話したかったら話せばいいし、一緒に帰りたかったら、人目を避けたがる百井くんの制服のネクタイでも引っ張りながら、みんなの前を堂々と帰ればいい。

それなのに、なぜできないんだ、わたし。

今もこんなにも好きなのに。

諦めようとしても全然諦められなかったのに。

……こんなんじゃ、本当に百井くんが好きなのかどうかさえ、自信がなくなってくる。


「はぁ」


こっそりとため息を吐き出して、百井くんの横顔から黒板に目を移す。

ほんと、考えれば考えるだけ、百井くんが実結先輩を想う気持ちと、わたしが百井君を想う気持ちは、月とスッポンくらい雲泥の差だなぁ。

きっかけを待っていたって、そもそも、そのチャンスだっていつ訪れてくれるかもわからないっていうのに、わたしはいったい、なにをしているんだか……。

きっかけがなかったら、自分で作ればいいだけ。

チャンスがなかったら、わたしがどうにかすればいいだけの話じゃないか。


「はぁ……」


もうひとつため息をこぼし、おざなりになっていた板書をノートに書き写しながら思う。

ただ待っているだけだなんて、なんてわたしは大バカ者なんだろう、と。
 

 
それからほどなくして、夏期講習の全日程が終了した。

教室でのわたしは、相変わらず自分に対してもクラスメイトたちに対してもモヤモヤとした気持ちを抱えたままで、ため息を吐き出しては、また次のため息を吐くために空気を吸うというローテーションを繰り返している。


「じゃあ、あたしは部活だから。二学期までバイバーイ」

「……うん、ばいばーい」


そんなわたしの心境を察してか、「亜湖、部活行こー」と同じクラスのテニス部の子数人に教室の出入り口付近で名前を呼ばれた彼女は、その去り際、わたしの背中にそっと手のひらを当てると。


「……ねえ仁菜、もしかして、百井がまだクラスに馴染めてないこと気にしてる?」

「え、なんでそれを……」

「親友なんだもん、わかるよ、それくらい。でも、二学期になったら学祭の準備も始まるし、なんとかなるでしょ。もちろんあたしも協力できるところはするし」


やっぱりかー、と苦笑したあと、にししと小麦色に焼けた肌とのコントラストが眩しい白い歯をのぞかせ、小声でそう告げて部活へ向かっていった。


「……亜湖」


ありがとう、亜湖。

ありがとう、ありがとう。
 
 
こちらに向かってにっこり笑いながら手を振る亜湖に手を振り返しながら、心の中で何度もお礼を言う。

協力できるところはする、という言葉も嬉しかったけれど、なにより嬉しかったのは〝親友なんだもん〟という一言だった。


毒舌だし、厳しいし、テニス部に顔を出せば普通に雑用を押し付けてくる暴君なところもある。

頭の出来も、運動神経の出来もまるっきり違う。

でも、些細な気持ちの揺れに気づいて少しでも心を軽くしてくれようと声をかけてくれたり、忠告を無視するようなことを考えていたのに最終的には応援してくれたり。

わたしと同じように亜湖もわたしのことを親友だと思ってくれているのが、泣きたいくらいに嬉しいなんて、わたしはなんて素敵な友人を持てたんだろうか。


「そっか、学祭か……」


つぶやいて顔を上げると、今までの教室がまったく違うものに見えた気がした。

もし、もし学祭で、百井くんが本当は不良でもヤンキーでもなく、ツンデレが可愛くて、驚くほど純粋で、自分たちと同じ普通の男の子なんだということをクラスのみんなにわかってもらえたら。

……そのときは、百井くんを想うわたしのこの気持ちにも、少しは自信がつくかな。
 
 



「じゃあ、適当に写真撮ってくるね。百井くん、だいたいここにいる?」

「ああ、木陰だし景色もいいし、ここで描いてる」

「オッケー。じゃあ、またあとでね」

「おー」


それから一時間半ほどして、かしの木公園で昼食をとったわたしたちは、それぞれ思い思いに行動することにした。

学校から生徒がいなくなるまで30分。

駅へ向かう途中のコンビニでお昼ご飯を調達し、15分の移動時間を経て着いた公園で、まずは適当になにかお腹に入れて。

そうしてスケッチのポイントを探すこと数分。

中央に噴水がある池に対面するようにある大きな楓の木の下で腰を下ろした百井くんと別れたわたしは、重いカメラを首からぶら下げ、まずは池の反対方向に向かおうと反時計回りに動きはじめることにした。


百井くんへの想いが全然断ち切れていなかったことを実感してからというもの、彼に会ったり話をしたりするのが怖くもあったけれど、どうやら、それをも軽く飛び越えてしまうが〝好き〟という気持ちらしくて……。

後半の夏期講習が始まって百井くんの顔が見られるようになれば、それだけで嬉しくて胸がキュンとなったり、旧校舎の美術室で他愛ない話をすれば、それだけで幸せな気分になれたり。