初恋パレット。~キミとわたしの恋の色~

 
恥ずかしくて、懐かしくて。

そして今は切ない、『momo』として最後に撮った、この写真。

たとえ撮った本人には、ひとつも気持ちが込められていなくても、そこに想いを乗せてくれた人がいて。

この写真から影響を受けて、それがまた人に影響を与えて。


「なんだ、中2のわたし、なかなかやるじゃん」


そう独り言をこぼしながら、きれいに額にはめられている写真の端っこを、プラスチックの透明板の上から指で弾いた。

偶然が折り重なって初めて知った、写真を見てくれた人の想い。

百井くんが実結先輩を想う気持ち。

百井くんに恋したわたしは、彼にとって結果的にヒーローでしかなかったけれど、それでも友だちというポジションを得られたのなら。

――それはそれで、よかったんだ、きっと。


「仁菜、さっきから部屋でなにをドタバタして。さっさとお風呂……え、どうして写真なんて……」

「あ、うん。またはじめてみてもいいかなって、ちょっと思って。終わりとはじまりは、やっぱりこの写真からのような気がしてね、押入れから探し出してみたの」


お風呂を急かしに部屋に来たお母さんに目を丸くして驚かれ、にへら、と笑う。
 
 
あれだけ写真をきらっていて、ずっとカメラに触ってもいなかったんだから、自分の写真を眺めているわたしを見たお母さんが驚くのも無理はない。

でも、百井くんがわたしの写真に影響を受けたように、わたしも百井くんに影響を受けてしまったんだから、もう仕方がない。


「今日、晩ご飯をごちそうになった友だちが、わたしのことを〝ヒーローで恩人〟だって言ってくれてさ。きっかけは、わたしがお父さんのあの大失態を話したことだったんだけど、そしたら急に、晩ご飯食ってけ、って」

「……ヒーロー? 仁菜が?」

「ふふ、うん、そう。笑っちゃうよね、ヒーローで恩人だなんて。でも、隣の市のカフェで写真展をやってるときに偶然この写真を見て、今までの自分から変わるきっかけをもらったんだって。だからもう、写真なんて撮らないって意地を張ってばかりもいられない気持ちにさせられちゃって……」


ああもう、恥ずかしいなぁ。

そう思いながら再びにへらと笑うと、お母さんも目を細くして笑っていて。


「あ、でも、お父さんにはまだ内緒にしててよ。なんか恥ずかしいし、またゴツいカメラを押し付けられたら、たまんないから」

「ぷっ、それもそうね」
 
 
お母さんがぷっと吹き出したのと同時、わたしもなんだかおかしくなって、同じように吹き出して笑った。


それからわたしは、「お風呂に入っておいで」と言い残して部屋を出ていったお母さんを見送ると、勉強机の上に写真を立てかけてお風呂へ向かった。

髪や体に染みついた焼き肉の香ばしい匂いを洗い落として布団に潜ると、お肉の重厚な満腹感も相まって、すぐにまぶたが持ち上がらなくなる。


この日は不思議と、涙は出なかった。

もしあの写真を撮らなかったら、百井くんとは違う出会い方をしていたのかな……。

そう思わないわけじゃないし、実結先輩とわたしの立場が逆だったらよかったのにと思わないわけでもない。

でも、どうしてだろう。

心のどこかに、今のこの状況に満足感を覚えている自分もいて。


「百井くんがいい方向に変われたんだから、それでいっか」


そう口に出したとたん、わたしは安心したように眠ってしまっていた。





 
 
「――とまあ、そういうことで、くれぐれも羽目を外しすぎないように。夏期講習もあるから、忘れずに登校するんだぞー。では、解散」

「やったー、夏休みだ!」

「夏期講習とかマジ休みたいー」


それから約一ヶ月、夏休みに入るのと同時に梅雨が明けた。

終業式を終えていったん教室に戻り、担任からの連絡事項を聞いて解散になったクラスでは、クラスメイトたちがめいめいに声を上げながら帰り支度をはじめている。


あーあ、百井くんとは夏期講習まで会えないのか……。

依然、彼と連絡先の交換さえしていないわたしにとって、去年は苦痛以外の何物でもなかった講習も、今年はすこぶる待ち遠しい。

それに、さっきのホームルームで二学期になったら席替えをしたいと声が上がり、担任もそれを了承したから、実質、百井くんの隣にいられる時間も残りわずかになってしまったりなんかして……。


40人近くのクラスなら、また百井くんの隣の席になれる確率なんて、とても低いだろうから。

夏休みになって嬉しい反面、心は今一つウキウキと弾けきらない。

そういうわけで、間接的に振ってもらって恋心に蓋をすることにしたわけだけれど、実際にはそう簡単に気持ちを切り替えられるわけもなく、このとおり、わたしの想いは現在進行形でくすぶり続けたままだ。
 
 
「にーな、帰ろー?」


誰とも群れることなくさっさと帰ってしまった百井くんの席にぼんやりと目を落としていると、肩をぽんと叩かれ、はっと我に返った。

見ると、相変わらずほどよく日焼けした亜湖が健康的な笑顔をこちらに向けていて、わたしも急いで笑顔を返す。


「あ、うん。亜湖、部活は?」

「今日は休み」

「テニス部の子たちと一緒に帰らなくてよかったの?」

「いっつも一緒に帰ってるもん、部活が休みの日くらい、仁菜と帰りたいじゃん」


夏休みの課題プリントで膨らんだスクールバッグを肩に掛けながら尋ねれば、亜湖からは思わず頬が緩むような返事が当たり前に返ってくる。

そんな彼女に、ふへへ、と空気が抜けたような笑い声をもらしながら、毒舌だけどやっぱり好きだなぁと思う。

失恋とまたカメラを始めたことをきっかけに百井くんとの間に今まであったことを洗いざらい話したときも、黙っていられたことを怒るわけでも悲しむわけでもなく、ただ「そうだったんだね」と相づちを打って聞いてくれて。

「……でも、あんたはそれでいいの?」と、まるで自分のことのように心配もしてくれた亜湖は、今も大きな心の支えになっている。
 
 
「わたし、亜湖がいてくれて、すごく救われてる」


ふたり並んで生徒玄関を抜けて、からりと晴れ渡った青空の下に出ると、わたしは、隣で手をパタパタとさせながら風を作っている彼女にそう告げた。

すると亜湖は、案の定、なに言ってんのこの子、というように目をすがめ、


「……仁菜、いきなりどうした」


と言う。

普段のわたしは、どうにも照れくさくてあまりそういうことを面と向かって言ったりはしないので、驚いたというのもあるだろうけど、もしかしたら、頭がおかしくなったのかと本気で疑っているのかもしれない。

それか、どう反応したらいいかわからないのかも。

でも、わたしと違って部活で忙しい亜湖とは、夏休みになったらなかなか会えないだろうから。

この機会に、どれだけ亜湖に救われたか伝えておきたいと思った。


「うーん、ずっと隠し事をしてたわけだから、亜湖にとっては裏切られてたようなものでしょ? それなのに、今もこうして友だちでいてくれるなんて、やっぱり亜湖のこと好きだなーって思って」

「仁菜……」
 
 
「それに、今言っておかないと言えなくなっちゃうかもしれないって思って。亜湖にはいつも感謝してるんだよ。亜湖がいなかったら、こんなにすぐに立ち直れてなかっただろうし、きっと今も胸が苦しいままだった」

「そっか。……うん、そっか」


言い終わり、はぁっと短く息を吐き出してから亜湖に笑顔を向けると、複雑そうな顔をしていた彼女も、つられるようにして笑顔を作った。

わたしの恋は、はじめから無理な恋だった。

百井くんと関わる理由を〝不明〟だなんて位置づけて、しばらくは自己完結させたりもしていたけれど、結局、そう思おうとする時点で百井くんに惹かれていたわけで。

何気ない会話をしたり、真剣に絵に向き合う姿を見ているうちに、まるでそうなることが当然のように自然に惹かれていったんだと思う。


実結先輩も百井くんも、それぞれの想い人への想いをどう形にするのかは、わからない。

でも、わたしの恋は、告げないという形で完結だ。

わたしには、今の百井くんとの関係を壊してまで想いを告げるなんて、とてもじゃないけど、できそうにない。
 
 
「……でも仁菜、気持ちを隠したまま百井と友だちを続けるのは、仁菜が苦しいばっかりなんじゃない? 百井のおかげで仁菜がまた写真を始めたことは、すごくいいことだとあたしも思うよ。だけど、百井は仁菜のことをなんとも思ってないわけでしょ? かといって、ずっと好きだった先輩に告白するのかっていうと、そういうわけでもないみたいだし……。仁菜ばっかり苦しいとかさ、あたし、けっこうだいぶ百井に腹立つんだけど」


すると、歩き出しながら亜湖が拳を作った。

百井くんに対して〝男らしくない〟という不満の表れであるのだろうそれは、亜湖がどんなふうにわたしのことを思ってくれているのかという彼女の本音がうかがえて、自然と頬が緩む。


「まあまあ、そう言わないでよ。好きな人がいる人を好きでい続けると、きっと告白するのに相当の勇気と覚悟が必要なんだと思うんだよ。わたしは自分が傷つく前に諦めた腰抜けだけど、百井くんはたぶん、そういうんじゃないと思うんだ」

「そうなの?」

「うん。うまく言えないけど、好き云々の前に、もっと違うところで別のつながりがあるから、告白〝できない〟んじゃなくて〝しない〟んだと思う」

「……そういうこともあるの?」

「うん、まあ、ただの勘だけどね」
 
 
亜湖の相変わらずの毒舌をなだめながら思ったのは、実結先輩が初めて旧校舎の美術室に訪れた日のことだった。

あの日の帰り、生徒玄関で偶然ふたりの会話を耳にしてしまったわたしは、百井くんが絵を壊すなんて信じられないと思ったのと同時に、実結先輩の言葉に引っ掛かりを覚えた。

それはわたしに、百井くんと先輩だけの秘密の会話であることを容易に想像させて。

わたしにはけして話してはくれないだろう〝秘密〟を抱えているから、百井くんは先輩に告白〝しない〟んだろうなと。

そう思うきっかけにもなり、顔を真っ赤にして「先輩が好きなんだ」と白状した百井くんを見ても、その気持ちは変わらなかった。


百井くんが抱えているものはなんだろう。

実結先輩が抱えているものはなんだろう。

やっぱり〝絵を壊した〟こと……?


旧校舎の美術室にわたしが出入りしているのを知ってから実結先輩は顔を出さなくなったし、百井くんも、あの性格からして、もうなにも話すつもりはないと思う。

それでもわたしは、百井くんの〝友達〟として力になれることがあったらいくらでも手助けしたいと思うし、もし百井くんが本気で行動を起こすと覚悟を決めたときは、笑顔で背中を押してあげたいとも思う。