「ちょっと、困りますって何度言ったらわかるの、あんた」
休憩室へ向かう途中で、宣伝部の部長がうなだれている男性にどなりつけるような剣幕でまくしたてていた。
「こんなことしたって、あの子には分からないって、何度も言ってるでしょうが。帰って、帰りなさい!!」
「どうしたんですか」
僕は、ちょっと興味をひかれて話の間に加わってみた。部長は、明らかに面倒そうな顔つきで鼻を鳴らした。
「ちょっと、君、私は用事があるから、そのおっさんをつまみだしておいてくれ」
部長は、太鼓腹を揺らしながら、立ち去ろうとしたが、急に振り向いて、人差し指を一本立てて僕を脅した。
「ロジーネのところだけには連れていくなよ。わかったな」
僕は、手を軽く振って応じた。そして、うなだれているおじさんを観察した。
おじさんは、静かにうなだれているが、手にはかわいらしいピンクのラッピングバッグに包まれているお菓子を持っている。ごましお頭だが、少し見えるその顔は、若い時によく運動したような、日焼けした顔だった。背は高く、やせ形で、シャツを腕まくりしているのも、若く見えるポイントかもしれない。しかし、そんなことは僕にはどうでもよかった。僕は、一目で彼が何者か見抜いたのだ。
「あ、あなた……もしかして、『ブドウ屋』の藤見武道(ふじみ・ぶどう)さんじゃないですか?!」
そう、その男性は、ロジーネの番組が放映されるたびにうちの局に来ては、彼女に会いたいとせがむパティシエだったのだ。局内では有名で、厄介者あつかいされている。しかし、この人はすごい人なのだ。
「ブドウ屋」の藤見武道といえば、先端テクノロジーで、味覚も嗅覚も機械に預けきって、ほんもののおいしいものを味わえなくなってしまったトーキョーシティで、いちはやく昔ながらの店、ほんもののお菓子を作って売るパティスリーを小さな住宅街に出店し、その味が評判になって、「クッキングルネサンス」とも言われた社会現象の立役者だ。僕は、ロジーネのマネージャーである以上、食の流行には敏感だ。
藤見さんは、礼儀正しくうなずいた。
「そうです。私が藤見です。よくおわかりになりましたね」
「ええ。僕はロジーネのマネージャーなので、食の流行に疎いわけには……」
と、そこまで話した時、藤見さんの様子が変わった。僕の前に土下座したのだ。
「ロジーネのマネージャー様。お願いです。私をロジーネに会わせてください」
「ちょっと、困りますよ、藤見さん!!立って、立ってください!!」
僕は慌てて藤見さんの腕をとったが、びくともしない。それどころか、かえって藤見さんは深々と頭を下げる。とんでもないことになってしまった。僕は、とにかく精一杯の力で、誰もいない休憩室に彼を連れ込んだ。そして、また土下座される前に、ソファに座らせた。
「どうして、そんなにロジーネに会いたいんですか。あなた、噂になってますよ。それに、こんなこと言っていいのかわからないけれど、ロジーネは今日引退するんです」
「わかっています」
藤見さんは、ほうっと大きなため息をついた。そして、ぐっと人差し指と中指で眉間をつまむ。
「だからこそ、会いたいのです。一縷の望みをかけて」
「望み……?」
「まず、こちらを召し上がりませんか」
藤見さんは、ちょっと笑って、ラッピングの袋をゆっくり開けると、きれいに並んだお菓子の中から一切れ選んで、僕に手渡してくれた。
「いいんですか?ロジーネに持ってこられたのでは?」
藤見さんは、さびしく笑った。そうか、そうだった、ロジーネは……。僕も悲しくなったが、とにかくそのお菓子がくるまれた袋をむいた。
休憩室へ向かう途中で、宣伝部の部長がうなだれている男性にどなりつけるような剣幕でまくしたてていた。
「こんなことしたって、あの子には分からないって、何度も言ってるでしょうが。帰って、帰りなさい!!」
「どうしたんですか」
僕は、ちょっと興味をひかれて話の間に加わってみた。部長は、明らかに面倒そうな顔つきで鼻を鳴らした。
「ちょっと、君、私は用事があるから、そのおっさんをつまみだしておいてくれ」
部長は、太鼓腹を揺らしながら、立ち去ろうとしたが、急に振り向いて、人差し指を一本立てて僕を脅した。
「ロジーネのところだけには連れていくなよ。わかったな」
僕は、手を軽く振って応じた。そして、うなだれているおじさんを観察した。
おじさんは、静かにうなだれているが、手にはかわいらしいピンクのラッピングバッグに包まれているお菓子を持っている。ごましお頭だが、少し見えるその顔は、若い時によく運動したような、日焼けした顔だった。背は高く、やせ形で、シャツを腕まくりしているのも、若く見えるポイントかもしれない。しかし、そんなことは僕にはどうでもよかった。僕は、一目で彼が何者か見抜いたのだ。
「あ、あなた……もしかして、『ブドウ屋』の藤見武道(ふじみ・ぶどう)さんじゃないですか?!」
そう、その男性は、ロジーネの番組が放映されるたびにうちの局に来ては、彼女に会いたいとせがむパティシエだったのだ。局内では有名で、厄介者あつかいされている。しかし、この人はすごい人なのだ。
「ブドウ屋」の藤見武道といえば、先端テクノロジーで、味覚も嗅覚も機械に預けきって、ほんもののおいしいものを味わえなくなってしまったトーキョーシティで、いちはやく昔ながらの店、ほんもののお菓子を作って売るパティスリーを小さな住宅街に出店し、その味が評判になって、「クッキングルネサンス」とも言われた社会現象の立役者だ。僕は、ロジーネのマネージャーである以上、食の流行には敏感だ。
藤見さんは、礼儀正しくうなずいた。
「そうです。私が藤見です。よくおわかりになりましたね」
「ええ。僕はロジーネのマネージャーなので、食の流行に疎いわけには……」
と、そこまで話した時、藤見さんの様子が変わった。僕の前に土下座したのだ。
「ロジーネのマネージャー様。お願いです。私をロジーネに会わせてください」
「ちょっと、困りますよ、藤見さん!!立って、立ってください!!」
僕は慌てて藤見さんの腕をとったが、びくともしない。それどころか、かえって藤見さんは深々と頭を下げる。とんでもないことになってしまった。僕は、とにかく精一杯の力で、誰もいない休憩室に彼を連れ込んだ。そして、また土下座される前に、ソファに座らせた。
「どうして、そんなにロジーネに会いたいんですか。あなた、噂になってますよ。それに、こんなこと言っていいのかわからないけれど、ロジーネは今日引退するんです」
「わかっています」
藤見さんは、ほうっと大きなため息をついた。そして、ぐっと人差し指と中指で眉間をつまむ。
「だからこそ、会いたいのです。一縷の望みをかけて」
「望み……?」
「まず、こちらを召し上がりませんか」
藤見さんは、ちょっと笑って、ラッピングの袋をゆっくり開けると、きれいに並んだお菓子の中から一切れ選んで、僕に手渡してくれた。
「いいんですか?ロジーネに持ってこられたのでは?」
藤見さんは、さびしく笑った。そうか、そうだった、ロジーネは……。僕も悲しくなったが、とにかくそのお菓子がくるまれた袋をむいた。