「お怪我などはございませんか?」

心配してくれる坂木さんに私は何度も頷いてみせる。

「はい、もちろん。大丈夫です」

結局、悪意を持っている人は誰もいないし、被害もない。

何事もなかったという形で穏便に済ませたい。

このまま席に戻ってもらおうと思ったら、直美が先に口を開く。

「芸術とか全然興味ないし『倉持せんせー』も知らないけど、個展開ける芸術家のセンセーってすごいじゃん。ねえ、倉持センセは佳苗のネックレス見たいんだし、坂木さんもこの店で飲んでたんでしょ。こっちに席移って一緒に飲もうよ」

さっきまで鬼の形相をしていたと思えない気安さで直美が嬉々として坂木さんに提案。

目を輝かせているところを見ると、直美のいい男レーダーが反応したのもあるかもしれない。

確かにつなぎの先生を見た後だと、坂木さんはスマートなスーツを着こなし、無造作にセットしてある短い髪も爽やかで好感は持てる。

しかし、さすがにいきなりすぎないだろうかと心配になった通り、坂木さんに目を移すと曖昧な笑顔を浮かべて返答を言いよどんでいる。

「直美、急にそんなこと言ったら迷惑だよ」

直美を諭そうとしたら、軽い口調の男性がゆったりとした足取りで姿を現す。

「なんだよ、真理。ちゃっかりかわい子ちゃんたちと楽しそうに。俺も混ぜてよ。どうもー、真理の同僚で、土谷雄大でーす。お見知りおきを」

土谷と名乗った男性は当然のように人当たりのいい笑顔で自己紹介をしながら名刺を配り、慣れた様子で店員さんに席の移動を依頼して、直美の隣に腰を下ろしてしまう。

新たにもらった名刺は、坂木さんと同じデザインで、『Gallery Sakaki 土谷雄大』と書かれている。