「ああ、いらっしゃいませ」


修一郎は、店内で掃除をしていた。背の高い彼は、窓磨きを任されていたが、うなじにちらりと目をやると、かなり目立つ線状のあざができていた。僕は修一郎がはしごから降りてきた時に、事情を話して、アドバイスを求めた。


「修一郎さん、教えてくれ。どうして葉月は、あんな言葉を?」


「ああ、葉月はやはり引きずっているんですね。死んだお父さんのことを」


「お父さんが、死んだ……?」


「そうです。葉月のお父さんは、まだ若い頃に首を吊って自殺したんです。葉月が、初めて料理をしていた時、八月でしたね、その訃報が入ってきて、葉月は気を失いました。その時作っていたのが、小学生の葉月でも作れるおかゆだった……。それからというもの、葉月は料理を決してしなくなりました。自分の料理が、大切な人の死を招くと思い込んでいるんです。かわいそうに……俺は、その呪縛から葉月を解き放ってやりたいが、出来なかった。恋人のあなたしかいないんです」


「でも、どうすれば……?」


「とにかく、料理ができるように慣れさせてください。怖がる時は、『死なないから』と優しく言い聞かせてください。そして、料理を少しずつ作っていって、本当にあなたが死ぬことがないと思うようになれば、しめたものです。根気が必要ですが、あなたならできます」


「そこまで対処法が分かっているなら、なぜあんたが今まで癒せなかった?」


修一郎は、顔を曇らせたが、やがてゆっくりとつぶやいた。


「俺には、できませんよ。できるのは、今、葉月が愛している、あなただけなんです」




僕は、まず葉月に謝り、それから修一郎から聞いたように、死なないと何度も繰り返した。葉月も最初は泣いていたが、やがて包丁が持てるようになった。そしてごはんを炊いたり、炒めものができるようになった。


もともと筋がよく、飲み込みが早いので、葉月はあっという間に料理が得意になった。それでも、不意に不安が訪れた時には、僕は「絶対死なない」と優しく言い聞かせた。