「葉月、今日は何がいい?」


「うーん、何でも。でも、肉じゃががいいかな」


「よし、いい肉を買ってきて作るよ。テレビでも見ながら待っててくれ。肉は牛肉?豚肉?」


「牛肉」


「了解!」


僕たちは、こんな会話を交わしながら、キッチンとソファに分かれた。料理をするのは僕、テレビに映るバラエティ番組に興じるのは、付き合って一年の彼女、葉月だ。


僕の母は小さい頃に出ていって、僕は幼い頃から働く父の代わりに料理を作ってきた。そのため、腕には自信があり、和食、洋食、中華、果てはお菓子作りまでこなせる。バレンタインには、僕が葉月に手作りトリュフを渡したくらいだ。葉月からは、コンビニのチョコ。友達からは気の毒がられたが、そんなことなんでもない。僕はチョコではなく、葉月が好きなのだから。


「葉月、美味しい?」


「うん、美味しい。こないだはちょっと塩辛かったけど」


「今日はちょっと甘めの味付けにしてみたんだ。牛肉も脂身を抑えたからね」


僕が作った肉じゃがをつつきながら、葉月が笑顔になる。彼女の微笑みを見るために、僕は腕をふるう。より美味しいものを葉月に食べてもらうために、ひそかに特訓もしていた。


葉月は、まったく料理をしない。できないのか、しないのかは分からない。料理の話になると、急に顔色を変えるので、なるべく彼女と料理の関係には触れない。


僕が来ない平日には、コンビニのお惣菜で食事を済ませているようで、小さな冷蔵庫には、レトルトのサラダやら、サンドイッチ、棚にはカップラーメン、ポテトチップスが並んでいる。体によくないぞ、と言っても、食生活を変えようとしないので、僕が休日には葉月の部屋に来て、料理を作るのだった。







それは、八月の蒸し暑い夜だった。僕は葉月におやすみを言って、外に出た。空気が淀んでいる。手でむなしく空気を引き寄せて仰ぎつつ、エレベーターでエントランスに降りると、集合ポストの前に男が立っていた。どうやら葉月の部屋のポストの前らしい。僕は、その不審者に声をかけた。


「何か、その部屋の人に御用ですか?」


すると、男は一目散に走り去ろうとした。僕はすかさずエントランスを飛び出て、男の首根っこを捕まえた。


「は、離してください。怪しい者じゃないんです」


「怪しくないなら、なぜ逃げる?」


「それは、その、葉月が気になるからで……」


「気になる?あんた、葉月のストーカーか?」


「ストーカー?何ですか、それ」

「つきまといだよ、変質者」


「へ、変質者じゃないです……もう立ち去りますから、勘弁してください!」


男は、不意を突いて僕の手を振り払って逃げ去った。僕は急いで追いかけたが、ついに見失った。


変質者は、さらさらとした黒い髪に、ちょっと古い型の眼鏡をかけた青年と言ってもいいくらいの、若さを残した男だった。僕は、いつか警察沙汰になったときのために、男の特徴を携帯にメモしておいた。