春になると地中にいた蟲たちが動き始める。
それは羽が生えていたり、幼虫の形だったりと様々だが、それらはすべて成長した姿だ。
4月8日。
今日はあたしの入学した磨岡高校の入学式だった。
体育館に集められた新入生たちが見知らぬ教師たちの挨拶を聞いている。
あたしが座っている椅子からでは先生の顔がよく見えず、だけど積極的に見ようとも思わなかったので自然と下を向くことになってしまった。
長い始業式の挨拶を聞きながら膝の上で手遊びをする。
「あいつ……暗そうだな」
それはボソッと聞こえた一言だった。
誰の声だろう?
そう思い振り返る。
あたしが振り返るとほぼ同時に視線を逸らした男子生徒がいた。
坊主頭でいかにもスポーツができそうな子だ。
クラスも同じみたいで近い位置に座っている。
あたしは視線を前へ戻し、手を膝の上で揃えた。
胸の中に不安が生まれる。
春は蟲が這い出てきて、そして卵が羽化する時期だ。
この時期に頑張らなければ、あっという間に世界中が蟲で覆い尽くされてしまう。
あたしはせわしなく周囲を見回した。
蟲の姿は……ない。
ひとまずホッと胸をなで下ろし再び視線を自分の膝へと下げたのだった。
☆☆☆
あたしのクラスは1年B組だった。
この学校は試験の偏差値によってクラス分けが行われる。
A組から順番にE組までがランク付けされている状態だ。
B組は特別秀でた人材はいないけれど、勉強はよくできる生徒たちが集められている。
頑張れば2年生に上がる時A組への昇格も期待できる。
磨岡高校はいわゆる新学校というやつだった。
教室で決められた机に座って周囲を見回してみると、中学時代から仲のいい子たちはすぐにグループを作ってたのしげに会話を弾ませていた。
あたしはその様子を一瞥し、そして窓の外を見た。
あたしの席は窓際の前から2番目の席だ。
外の風はまだ少し寒くて窓を閉めようと立ち上がる。
老朽化が進んでいる校舎の窓はキィキィと耳障りな音を立てながらしまった。
そのまま腰を下ろし鞄の中から文庫本を取り出した。
開くとどのページにも活字が上から下までビッシリと書かれていて、それを目で追っていると心が落ち着いていくのがわかった。
作品は海外作家の有名なミステリー小説。
シリーズ累計150万部を売り上げるベストセラーだ。
あたしは難解な事件に立ち向かっていく探偵を目で追っていく。
あらゆる角度から物事を見つめ、理解し、解読していく。
その主人公の冷静さは自分にも必要なことだった。
だからあたしはこの作品で学ぶべきことも沢山あった。
あたし1人が現実から離れ、空想の世界へと飛び立っていく。
見も心も教室から飛び出して探偵のもとへとひた走って行く。
その時だった。
教室の老朽化したドアがガタガタと音を立てて開かれて、空想から現実へと引き戻された。
入って来たのは小太りな中年男性で、手には出席簿を持っていた。
どう見てもこれが担任の教師だ。
「みんな席につけよ!」
その声は見た目よりも大きくて、教室の後ろまで安易にとどいた。
先生の号令に従いクラスメイトたち全員が席に座る。
先生は黒板の前に立ち、まずは自分の自己紹介を始めた。
北野啓司(キタノ ケイジ)45歳。
1年B組の担任になる先生だ。
北野先生はさっそく出席簿を広げて点呼を取り始めた。
机の順番は名前のあいうえお順ではなく、テストの点数順だということがわかった。
「1番、清野光磨(キヨノ コウマ)」
名前を呼ばれてあたしの前の席の男子生徒が「はい」と、返事をした。
「清野、立って簡単に自己紹介をしなさい」
そう言われ、清野光磨という生徒は立ちあがった。
そしてみんなに見えるように体を斜めに向けた時、女子生徒たちから惚れぞれするようなため息がこぼれた。
どうしたのだろうと思って清野光磨の方を見てみると、そのため息の理由がすぐにわかった。
清野光磨はずば抜けてカッコイイ。
整った、王子様のような顔立ちをしている。
「清野光磨です。趣味はバスケット。好きな科目は数学です」
そう言い爽やかな笑顔を浮かべる。
その笑顔で女子生徒たちの黄色い悲鳴が響いた。
フワリとした柔らかな雰囲気を持つ清野光磨。
このクラスのアイドル的存在になりそうだ。
そう思っていると、すぐに自分の名前が呼ばれた。
「2番、香野里音(カノ リオン)」
あたし、2番だったんだ。
そんな事を思いながら音をたてないように立ちあがる。
清野光磨と同じように斜めに体を傾けて、だけど視線は床へと落としたまま口を開いた。
「香野里音です。趣味は読書。好きな科目は国語です」
蚊の鳴くような小さな声でそう言い、すぐに席に座る。