仕方ないからそばにいる。ただそれだけだった。──それだけの、はずだった。



「……あいつ、どうだ」



病院の個室の扉に手をかけ──開けようとして、やめた。向こうから聞こえた言葉に無意識に耳を傾ける。



「咲乃(さきの)のこと……?」



咲乃……って。聞き覚えがあるし、こんな珍しい名前、間違えるはずもない。

私が生きてきた中で咲乃という人物はたったひとりしか知らない。



──間違えるなんて、ありえない。




「ああ。連絡がねぇからな」



「……大丈夫、みたいだよ。

関西のチームでトップやってるって」



「……それならいい」



〝関西のチーム〟



〝トップ〟



『羽歌(うた)……ごめん』



『ずっと一緒にいるって、言ったじゃない』



『ごめん……ごめんな。

どれだけ離れても、別れてもずっと愛してるよ』






蘇る記憶に、手から先ほど買ってきたばかりの缶が滑り落ちる。

重力に任せ床にぶつかったそれは、カツンッと大きな音を立てた。



「──……羽歌?」



扉の向こうから柔らかい声がして、扉が開く。はっと我に返った私は、落ちた缶を拾い上げて「ごめんなさい」と笑みを作った。



「お話してるみたいだったから、後にしようと思って引き返したら、落としちゃったの。

結局、邪魔しちゃったわよね……?」



「大丈夫だよ、話は終わってるから。

羽歌ちゃん、俺ちょっと先生のところ行かなきゃいけないから、乃唯(のい)のそばにいてくれる?」



こく、と頷く。




私と入れ違いで出ていく彼は、さらりと私の頭を撫でて部屋を出ていった。



「ごめんね、乃唯。

乃唯の買ってこようとしたんだけど、」



白いベッドに横になる彼の隣にある椅子に腰掛けながら口を開く。

彼の腕に残った傷跡は大きくはないけれど。巻かれた包帯は痛々しくそこを強調していた。



「──ん」



手を出されて、「え?」という顔をした私に、彼は「それ」と落ちた缶を指さす。



「いや、でも、」



「別に中身が汚れたんじゃねぇし飲める。

せっかく羽歌が買ってきてくれたのに、勿体ねぇだろ?」






「や、でも……」



「大丈夫だから」



優しくなだめる彼に渋々頷いて、口元の部分を袖で拭ってから渡す。

その缶を開けて口元に運び、オーバーテーブルに缶を置いた彼は、ふわりと私の頭を撫でた。



「迷惑かけてごめんな。

たった1日の入院なのに大袈裟で」



ふるふると、首を横に振る。



彼が怪我をしたのは、私を庇ったから。




不運にも、彼と買い出しに行く途中に、不良に絡まれてしまった。乃唯は、「先帰れ」と私を帰そうとしたのだけれど。



さすがにひとりで帰るのも不安しか残らなくて、それを拒んでしまった。

その結果、このあたりでは有名な暴走族〝心響(しおん)〟の総長である彼ひとりなら簡単に勝ててしまった相手に怪我を負わされた。



──私が、素直に帰っていたら。



きっと彼は、無事だったのに。でも、あの時男たちに腕を掴まれたのが、一瞬にして私を精神的に追い詰めた。



周りに男の子ばかりなのに、男の子が苦手な私。

だからこそ、何気ないその行為が気持ち悪くて、ひとりで帰るのが怖くて堪らなかった。



「羽歌、大丈夫か?」






気がつけば、彼が私の顔をのぞき込んでいて。



「え、あ、えっと……うん、大丈夫よ」



「………」



無言の彼が、私の腕を掴む。──昨日、男たちに触れられた部分を。

その瞬間昨日のことがフラッシュバックして、思わずその手を払ってしまいそうになった。



「こ、これはそういうことじゃないの……っ」



「怖かっただろ」



「え……」




思ってた以上に、優しい声色。



目を見開く私の、その部分よりも少し下を優しく掴んだ彼はその手を引き寄せて──ふわり、と。



「怖い思いさせて、ごめんな。

大事な女ひとり守れねぇなんて情けねぇな」



まるで、時が止まったのかと思った。



男たちに触れられた部分に、繊細という言葉がこれ以上に似合うことなんてあるのかと思うくらい優しく、彼の唇が落とされたから。



泣きたくなるほど、優しかった。



大事な女というのが嘘だということぐらい、私は痛いほど知っているのに。






「の、い……」



「絶対守るなんて口では言っといて守れねぇって、何ひとつ意味ねぇんだよ。

……ちゃんと、守ってみせるから」



そばにいてくれるか?と。



少し音量の落とした声で、尋ねられる。



『ずっと、羽歌は俺の姫でいて』



『俺が守るから……そばにいてね』



嘘つき。




「うん、」



「………」



「私の、そばにいて」



それを口にした瞬間に優しく抱きしめられて、彼の腕の中で目を閉じる。

「絶対傷つけねぇから」耳元で囁いたと思えば、乃唯が私の肩に顔を埋めた。



──私が、このチームの姫になった理由。



それは、ごく簡単なことだった。



彼の元カノが……私とそっくりだったから。性格も何もかも似てないのに、私と〝あの子〟が──双子、だったから。






似てるのは、ひとつだけ。容姿だけ。



神無月(かんなづき)グループ、というのは経済力のみならず、秀麗な双子の娘がいると有名だった。



しかし、あの子が有名だったのは秀麗という事実のみで。



──公の場に出ることができたのは、許されたのは、私だけだった。



なぜなら、なんて簡単なことだ。



〝出来が良かったから〟私は、神無月の令嬢として光り輝く外へ出ることができた。




双子の妹──羽紗(うさ)は、親曰く出来が悪かった。



親が認めたのは容姿だけ。



お世辞にも良いとは言えない成績に、どんくさくて欠片もない運動神経。



──不良との、繋がり。



すべてが悪かったから、あの子が表に出てくることはなかった。



だから。



「……行方不明?」



──あの子がいなくなったところで、噂になることはなくて。親が騒ぐことさえなかった。



私がいれば、神無月に支障はないのだから。