杏ちゃん、結婚しよ




「杏ちゃん、なあ」

「何?」

「話したいことあるんだけど」

「うん」

「ちゃんと」

「ここじゃだめ?」

「だめ」


彼のこういうところが好きじゃない


はっきりしないところ



二人で夕飯のおかずを買いにいった帰り


公園の前


「ほら、はやく帰ろ。アイスが溶ける」

「……うん」


大体言いたいことは分かってる


結婚のこと



あたしはまだ働きたいし

結婚っていうのが

する意味がわからなくて






タクとは2年前に

電車で痴漢から守ってくれて


あたしが何回も連絡をとって

付き合い始めた


あたしより3歳年上で

弁護士のたまごで


だからあたしみたいなのが奥さんだったら


多分タクには邪魔なだけ



「俺、洗濯物干すよ」

「お願い。ちゃんとシワ伸ばすの忘れないでね」



いつのまにか

好きがわからなくなってた



この空気が

この手のひらが

当たり前だと思っていた。











「はい」


会社の帰り、突然の電話

タクからだった


「……………はい?」

額から汗が流れた

「……嘘ですよね」

目の前が真っ暗になった








走って

走って

苦しくなるのなんて分からないくらいに


「あの、タク…皆瀬巧は…」

病院の受付

「まだ、手術中ですね、こちらです」




案内されたとき、ちょうど手術室から出てきた


タクには色んな管が繋がれていて

身体中包帯だらけで

「タク……?」

「ご家族の方ですか」

「家族はいません、あたしだけです」

「とても危険な状態です。
我々は手を尽くしましたが…意識が戻るまでは安心できません」







病室は
白いはずなのに

心のなかは

灰色が拭えない

顔の痛そうな傷



2時間前に

タクは車に轢かれた

信号無視した車が…タクを……


「タク…今日の夕食、タクの番だよ」

だって昨日あたし作ったもん

「あたし今日洗濯物干すよ。」

だって昨日タクがやったから



涙が


止まらない


堪えてたのに



「おかず…買いに行こうよ

仕方ないなぁ……っ…カップ麺でもいいからさ………」


カップ麺でもいいから……





「目を開けて……タクっ……」






家は朝と同じ


タクまたお皿に水かけないで…
カピカピになっちゃうじゃない

「優しいのは、今日だけなんだから…。
ちゃんと明日…あし……たっ……」



タクに明日は来るのかなと

最低なことを頭のなかで考えてしまって


グーで頭を叩いた


「おやすみ…タク」





何も食べずに



一緒に使うベッドの


タクの方で眠ろうとした





でも



全然眠れずに


夜が太陽に追い出された。














目が腫れてる


「タク、おはよう」


病院からは、連絡は来てない


いい連絡も……悪いのも


「おはよう、杏」







……寝てないから

幻聴まで聞こえる


今日は会社…休も…ずっとタクの側に…


「杏ちゃん。目、腫れてる。」


あたしの頭、いい加減にし……───────────











「おはよう。杏ちゃん」









顔を洗って


タオルで拭こうと鏡を見て



目に水が流れる痛みさえ感じなかった












「タク…?」


「なんだよいきなり。」


「やっぱり昨日の、夢?」


「何が?」


「タク」





後ろを振り向くと



ちゃんとそこに立っていた



タクが。




「昨日、泣いたの?」


「あー…うん、怖い夢見て」


「そっか。おいで、抱きしめてあげる」


「うん」




タクに近づこうとして


気づいたら


タクは後ろにいた









「…え?」


「あれ、なんか俺…透けてる?」




「タク?」






もしかして………幽霊?




タク…死んじゃったの?






「俺、死んだのかな」


「嫌だ…嘘。絶対嘘。信じないっ」



タクをすり抜けて、病院に電話した。



「………まだ…生きてる?」









なんで…じゃあ、なんで、



ここにいるの、なんなの?




「生きてるって、誰が?」


「タクが…」


「なんで?俺ここにいるじゃん」


「違うよ!!!き…っ昨日タクは……っ……車に……」