「うぐっ」

勢い良く顔を上げた私の頭突きがルカの顎にクリーンヒットする。
もちろん故意にだ。

「何が、怪我はないか? ……よ。
 ルカがずっと私を守ってくれてたんだから、怪我なんてする筈ないでしょう!」

ルカが涙目で顎を抑えながら私を見る。
わけがわからないと言った顔つきだ。

「え……あぁ、でも……」

「デモもスモモもないわよ!
 私の事より、ルカの方こそ大怪我してるのよ!
 わかってるの?!」

「あぁ、そう言えばそうだったな」

「そう言えばそうだったなって……」

「いや、アイリスがスモモ好きだったとはな。
 次の村か町でスモモを買おう」

「ば、馬鹿!
 そんな話をしてるんじゃないでしょ!」

「はは、冗談だよ」

力なく笑うルカを見て、私を心配させまいと無理して冗談を言っているのだと解る。

「こんなに……血がいっぱい出て……」

「大丈夫だ。もう血は止まりかけてる」

「でも、ちゃんと手当しないと……」

と言いつつも、私は、どうしていいのか分からない。
ルカが荷物の中に医療用具があると言うので、私は、荷物を漁った。

焚火の傍に並んで腰を下ろすと、慣れない手つきで包帯を巻いていく。
私を守るために負った怪我だと思うと、少しだけ嬉しいような後ろめたいような気持ちで、胸が苦しくなる。

「……ごめんな」

「何が?」

「髪を切ってしまって……。
 一緒に伸ばそうって、約束してたのにな」

「え……あ……」

私の反応に、ルカがふっと笑みを零す。

「やっぱり覚えてなかったか」

「……さっき、ルカの髪が切られた時、思い出したの。
 ルカは、私が忘れてるような、そんなどうでもいい約束を、
 今までずっと守ってくれていたの?」

「どうでもいい約束なんてないよ。
 アイリスとの約束だ。きちんと守りたかった」

私は、少し前からルカの私への呼び名が元に戻っていることに気が付いていた。
それは、この旅路の終わりを告げているようでもあった。

「怖い思いをさせて、すまなかった」

「私、全然怖くなんてなかったわよ」

「え……?」

「だって、ルカが私を守ってくれるって、わかってたから。
 だから、全然怖くなんてなかった」

「アイリス……」

「それよりも怖かったのは…………」

私は、ルカの腕に包帯を巻き終えると、そっと掌を当てた。
そうすることで、怪我が治るとでもいうように。

(ルカが死んでしまうんじゃないかって思ったら……私、勝手に身体が飛び出していた)

今までずっと傍に居てくれているのが当たり前に感じていた。
ルカがいなくなるなんて、考えられなかった。

(私、ルカのことが好きなんだわ)

そう気付いてしまった。
でも、今の私には、その言葉を口に出すことが出来ない。

黙ったままの私を見て、ルカは、私が別のことを考えているのだと誤解した。

「……帰るんだな、城に」

敢えて私は、その誤解を解こうとはしなかった。

「……関係ないって、思おうとした。
 私のことを政略結婚の道具にしか扱わない国なんて。
 でも……」

(……この旅に出て、初めて気が付いた。
 私が、どれだけ国の事を大切に思っていたかって事に。
 私が生まれて育った国だもの…………守りたい。でも……)

「……結婚するのが嫌なら、ちゃんと陛下と話し合ってみればいい。
 陛下だって、誰よりもアイリスのことを大切に思ってるんだ。きっと解ってくれるよ」

私は、顔を上げて、ルカを見つめた。

「私に…………守れるかな?」

ルカが驚いたように目を軽く見開く。

「私、仮にも一国のお姫様で、
 この国を守っていかなきゃいけないのに……
 こんなふうに逃げ出して……」

ルカは、真剣に私の話に耳を傾けてくれている。

「それに、ルカがいないと何も出来ない。
 周りに心配や迷惑ばかり掛けて……それなのに……」

「守れるさ」

私は、はっと顔を上げてルカを見た。
そこまできっぱりと答えが返ってくるとは思わなかった。
ルカは、冗談を言っているようには見えない。
よく見慣れた焦げ茶色の瞳が優しく細められる。

「馬鹿だなぁ。当たり前だろう。
 さっき、俺を助けるために、剣の前に飛び出していった勇気は、何だっていうんだ」

「あれは……」

「お前は、自分で考えているよりも、ずっといい女王になれるよ。
 俺が保障する」

「でも、私……怖いの。
 国民が苦しむ事が……国が、なくなっちゃう事が……
 もしも、私が他国の王子様と結婚することで、
 この国が変わっちゃったら?
 私は、この国をずっと守っていけるのかな……」

(甘い気持ちだけじゃ、国は守れない。
 幼い頃からお父様を見てきて、それはよく解ってる。
 だからこそ、そんなことが自分にできるのかって不安になる)

「一人で全部を背負い込むなって、言っただろう?」

「え……?」

「生まれて来た時から、陛下の背中を見て育ってきたお前なら解る筈だ。
 国は、一人で作れるものじゃない。
 一人一人が一歩一歩地道に築いていくものだろう。
 
 確かに陛下は、すごい人だよ。
 でも、陛下が一人でがんばったから、今の国があるのか?
 ……そうじゃないだろう。
 何のために俺たち臣下がいる?
 国民だって、そりゃ一人一人は無力かもしれないけど、国民あっての国だろう」

ルカの真摯で真っすぐな言葉が、一つ一つ私の心にじんわりと沁みていく。

(……ああ、そうだった。
 お父様がお仕事をがんばっている時、傍には必ず誰かがいた。
 国の為に、みんなが……一人一人が、がんばっていた姿を私もずっと見てきた)

どうして忘れていたのだろうか。
皆が国のこと大切に思っていると知って、幼い頃の私は、何故か妙に嬉しかったのを覚えている。
国は、一人のものではない。皆がいるから、国があるのだ。

「この国が好きなのは、みんな同じだ。
 俺たちは無能か? お前が頼ることもできないくらい無力な存在か?
 一緒に闘い、一緒に国を守っていく事を……どうしてしようとしない??」

無能なんて思っていない、と伝えようとして、私は、ふるふると首を横に振った。

「少なくとも、さっき俺を助けに飛び出したお前の姿は、立派な女王に見えたよ」

「ルカ……」

「アイリス……国に、帰ろう。みんなが待ってる」

私は、目に涙を溜めて頷いた。

「……うん、うん! 私……国に帰りたい!」

ルカは、満足そうに笑うと、私に向かって頭を垂れる。

「アイリス姫。
 城への帰還中、私が命に代えてもお守り致します」