しばらく馬を走らせて、城が見えない場所まで来ると、ルカが口を開いた。
「ここまで来れば、大丈夫でしょう。
姫、これから如何致しますか?」
私は、ずっと考えていた。
お母様の墓石の前で、ルカにこれからどうするつもりかと聞かれた時から。
考えて、考えて……私の頭に浮かんだのは、
今まで密かに抱き続けてきた、小さな願望だった。
「私、お母様の故郷を見てみたい」
「北部を、ですか」
意外そうな顔をするルカに、私は、笑顔で頷いて見せた。
レヴァンヌ国は、元々、北部と南部に分かれていた。
それを前国王が統一し、南部に王都を置いたのだ。
「前から一度、行ってみたいと思ってたの」
お母様は、お父様と結婚してから、一度も故郷に戻る事なく逝ってしまった。
北部との交流は、それからも続いているけど、私はまだ一度も行った事がない。
お母様から聞いた話では、ここよりとても寒くて冬は厳しいけれど、
南部ではほとんど見ることのない“雪”というものを見ることができる、とても美しい場所だという。
私は、一度で良いから、その“雪”というのを見てみたいと思っていた。
「それなら、ここから南西に行った所にある港町から船で北部へと向かうのが良いでしょう」
「どうして、わざわざ遠回りをするの?
真っ直ぐ北を目指せば良いじゃない」
私の安直な質問に、ルカは、あからさまに呆れた顔をした。
「北には、カドニア山脈があるのをお忘れですか。
他の季節ならまだしも、この時季に山を越えるのは大変危険です」
カドニア山脈とは、北部と南部を分けるように連なる褶曲山脈のことだ。
その山が立ちはだかる限り、南部から北部へ行くには、船を使うか山を越えるしかないのだが、
この時季、山は豪雪に見舞われる。
そこを越えて行くことは、自ら死にに行くようなものだ……と、確か以前、家庭教師が話してくれたことを思い出す。
「べ、別に忘れていたわけじゃないのよ。
ただ……長い道のりになりそうだなと思って」
白々しい、とでもいうようなルカの目つきに、私は気付かないフリをした。
「ここから港町までは、馬なら2日もあれば着くでしょう。
そこで宿を取って、船で半日から1日……
3日もあれば、北部には着けます」
「そ、そう。
まぁ、そんなに急がなくても良いじゃない。
ゆっくり旅を楽しみましょうよ」
「いえ。何が起こるか解りませんからね。
何事も余裕を持って行動しなくては」
真面目なルカの話を聞いていると、まるで家庭教師から勉強を教わっている時のような気分になる。
(なんだか気が重いわ……)
私は、話題を変えようと、さっきから気になっていたことを訊ねることにした。
「そう言えば、ルカ。
ふつう門って、あんなに簡単に開けてもらえるものなの?
通行手形がないと通さないだとか、国王の使いだっていう証を見せろ、とか何とか言われたらどうしようかと思ったわ。
いくらルカが近衛隊長だからって、あんな口頭だけで通しちゃうなんて……国の警備としてどうなのかしら」
私が怒るように訊ねると、ルカは、ああ、と言って苦笑する。
「そうですね。外から入る場合は、通行手形や紹介状のようなものがなければ、中へは入れません。中から出る時も、平時であれば、ある程度の尋問を受ける事にはなりますが、今日は、他国からの来賓も多い。門番も一々確認している暇がないのでしょう。
まあ、他国と比べると規制は緩い方でしょうが」
「緩くても大丈夫なの?」
「陛下は、開いた国造りを目指していらっしゃいます。
それ故に、厳しい規制をかけて町を閉鎖的にする事を嫌うのです」
姫もご存知でしょう、とルカの目が優しく私に問っている。
「……そうね。
そう言えば、そういう人だわ」
そんなお父様だからこそ、周りに人が集まる。
そして、今のこの国があるのだ。
お父様が即位する以前、この国は、どちらかというと閉鎖的な国だったらしい。
それを今のような明るい開けた国にしたのがお父様なのだ。
「陛下は、誰よりもこの国を愛しておいでだ。
あの御方がいる限り、この国は安泰でしょう」
ルカの口ぶりからは、お父様への絶対的な信頼と尊敬の気持ちが伝わってくる。
私は、なんだか急にお父様が恋しくなって、すぐにその気持ちを押しやるように蓋をした。
「……もう、やめましょう。そんな話。
今は、国のことなんて考えたくないわ」
「姫……」
「その“姫”もやめて。
今の私は、王女じゃないのよ。
ただの1人の女なんだから」
ルカが戸惑いながら眉を寄せる。
「では、何とお呼びしたら……?」
「そうね……」
私は、少し逡巡してから答えた。
「………… “アリス”。
うん、 “アリス” がいい」
「…… “アリス”で すか?」
それは、私が城を抜け出して城下町で名乗っていた名前だ。
〝アイリス〟から〝イ〟を除いただけの安直な名前だが、意外と気に入っている。
「ええ、そうよ。
私は、アイリスから “アリス” に生まれ変わるの!」
ルカが戸惑いながら私を見る。
「姫がそうお望みならば……」
「ほら、また。
だから、〝アリス〟だって言ったでしょう」
「……も、申し訳ありません」
慌ててルカが馬上で頭を下げる。
よく考えたら、こういう態度も直していかなければいけない、と私は思った。
「あと、その敬語もやめてね。
私はもう “お姫様” じゃないんだから」
「敬語を?
……ど、努力致します」
「ほらっ」
「……あっ。
努力……する」
ルカがまるで舌を噛みそうな口調で言うものだから、私は思わず笑ってしまった。
それからしばらくの間、ルカは、急に無口になった。
「ここまで来れば、大丈夫でしょう。
姫、これから如何致しますか?」
私は、ずっと考えていた。
お母様の墓石の前で、ルカにこれからどうするつもりかと聞かれた時から。
考えて、考えて……私の頭に浮かんだのは、
今まで密かに抱き続けてきた、小さな願望だった。
「私、お母様の故郷を見てみたい」
「北部を、ですか」
意外そうな顔をするルカに、私は、笑顔で頷いて見せた。
レヴァンヌ国は、元々、北部と南部に分かれていた。
それを前国王が統一し、南部に王都を置いたのだ。
「前から一度、行ってみたいと思ってたの」
お母様は、お父様と結婚してから、一度も故郷に戻る事なく逝ってしまった。
北部との交流は、それからも続いているけど、私はまだ一度も行った事がない。
お母様から聞いた話では、ここよりとても寒くて冬は厳しいけれど、
南部ではほとんど見ることのない“雪”というものを見ることができる、とても美しい場所だという。
私は、一度で良いから、その“雪”というのを見てみたいと思っていた。
「それなら、ここから南西に行った所にある港町から船で北部へと向かうのが良いでしょう」
「どうして、わざわざ遠回りをするの?
真っ直ぐ北を目指せば良いじゃない」
私の安直な質問に、ルカは、あからさまに呆れた顔をした。
「北には、カドニア山脈があるのをお忘れですか。
他の季節ならまだしも、この時季に山を越えるのは大変危険です」
カドニア山脈とは、北部と南部を分けるように連なる褶曲山脈のことだ。
その山が立ちはだかる限り、南部から北部へ行くには、船を使うか山を越えるしかないのだが、
この時季、山は豪雪に見舞われる。
そこを越えて行くことは、自ら死にに行くようなものだ……と、確か以前、家庭教師が話してくれたことを思い出す。
「べ、別に忘れていたわけじゃないのよ。
ただ……長い道のりになりそうだなと思って」
白々しい、とでもいうようなルカの目つきに、私は気付かないフリをした。
「ここから港町までは、馬なら2日もあれば着くでしょう。
そこで宿を取って、船で半日から1日……
3日もあれば、北部には着けます」
「そ、そう。
まぁ、そんなに急がなくても良いじゃない。
ゆっくり旅を楽しみましょうよ」
「いえ。何が起こるか解りませんからね。
何事も余裕を持って行動しなくては」
真面目なルカの話を聞いていると、まるで家庭教師から勉強を教わっている時のような気分になる。
(なんだか気が重いわ……)
私は、話題を変えようと、さっきから気になっていたことを訊ねることにした。
「そう言えば、ルカ。
ふつう門って、あんなに簡単に開けてもらえるものなの?
通行手形がないと通さないだとか、国王の使いだっていう証を見せろ、とか何とか言われたらどうしようかと思ったわ。
いくらルカが近衛隊長だからって、あんな口頭だけで通しちゃうなんて……国の警備としてどうなのかしら」
私が怒るように訊ねると、ルカは、ああ、と言って苦笑する。
「そうですね。外から入る場合は、通行手形や紹介状のようなものがなければ、中へは入れません。中から出る時も、平時であれば、ある程度の尋問を受ける事にはなりますが、今日は、他国からの来賓も多い。門番も一々確認している暇がないのでしょう。
まあ、他国と比べると規制は緩い方でしょうが」
「緩くても大丈夫なの?」
「陛下は、開いた国造りを目指していらっしゃいます。
それ故に、厳しい規制をかけて町を閉鎖的にする事を嫌うのです」
姫もご存知でしょう、とルカの目が優しく私に問っている。
「……そうね。
そう言えば、そういう人だわ」
そんなお父様だからこそ、周りに人が集まる。
そして、今のこの国があるのだ。
お父様が即位する以前、この国は、どちらかというと閉鎖的な国だったらしい。
それを今のような明るい開けた国にしたのがお父様なのだ。
「陛下は、誰よりもこの国を愛しておいでだ。
あの御方がいる限り、この国は安泰でしょう」
ルカの口ぶりからは、お父様への絶対的な信頼と尊敬の気持ちが伝わってくる。
私は、なんだか急にお父様が恋しくなって、すぐにその気持ちを押しやるように蓋をした。
「……もう、やめましょう。そんな話。
今は、国のことなんて考えたくないわ」
「姫……」
「その“姫”もやめて。
今の私は、王女じゃないのよ。
ただの1人の女なんだから」
ルカが戸惑いながら眉を寄せる。
「では、何とお呼びしたら……?」
「そうね……」
私は、少し逡巡してから答えた。
「………… “アリス”。
うん、 “アリス” がいい」
「…… “アリス”で すか?」
それは、私が城を抜け出して城下町で名乗っていた名前だ。
〝アイリス〟から〝イ〟を除いただけの安直な名前だが、意外と気に入っている。
「ええ、そうよ。
私は、アイリスから “アリス” に生まれ変わるの!」
ルカが戸惑いながら私を見る。
「姫がそうお望みならば……」
「ほら、また。
だから、〝アリス〟だって言ったでしょう」
「……も、申し訳ありません」
慌ててルカが馬上で頭を下げる。
よく考えたら、こういう態度も直していかなければいけない、と私は思った。
「あと、その敬語もやめてね。
私はもう “お姫様” じゃないんだから」
「敬語を?
……ど、努力致します」
「ほらっ」
「……あっ。
努力……する」
ルカがまるで舌を噛みそうな口調で言うものだから、私は思わず笑ってしまった。
それからしばらくの間、ルカは、急に無口になった。