“割引”という言葉に一瞬、心を奪われそうになったが、
今は、こんな高価な買い物をしている余裕はない。

「……ごめんなさい、おじさん。
 今、ちょっと急いでるのよ。
 だから、また今度寄らせてもらうわね」

宝石店のオヤジ
「……そうかい、残念だねえ。
 じゃあ、また今度来てくれよ」

「ええ」

後ろ髪を引かれる思いで、宝石店を後にし、私は、ルカの姿を探した。

(……嘘、ルカの姿が見えない……。
 もしかして、はぐれ……)

「こんな所にいらっしゃったのですか」

「あっ、ルカ」

「姿が見えなくなったので、心配しましたよ」

「ご、ごめんなさい……」

「私から離れないようにと申しましたでしょう」

「う、うん……でも、ルカったら歩くペースが速いんだもの。
 私、ついて行けないわ」

実際、長身のルカと女の私では、歩幅も歩く速さも違う。
嘘ではないが、宝石に目を奪われてました、というのは言わないでおく。

「……早かった、ですか?
 それは、大変失礼を致しました」

予想外にルカが困った顔をするので、私は、ほんの少しだけ良心が痛んだ。

(ま、まぁ。
 私が余所見をしていたというのも、あるのだけれど……)

ルカは、無言で何かを考えているようだった。
そして、少し言いにくそうに私から視線を外す。

「…………姫。
 失礼ですが、お手を」

「……手を?
 どうして??」

「どうやら私は、自分でも気が付かない内に早く歩いてしまうようです。
 姫の歩調に合わせる為にも、手を…………繋いでいた方が、宜しいかと」

よく見ると、ルカの顔が少し赤い。
何となく私もつられて頬が熱くなる気がした。

「どうか、ご無礼をお許し下さい」

そう言って、ルカが私に手を差し伸べる。
臣下の者が主の身体に触れること、特にそれが異性の場合は、無礼に当たる。
そんな常識くらい私も知っている筈なのに、
何故か私は、ルカが許しを請うこと自体に違和感を感じた。

差し出されたルカの掌に、私は自分の手を重ねた。
それは、まるで何かの儀式のようで、妙に緊張してしまう。

ぎこちなくルカが私の手を軽く握る。
触れているのか触れていないのか、解らない程に軽く。
ルカは白い手袋をしているのだから、直接肌に触れているわけではないのに、
不思議と繋いだ手からルカの熱が伝わってくるようだ。

そして、そのままルカに手を引かれるように、私たちは商店街の人混みの中を歩きだした。
ルカは、無言で前を向いたままなので、その表情は見えない。
なんだか照れくさくなった私は、誤魔化すように砕けた口調でルカに話し掛けた。

「……何か変な感じね。
 ルカとこうして手を繋いで歩いてるなんて」

ルカの歩調は、先程よりもゆっくりに感じた。
私の歩く速さに合わせてくれているのだろう。

「ルカとは、もう何年も一緒に居るのに……
 手を繋いだのなんて、これが初めてのような気がするわ」

「……実際、初めてです。
 臣下と主の関係なのですから、それが当たり前でしょう」

そう言ったルカの顔は、前を向いているので見えない。
私は、何故だか胸がもやもやした。

(臣下と主……)

言われてみれば確かにそうなのだけれど、ルカの口から聞くと、何か納得のいかないものを感じる。

「……私、ルカのことをそんなふうに思った事なんてないわ」

少し拗ねた口調で私は呟いた。
しかし、それは、周囲のざわめきによって掻き消されてしまう。

「今、何か仰りましたか?」

ルカが私を振り返った。
その顔は、いつも通りの冷静な臣下の顔をしている。

「……ううん、なんでもない」

私は、ルカのことを友達か家族のように思っていたのだ。
でも、ルカは違っていたのだと思うと……ただ悲しかった。

先程まで暖かく感じた筈のルカの手は、今は何故か、ひんやりと冷たい。
手を握っているのに、私は、ルカを遠くに感じていた。