夏休み最後の日、明日は仕事で朝から地方に行くと歩に伝えると明らかに表情が喜んだように思えた。
口では「えぇ会えないの?」と寂しそうにいったが、表情が言った言葉と伴っていない。
胸騒ぎしかしない。
あれから何度も歩と抱き合った。
なのに心に他の人がいるのかもと思いながらの行為は心と体が別に思えた。
歩は俺に溺れてるのではなく初めて知った快楽に溺れてるようにも思えた。
何度も好きだと、愛してると言われたけれど八雲 郁の存在が日に日に大きくなっていた。
疑念しかない状況の中で欲に勝てずに歩を抱いては後悔に潰される。
そんな時に、この表情はとどめを刺された気分だった。

次の日、俺は仕事を体調不良と言って変わってもらった。
この勘が外れ欲しい願った。
歩が帰ってくる時間を見計らって、帰って来る道にある交差点のカフェで時間を潰した。
二階があるこのカフェは店内から交差点が見渡せる。
ここで出会ったと以前言っていたから、会うならここかもしれないと思った。
ここしか思い浮かばなかった。
紅茶を三杯目を飲み終わる頃、あの時改札で会った男が姿を現した。
やっぱりここだったのか?!
それから30分ぐらい経って歩が来た。
俺の勘は当たってしまった。
二人は親しく腕を絡めた。
歩いて行く方向を目で追って行くと今俺がいるカフェに入ってきた。
一階と二階に席がある。
歩の事を考えれば二階に上がって来ることはない。
案の定10分経っても20分経っても二人は上がって来なかった。
一階が気になってはいるけれど、俺は二階二人が動き出すのを待った。
夕方になろうとした時二人は店を出た。
俺は急いで席を立った。
二人は交差点で別れた。
歩は家の方向に帰って行く。
俺は八雲 郁の後を追った。
こんな事男として…いや人としてしちゃいけない。
けれどこのままにしておく事は出来ない。
歩に聞けない俺はズルい手段を選んだ。
八雲の背中はなんだか寂しそうな虚しいように見えた。
歩との会話を知らない分何があったのか気になった。
もしかしたら歩はあいつと別れ俺だけを選んだのかもしれない。
ほどなくして八雲は足を止めて階段を上がって行った。
ここがこいつの家か…。
影に隠れるようにして家に入って行くのを見た。
部屋を確認して階段を上がって行く。
もし本当に歩が八雲と付き合っていたなら、俺はどうすればいい?
俺はどうしたいんだろう…。
それでも俺は歩と一緒に歩いて行きたいと思うのだろうか?
答えは出ないまま俺はインターホンを押した。
歩が来たと思ったのだろう、八雲の目線は俺の胸元で笑顔でドアを開けた。
歩はこの家に来てるのかと思った。
八雲は俺を顔を見て最初は誰だという顔をしたが、すぐさま頭の中で一致させたのか気付いた表情に変わった。
『八雲 郁さんですよね?』と、聞くと彼は呆気に取られてるのか首を縦に振った。
ここからどうするなんて考えてもない。
どうなるかも想像がつかない。
でも、行動を起こさないと今の身動き出来ない気持ちにピリオドを打てない。
俺は歩を愛してる。
その想いは最近現れたこんな奴に負けるような想いじゃない。
八雲は呆気に取られたまま俺を部屋の中に招き入れた。
通された部屋はよくあるアパートの一室で男の部屋だった。
女の…歩の形跡はない。
『あの…』
「唇読めますよね?」
『はい…僕は…』
「大丈夫です。ある程度の手話はわかります。私の事はわかってますよね?」
『はい…歩の…井伊垣さんの彼氏ですよね?』
今、歩って言った。
腹の奥がフツフツしてくる。
「はい、交際しており歩の卒業後結婚する予定です。なので今は婚約者になります。」
一旦間を置いて聞いてみた。
「八雲さんは歩と、どういった関係ですか?」
彼は困った顔になった。
なぜ黙る?
なんで言わない?
動こうとしない手を見つめながらイライラが募る。
「何故何も言わないんですか?」
痺れを切らし問いただした。
彼の顔が変わった。
『歩とは…付き合ってます。歩と別れてくれませんか?』
何を言ってるんだろう…想像はしていたけれど、はっきり聞いてしまうと思考が停止しようとする。
歩と付き合って…歩と別れてくれませんか?
真顔で言うこいつがわからない。
可笑しくて笑ってしまう。
「八雲さん、常識的に考えてください。貴方が言ってることは可笑しいですよ。」
『はい。わかってます。』
わかってないか言ってるんだろ!?
「歩と私が別れるなんて、ありえない。」
『なんでそんな事言えるんですか?』
「歩と貴方が付き合って行くことは不可能ですよ。」

あの日忘れ物を届けに歩の家に行ったあの日…いつものように玄関のインターホンを押そうとした時、おばちゃんの怒鳴る声が聞こえて、インターホンを押さずドアを開けた。
おばちゃんと歩は言い合いをしていて、いつもの二人の雰囲気ではなく気になった俺はそっと耳を傾けた。
二人の掛け合いは初めて聞く声色で緊張が走った。
その緊張は砕け散った。
緊張よりも衝撃の方が上回ったからだ。
おじさんが起こした事故の被害者があの八雲という男?
加害者の娘が歩?
俺はそこまで聞いて家を出た。
それ以上は聞いてられなかった。

『どうして、そんな言い切れるんですか?婚約者だからって、貴方が有利ではないでしょ!?』
食い下がる彼に本当の事をぶちまけたくなる。
「私は婚約者だから有利なんて少しも思ってないです。」
有利なんて思ってたら、わざわざこんな所まで来るわけない。
『じゃなんで、そんな事言えるんですか!?』
「それは…とにかく歩とは別れてください。それが歩の為になるんです。」
俺は言い逃げするように立って玄関に向かった。
『待って…そんな事言われてもわかんないです。』
「八雲さん…貴方と歩は付き合わない方がいいんです。歩を傷付けたくないのであれば別れてください。お願いします。」
俺の言葉に彼は戸惑いながらも反論しようとするが迷いが見られる。
俺はそんな彼をそのままにして家を出た。
帰り道突きつけられた真実に泣きそうになる。
何もないなんてあるわけない。
わかっていたけれど、どこかで歩を信じたかった。
俺はただ歩を信じたかったんだ。
まっすぐに帰ることが出来ず俺はさほど飲めない酒を飲みに歩いた。
酔った勢いで歩を呼び出した。
男として最低の行為だとわかっていても、素面で向き合う強さは俺になかった。