急な飯村のリクエストに答えたパンケーキ店は、紗江の思惑通り、お昼時だというのにすんなりと店内に入ることが出来た。
駅から少し離れた住宅街にあるせいだろう。

ナチュラルテイストの店内。
やはり客のほとんどは女性だった。

そんな四面楚歌に近い状況にもめげないのか、飯村は店の内装を物珍しげにキョロキョロと眺めている。


「いやあ、可愛いお店だねえ」

「そうですね」

「こういうところでデートするカップルもいるんだろうねえ」

「そうでしょうね」


どこか浮ついた口調の飯村に答えつつ、けれど紗江の頭は先ほどの灰色スーツの男…飯村の友人である藤堂のことでいっぱいだった。


「お待たせ致しました、ヘーゼルナッツクリームパンケーキでございます」

「あ、こっちこっち」


『まだ小説を書いてるのか』と明らかにイヤミを言われつつ、その時の飯村は少しだけ困ったような表情で言い返すことはしなかった。
まあ確かに、彼らの年齢になれば、飯村のような自称小説家は『いつまでも夢を追っているイタイ人間』と烙印を押されがちなのだろうが…。


「お嬢さん、食べないの?」


飯村はナイフとフォークをスタンバイしたまま、正面の紗江を覗きこんだ。
彼女の視線はようやく自分の目の前に置かれた皿に移ったのだが…。


「…意外と大きいですね、このパンケーキ」


大きめの皿の中央へドンと乗ったこんがり焼けたパンケーキ…が見えないくらい盛りつけられたクリーム。

果たしてこのパンケーキ、大の甘党の人以外は食べきれるのだろうか。


「そういえば、甘いものお好きなんですか」


大きく切ったパンケーキを頬張り始めた飯村に、紗江が聞く。


「んー?特には」

「えっ」

「だってテレビで、『甘いものが得意じゃなくてもペロリと食べきれる』って言ってたよ。
うん、美味しいねこれ」


それは明らかにテレビ向けのリップサービスだろうけど…。
紗江は笑いを口に含んだまま何も言わなかった。

そしてその15分後。

紗江の皿は、今やパンケーキが半月型になっていたが、対する飯村は皿の前でげんなりしていた。



「どうしたんですか、ぺろりと行けるんじゃなかったんですか」


ヘーゼルナッツクリームを食べつつ、紗江は彼を挑発する。
しかし飯村はその挑発を跳ね返す力も無いらしい。
15分前とは打って変わって疲れた表情を彼女へ見せた。


「し…塩辛いものが食べたい…」

「だから言ったのに」

「…お嬢さん、パンケーキ足りなそうだね?ぜひ僕のを」

「ちゃんと食べきって下さいね」


しかしまあ、なんと奇妙な光景だろうか。
くたびれた格好のおじさんが、ファンシーでナチュラルで可愛い特大パンケーキの前でげんなりしている。

紗江の口に、笑みが浮かんだ。


「今笑ったでしょ」

「笑ってません」

「おじさんがパンケーキに苦しめられているのを見て笑ったでしょ」

「笑ってませ、…くくっ」


パンケーキに苦しむ彼は、ひどい!とか残酷!とか、適当な悪態をつきつつ、観念したかのように再びパンケーキをちょこちょこ口に運び始める。


ひとしきり笑った後、紗江は今までの沈黙が色を変えたことに気付く。

今日一日「会話をしなきゃ」とか「相手が話し始めるかもしれないから」とか、沈黙がずっと重く感じられた。
しかし笑った後だからなのか、彼女の肩から無駄ないきみが消えたのかもしれない。



「…あの、しつこいと言われるかもしれないんですが」

「うん?」


紗江はナイフとフォークを置いた。


「本当に私なんかで…その、小説の参考になるんですか」


恋愛小説なんですよね?

彼女の問いに、飯村が悠々とフォークを置いた。