男性はその皺ひとつないスーツと同じように、小奇麗だった。

磨かれた黒い革靴に、キラキラと光るシルバーの時計。
黒々とした短髪。
いわゆる「会社経営してそうな男性」で、更にあえて言うなら飯村とは正反対の印象。

飯村と同じ年代に見える。
彼は飯村の返答の前に快活に言った。

「久しぶりじゃないか。いつぶりだ、明美の葬式以来だな」

そう飯村に寄ってきたことで、紗江は彼が『飯村と旧知の仲』と想像がついたが
しかし当の飯村が見せた笑顔は、『旧知の仲』の友人に見せるそれではなかった。


「あ、ああ…久しぶりだな」


強張った笑みへ、更に飯村は適当な返事をつけくわえた。

『旧知の仲』の男性の視線が紗江に移る。
気付いた飯村が、また適当に答えを口にした。


「彼女は、…僕の行きつけの喫茶店のウェイターさんでね。ちょっと小説の取材に付き合ってもらってるんだ」

「小説?お前、まだ小説なんて書いてるのか」


『旧知の仲』の男性が僅かに鼻で笑ったのを、紗江は見逃さなかった。
しかし男性は屈託のない笑顔で、紗江に握手を求めてくる。


「初めまして、飯村君の友人の藤堂と申します」

「…初めまして。内海です」


握ってきた男性の手は、この穏やかな気温にも関わらずほんの少し冷えている。


「ああ、どうせなら名刺を…」


男性は持っていた鞄の中を探り始めた。
その隙に紗江は、こっそり飯村を覗き見る。

やはり先ほど彼女が感じたのと同じように、彼の表情は固いままだった。



「私、こういう仕事をしています」

「わざわざありがとうございます…」


丁寧に差し出された名刺には、会社の名前と、「代表取締役」と銘打ってあった。
紗江が感じたままの印象は当たっていたようだ。


「いやあ、それにしても…」


藤堂と名乗った男性は、ニコニコと紗江を見始めた。
初対面では到底あり得ない『生温かい視線』に、彼女はぎこちなく笑う。


「えーっと、…何か?」

「ああ、これは失礼。内海さんが私の妻と雰囲気が似てましてね。もちろん、若い頃ですよ」


なあ、薫?

急に投げかけられた言葉に、飯村は上の空で「そうかな」とだけ答えた。
ぎこちない笑顔のままで。



「どちらの喫茶店でお勤めですか?」


それに気付かないのか、藤堂は紗江に笑いかける。


「ええと、…ここから駅4つ目の近くにある『エスポワール』という店です。
昔ながらの喫茶店なので、もしよろしかったらぜひいらして下さい」


「そうですか。ではそのうちにコーヒーを頂きにでも参りますね」



藤堂は形式的な挨拶を軽く交わし、「この近くに商談で来たので」とあっさり去っていった。

人混みの中へ小さくなっていく灰色のスーツに、紗江はぼそりと呟いた。



「…あまり仲が良くないんですか?」


飯村が一瞬驚いたように彼女を見たが、すぐに困った笑みを浮かべた。


「幼馴染なんだけどねえ。…あいつの奥さんが病気で亡くなった時から、折り合いが良くないんだ」


「………そうですか」

「まあ、僕の話はどうでもいいよ。パンケーキのお店、見つかったかい?」

「はい、なかなか良さそうな所が…ここなんですけど」


スマホ画面に映った可愛らしい店構えに、飯村は屈託なく笑った。


「ああ、良さそうだね。じゃあ行こうか」


駅へ再び歩き出した飯村を前に、紗江は何とはなしに後ろを振り返る。
あの灰色のスーツは、もうどこにも見えなかった。