木曜日、午後4時。
人もまばらになり始めた喫茶店へ、『いつもの彼』はやってくる。
「アメリカンを一つ」
口にするオーダーはいつも同じもの。
オーダーが済んだら、持参している古びた鞄から、これまたくしゃくしゃになったキャンパスノートを広げる。
そして短くなった鉛筆を額や唇へ当てながら、ノートへ何かを書きつけ…。
「お待たせ致しました、アメリカンコーヒーでございます」
オーダーのコーヒーを彼のテーブルへ運ぶ時、内海紗江はいつもそのキャンパスノートを覗きこむ。
そこには英語だったり日本語だったり、日本語でも知らない単語ばかり並んでいたり…
毎週見る度に、違った内容がぎっしりと書き連ねられている。
しかしどれも綺麗とは言い難い文字で、一瞥するだけで内容の全てまで分からないのが常だった。
そんな店員の視線に気づかないのだろう。
『いつもの彼』は、目尻に皺を浮かべて乾いた笑みを作る。
「ありがとう」
「どうぞごゆっくり」
紗江は彼への干渉そこそこに、笑顔のままテーブルを去った。
カウンター裏でこちらの様子を伺っていたマスターが、彼女が戻るなり口を開く。
「内海さん、どうだった?」
マスターは整えた口髭を摩りながら、興味を隠しきれないという笑みを浮かべた。
紗江も負けじとニヤニヤと笑いつつ答える。
「今週は日本語でした。…何だか、日本文学の云々…みたいな事を」
客がほとんどいなくなるこの時間帯。
その暇な時間に毎週きっかりやってくる「常連客」は、喫茶店員の格好の話題のタネだった。
「ふうん、そうかあ。『教授』はやっぱりインテリだね。案外、本当にどこかの先生かもしれないなあ」
『教授』というのは、マスターと紗江の間でつけた「常連客の彼」のニックネームだ。
男の人にしては少し長い髪。
色素の薄い、少し茶色がかったその髪は、手入れもそうしていないだろう髪型でも品が良く見える。
着ているのは、大抵スーツかくたくたの白いシャツとブラウンのセーターベスト。
すっと通った鼻筋。低い声。温和な口調。
二人は『教授』が30代、もしくは40代だと見ている。
「先生だったらこの時間にいないですよ。だって平日の午後4時に毎週来ているんですよ」
「そりゃそうかあ、ははは」
とはいえこのマスターも、温和さというかのんびりさにかけては負けてはいないのだが。