あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。

―――プロローグ―――



生まれて初めてあたしが愛した人は

特攻隊員だった。



大きな愛を胸に秘めた、

優しくて強い、あたたかい人。


あたしの大切な人。



彼は、あたしと出会ったときには

もうすでに死を覚悟していた。




「愛する人たちを守るために

俺は死にに征くよ」



揺るぎない瞳で、そんな悲しいことを言った。



「行かないで」


泣いてすがるあたしを、


彼はただ静かな眼差しで

あたしを包み込むだけで………。




そして、ある夏の日、


恐いくらい綺麗に晴れた青空の向こうへ、


消えていった―――。





ねえ、彰。

あたしの声が聞こえますか。


今、あなたはどこにいるの?


そこは、痛みも苦しみもない、

安らかな場所ですか?



風に吹かれる花びらのように

儚く散ってしまったあなたが


せめて今は

穏やかに眠っていることを祈ります――




〔まえがき〕


はじめまして、汐見と申します。

このたびはこの作品を開いていただき、ありがとうございます。


2015年は、第二次世界大戦が終焉を迎えてから70年の節目の年です。

終戦70周年記念ということで、戦争についての小説を書いてみようと思いました。



かつて、私の故郷・鹿児島には、「知覧特攻基地」と呼ばれる陸軍基地がありました。


この基地から出撃した400人以上の若者が、死を覚悟の上で敵軍に突撃して、死んで行ったといいます。



沖縄戦にあたり、日本全国、または台湾の飛行場から出撃して、戦死していった全特攻戦死者は、千余人。


その約半数が、知覧飛行場から飛び立っていったのです。



現在、この知覧という土地には、「知覧特攻平和会館」という資料館が建てられています。


生活用品などの遺物。

特攻隊員たちが家族や友人、恋人に宛てた遺書。

特攻への決意を語った詩歌などの絶筆。

出撃前夜、出撃直前に撮影された、晴れやかな笑顔の写真。

彼らが乗り込み、共に海の藻屑となった戦闘機。


たくさんの展示品から、戦争のやるせなさを感じます。




特攻隊ーーー『特別攻撃隊』。

海軍による神風特別攻撃隊がまず編成され、その後、陸軍が振武隊などの特別攻撃飛行隊を編成しました。


特攻隊に入隊したのは、ほとんどが20歳前後の若者。


彼らは、「お国」のため、「天皇陛下」のため、

重さ250kgの爆弾と、片道分の燃料だけを積んだ戦闘機に乗り、文字通り「死にに」行きました。


「天皇陛下万歳!」

と叫びながら、爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして、若い命を散らしたのです。


戦時中は、彼らのように国のために華々しく戦死すること―――特に若くして戦死することを、称賛と尊敬の意を込めて「散華する」(さんげする)と言っていたそうです。


「若い命の華が散る」。


こんなにも悲しい言葉があるでしょうか?



こんなことを言うと偽善的に聞こえるかも知れませんが、

日本がもう二度と戦争に加担しないこと、世界中の戦争が終わることを、

心から願ってやみません。



※本作品はフィクションです。

実在の人物や施設、歴史的事実などとは無関係なものとしてお楽しみ頂けると幸いです。







第一章


初夏





第1節


防空壕の跡















「―――えー、そういうわけで、1945年になるとますます戦況は悪化して、日本の劣勢は明らかに………。

全国各地が米軍によって空襲されて焼け野原になり、この町でも一度、終戦間際に大きな空襲が………」



社会教師のヤマダが野太い声で喋りながら、かつかつと音を立てて黒板に何かを書くのを横目に、あたしは全く別のことを考えていた。



―――なんで、こんなにイライラするんだろう?


自分でも理解できないくらい、あたしは毎日毎日、とにかくイライラしている。



口うるさく小言ばかり言ってくる親も、熱気のこもった暑苦しい教室も、教壇で偉そうにしゃべっている先生も、クラスメイトがかりかりと板書を書き写す音も。

全部ムカつく。

なにもかもがあたしをイラつかせる。


あたしは苛立ちを隠しもせずに、きつく眉を寄せ、頬杖をついて窓の外に顔を向けていた。


もちろん教科書もノートも開いていないし、そもそも筆記用具さえ机の上に出していない。


だって、勉強は好きじゃないし、その中でも歴史の授業はいちばん嫌いだ。

何十年も何百年も昔のことなんか勉強して、いったい何になるっていうわけ?


あたしは高校に行きたいとも思っていないし、テストの成績もどうだっていい。

そんなの下らない。

だから、勉強なんか必要ない。


あたしは学校が大嫌いだ。

こんなに息苦しい場所って、他にある?

本当はこんなところ来たくないけど、来ないと親や教師からごちゃごちゃ言われてうざったいから、仕方なく来てるだけ。



窓の外では、蝉の声がうるさい。

まるで鳴き声で世界を黒く塗りつぶそうとしているみたいだ。



ああもう、どこを見ていてもイライラする―――。




「―――おい、加納!」



いきなり大声で名前を呼ばれて、あたしは顔をしかめてゆっくりと視線を前に向けた。

教壇の上から険しい目付きであたしを睨んでいるヤマダと目が合う。



「お前、話を聞いてるのか!?」


「………いちおう、聞いてます」


「一応だと!? ちゃんと気を入れて聞かんか!

おい、板書は写してるんだろうな!?」



威圧的で怒鳴るような口調。

教師って、どうしてこんなに偉そうなんだろう。

そんなたいした人間なんだろうか?


「写してません」


嘘をついたって仕方ないし、そもそも取り繕う必要もないと思ったので、あたしは正直にそう答えた。

その瞬間、ヤマダの顔が茹でダコみたいに真っ赤に染まる。



「ふざけるな!

お前、先生を馬鹿にするのもいい加減にしろよ!」


「………」



べつに、馬鹿にしてるつもりはないんだけど。

訂正するのも面倒なので、あたしは黙ってヤマダを見つめ返した。



「………ふん、まあいい。120ページの4行目から読め」



あたしはため息をついて引出しの中から教科書を取りだし、ゆっくりと立ち上がった。


クラスメイトたちが、ちらちらとこっちを見てくる。

ヤマダの額には青筋が浮いている。


あたしはもう一度ため息を吐き出して、指示された場所を読み始めた。



「………そこで日本は、不利な戦況を打開するために、特攻作戦を決行………」


「声が小さい!」



怒鳴り声に遮られて、あたしの苛立ちは最高潮に達した。




「―――気分が悪いので、保健室に行ってきます」


あたしは一方的に告げて、教科書を投げ出し、すたすたと歩き出した。

ヤマダが眉をしかめて「おい!」と言ったけど、無視して後ろのドアから廊下に出る。


クラスメイトたちが唖然とした顔で見ていた。
それから、周囲の子達と何かを言い合っている。

普段はあたしのことなんか見て見ぬふりで空気みたいに扱うくせに、こういうときだけは興味津々なんだから、笑える。



ああ、本当に、なにもかもがイライラする。


あたしは保健室には行かず、階段をのぼっていく。

立ち入り禁止屋上に出るドアの鍵が壊れているのを、あたしは知っていた。



目映い陽射しに照らされた屋上は、吐き気がするほど暑い。

どこにいたって居心地が悪いのは同じだ。

家も、教室も、青空の下でさえ、あたしの苛立ちは収まることはない。

でも、誰にも見られる心配がないこの場所が、まだいちばんマシだった。



下校時刻になるまで屋上で時間をつぶして、ひと気のなくなった教室に鞄を取りに戻り、あたしは逃げるように学校を出た。







両側に家やアパートが鈴なりになった細い道を、ひとりでゆっくりと歩く。

どこかに向かって歩いているというわけではなくて、黙々と足を動かすだけ、という感じだ。



もう夕方なのに、陽射しはまだまだきつくて、じわりと汗ばんだ背中が気持ち悪かった。



毎日歩いている道。


あたしは今まで何回、この道を歩いたんだろう。

あと何回、この道を歩かなきゃいけないんだろう。



そう考えただけで嫌気がさして、何度目かも分からないため息が出た。



毎日毎日、同じことの繰り返し。

代わり映えのない、平穏すぎてつまらない生活。



いやだ。

イライラする。


こんなところにはいたくない。

早く抜け出したい。



でも、どうやったら抜け出せるんだろう?



古びたアパートの前で、あたしは足を止める。

錆びだらけの階段の脇をすり抜けて、一階の一番奥の薄暗い玄関の前に立つ。


ここがあたしの家。

物心ついた頃からずっと、ここに母親と二人で住んでいる。


父親が誰なのかは知らない。

母親は22歳であたしを生んで、そのときからずっとシングルマザーらしい。


そんな家庭環境もあって、あたしは周囲からいつも色眼鏡で見られている気がする。

可哀想な子として同情されるか、腫れ物に触るように様子を窺われるか、片親だからひねくれた子に育ったんだと陰口を叩かれるか。

蝉がうるさい。
イライラする。

あたしは鞄から鍵を出して、静まり返った部屋の中に入った。



部屋には熱気がこもっていて、息苦しいほど暑い。

あたしはリビングの窓をあけて、扇風機のスイッチをいれた。


テレビの電源を入れると、夕方のニュース番組が流れ始める。


ただ沈黙が嫌だっただけで、別にテレビが見たかったわけではないから、興味もないニュースを垂れ流しにしたままであたしは床にごろりと寝転がった。