「きゃああっ!」
思葉は驚きのあまり悲鳴をあげて立ち上がった。
ざぱっと水面が白く泡立ち、激しく波打つ。
もう一度見てみたが、湯船はもう元に戻っていた。
お湯はきれいな透明で、底にある自分の足も栓も、滑り止めの凸凹もよく見える。
おかしなところは何一つない。
ぴちょん、ぴちょん、水が跳ねたり雫が垂れたりする音だけが聞こえる。
つま先から悪寒が電流の如くこみあげてきた。
火照った身体が一瞬で寒くなる。
思葉は浴槽の栓を引き抜き、逃げるようにして洗面台に出た。
バスタオルを羽織ってしゃがみこむ。
全身が震え、歯が小刻みにカチカチ鳴る。
湯船いっぱいの誰かの髪。
一瞬でかき消えたそれは幻だったのだろうか……それにしては、身体に触れていた感覚はひどく生々しかった。
「もう、何なのよ一体……むかつく、意味分かんない……本当に、何なの」
思葉は震える息を吸い、怒った声を発した。
それからぶつぶつ文句を言いながら身体を拭いて着替える。
あの得体の知れない光景に対して怒っていなければ、恐怖で押しつぶされてしまう。
とにかくまとわりついてくる不安を少しでもそぎ落とそうと、思葉は意味のない言葉を吐き続けた。