空っぽになった子宮に私は何を期待していたのだろうか?
身勝手な涙を流してやろうと息巻いていた17歳の私は自分の感情の種類の乏しさに落胆するだけだった。
小さな生命を自らの意思を持って殺すという選択は10代としてはごく自然な行動であり、また、軽率な自分を責め、罪悪感いっぱいで打ちのめされたかった。
全身麻酔で眠りについた私の身体は中絶という行為の事実さえなかったもののように扱っている。少しばかり足取りはふらつき、子宮もほんのり痛いようだが、毎月ある生理痛を思えば取るに足らない痛みであると判断している。
私の涙腺には期待出来ず、またそこに泣く理由がないのであれば、決して涙が溢れる事はないだろうと思った。
何故なら私の妊娠は意図的ではあったが、出産という選択肢は鼻からなかったのだから…。
誰の子供であるかが問題になるのか?中絶費用を持って欲しいだけで、彼に愛だの恋だのそのような甘ったるい感情はなく、苦手な教科の加点を望む程度だ。
先ほどからすごい数のメールが届いているが、内容は読まずにいる。
私は彼女が亡くなってから、本当に泣く事が出来なくなっている自分に安堵感と忠誠心を抱くだけだった。
雨は降らず、雲一つ見当たらず、太陽の光と暑さだけが、制服のブラウスに汗を滲まして、キャミソールを着るのを忘れた私の下着の線が浮き出させてくる。羞恥心はなかった。すれ違う男達の視線が心地よく、何よりも彼女譲りの整った清楚な容姿に私は満足していたからだ。
もう一度空っぽになったばかりの子宮に手を当てて、猫が大好きだった彼女を思った。
(おばあちゃまはこの子を気に入ってくれるだろうか…?)
彼女が寂しくないように…猫の変わりにでもなればいい…。
そう思ったら、顔が緩み私は笑顔になれる。歩調のリズムもいつも通りになった。