息子の涙を見たあの日から三日経った。私の病状は急激に悪化し、高熱による意識障害でもはや思考すらままならない状態になっていた。自宅に家族や親戚が集められ最後を看取る準備を皆が粛々と進めはじめた。私は高熱に浮かされながらも断片的に鮮明になる意識の中で、遠い昔の夢を見ていた。息子が幼い頃、妻が健在でおしどり夫婦などと呼ばれていた頃の夢だ。夢の中は笑顔であふれていた。どこを向いても大輪の笑顔が咲いているのだ。見る事はできないが、きっと私の顔にもとびっきりの笑顔が浮かんでいる事だろう。それは、きっとこれが幸せの形なんだと思える様な幸せな夢。
頭の冷静な部分が、これがよく言う走馬燈という奴なのだろう、と言っていた。かすかに夢にも届く私の大切な家族達の泣き声がより一層それを確信させる。私は最後になるかもしれない幸せな夢を時間の許す限りじっくりと見る事にした。