その電話は青木からで、あの時の男の子が目を覚ましたということだった。
電話を切った後、この事件に俺たちが関わってることを知ってる、上司の佐々木さんが話しかけてきた。
「鏑木、警察の方はなんだったの?」
「それが例の事件の男の子が目を覚ましたみたいで…。」
「そっかぁ、じゃ他に連絡入れて来てくれる人探して。鏑木と朱里ちゃんが抜けると僕たちも困るからね。」
佐々木さんは俺が新卒でここに来てから、もう七年も可愛がってくれている。
今年43歳になる佐々木さんは俺にとって尊敬できて、少し歳の離れた兄貴みたいな存在だ。
「いや、でも…」
「ばぁか!気になってるんだろ?行きたいって顔に書いてるんだよ!仲良く二人とも!」
そう言って豪快に笑う。
朱里がとっさに両手で顔を覆う。
「あっありがとうございます!!」
やっぱりこの人のこうゆう所が好きだなぁと思いながら、職員名簿を開いた。
一時間程してから、交代してくれる同僚が来てくれた。
佐々木さんの優しさに甘え、この日二人で早退した。
青木に連絡をし、そのまま病院へと向かった。

この一週間テレビなどで取り沙汰され大きな事件となっていた。

『××町ゴミ置場児童置き去り事件』

一部の週刊誌がそう名付けた。

《身元不明の少年はいまだ意識が戻っておらず、眠ったままです。》
《一体誰が何の為に幼き少年を捨てるなどという、こんな残忍なことをしたのでしょうか》
《その少年が捨てられた場所は、どこにでもあるゴミ捨て場でした》

テレビのワイドショーはこぞって、この事件を取り上げ連日 取材だと職場や、どこで知ったのか自宅まで押しかけてきていた。

「いやぁわざわざ来て頂いてすんませんなぁ」
またしても病院の玄関先で待っていた青木は頭を掻きながら近づいてきた。隣には木田もいる。
付き添いのもと、男の子と面会できるようになったのだ。
電話で報告を受けた際、どうしても一目会いたいと懇願したからだ。
「いえ、こちらこそ無理を聞いてもらったので…」
「いや、それがですな先生の話やと鏑木さんたちに是非会ってほしいと言うんですわ。」
何故、俺たちに会ってほしいと言うのかわからなかった。親族でもなんでもなく、ただ見つけたというだけの人間に会ってほしいなんて…。
通された病室の入口には二人の警察官が立っていて、いつも見たり行ったりする、見慣れた感じの部屋ではなく、それよりも閑散とし、冷たい印象を与える部屋だった。
少し大きめの部屋の真ん中にぽつんベッドが置かれ、その上にはあの時の男の子が座っていた。
だがあの時の男の子とは別人だった。何故なら腫れて痛々しかった目元は腫れが引いていて、かわいい印象の目元になっていたし、見る限り傷やあざも、あの時より少なくマシになっていたからだ。
男の子は表情一つなくカーテンが閉められたままの窓を真っ直ぐ見据えていた。

「こんにちは」

俺たちに話するときよりも、少し高めの声で優しく青木は声を掛けた。
無表情のまま振り返り、すぐさま窓へと視線を戻す。

「こんにちは、この前来たんだけど、覚えてるかなぁ?」

今度は青木に背中を押されて木田が前に出た。
二人の間には関係性が出来ていて会うのが二回目の俺にも、なんとなくわかった。
男の子は窓に視線を残したまま小さく頷いた。

「あれから何か思い出したりしたかな?」
木田は子供の目線まで腰を下ろし優しく問い掛けた。
男の子は今度は小さく首を横に振った。

この問い掛けに俺たちは、こうゆうことだったのかと納得した。
青木を見ると、その通りという顔で目線を返してきた。

「そっか…あっ今日はね、ちょっと会って欲しい人がいて連れてきたんだけど、会ってくれる?」
男の子は少し間をおき、こちらを見た。それから、また小さく頷いて、そのまま俯いてしまった。

「こんにちは。私 猪田朱里って言います。よろしくね。」
すぐさま腰を下ろし話しかけた。俺もだが、朱里も子供の相手は仕事柄慣れてるところがあった。いや、朱里の方が慣れているかもしれないと思った。やっぱり俺は少し怖く今一歩前に行けなかったから。
余計な感情なく子供と向き合えるとこが朱里の良いところだと思った。

「あっ、こっちのお兄さんは鏑木正親。」
そう紹介され俺はよろしくね。と声を掛けた。
その瞬間俯いていた男の子は勢いよく顔上げた。

「………………知っ………」
「えっ?」
男の子が声を発した。
その声はとても小さく誰も聞き取れなかった。
「………ボク……知ってる……」
「えっ知ってるって、このお兄さんのこと?」
近くにいて男の子の声を聞き取った朱里が聞き返した。
男の子はまた小さく頷いた。

俺の頭の中はちょっとしたパニックを起こした。だって俺はこの子を見つけただけで、名前も何処の子かも知らない全くの他人だからだ。なのに、その他人である、男の子に知ってると言われた。しかもこの事件の当事者である、この子にである。

一瞬で室内は氷付いた。この男の子の一言で自分は発見者から犯人に昇格しそうな空気になったからだ。
青木は静か咳払いをすると、鏑木の肩に手を置いた。
鏑木は体を硬直させた。

「知ってるって、どうゆうことかな?」
青木はいつもと同じ声色で話掛けていた。
「青木さんっ!」
低い声色で話す青木を敏感に木田が制した。
「あっすまんすまん。…で、どうゆうこと?」
また少し高めの声で話しかけた。
すると男の子は、ゆっくり顔上げ
「お兄ちゃんの声知ってるの」
今度はしっかりとした声で答える。
「声って…なんで」
俺は少し緊張しながら聞いた。
「わかんない。」
そう言うとまた黙り俯いてしまった。

空気を変えようと
「そっか、お兄ちゃんの声覚えてたんだ。」
朱里が笑顔で話しかける。
そっと朱里は男の子の手を握った。
もしかしたらという想いで…。
その想いは、すぐに伝わる。
「お姉ちゃんの手も知ってるよ」
そう言って朱里を見るその顔には初めて笑みを浮かべていた。
その笑顔を見た朱里は
「そっか、お姉ちゃんの手も覚えてたんだ。」
そう言って涙を流した。
「お姉ちゃん…」
心配そうに小さな手がその涙を拭う。
「ごめんごめん、お姉ちゃんちょっと顔洗ってくるね。」
「大丈夫?」
「うん、平気」
朱里は、病室を出た。
そっか、そうゆうことかと理解できた俺は少し安心した。
反対に青木は何か手掛かりかと期待したのだろう少し落胆していた。

朱里の後ろ姿を真っ直ぐに見つめ後を追う視線。
その強くて真っ直ぐな視線を遮るように声を掛けた。
「さっきのお姉ちゃんね、救急車の中でずっと こうやって君の手を握ってたんだ。だからそれを覚えてくれていた君に、嬉しくて泣いたんだ。」
車内で朱里がしてたように手を取り握ってみせた。
「嬉しくて泣くの?」
「そうだよ、決して悲しくて泣いたんじゃないから安心して。大丈夫だから。」
「うん。」
そしてまた、窓を見つめた。でも握った手はそのままで。

どれぐらいの時間そうしてただろう、何かをするわけでも、話すわけでもなく、ただずっと手を握って三人で外の見えない窓を眺めていた。カーテン越しの外は少し日が落ちて来ていた。

青木がそろそろと、声を掛けてきた。
はい。と返事をし立ち上がる。
黙ったままの男の子が手に力を込めた。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんそろそろ帰らないと。」
一層手に力が入る。
「ねぇあのね……」
朱里がそう言いながら男の子の顔を覗きこんだ。
瞬間、朱里が泣きそうな表情で俺を見た。
すぐに俺もその子の顔を覗き見た。
必死に声を殺し、目には今にも溢れそうな程の涙をためていた。その顔を見たら誰でもが朱里のような顔になるだろう。
俺もそうだったから。
この時間この子にとっては、ただ手を握り過ごしていたのではなく、その時間が会話になっていたのだろうと思った。
そう思うと手をほどくことができずにいる俺たちに、男の子は問い掛けた。
「また、会いに来てくれる?」
泣くのを我慢しながらの声は震えていた。
俺たちは青木の様子を伺い頷いた青木を確認し、すぐに「もちろん」と朱里が答えた。
すると、力込めた手はするりとほどけた。

俺たちと男の子は またね と約束して別れた。

病室を出てから、あの男の子が自分の名前や何処に住んでるのか親のこと、年齢や学校、全ての自分に関する事の記憶がなく医者も匙を投げていた。最後の手段として、きっかけになりえることは試したいということで俺たちに合わせてくれたと青木が言った。
身体的には何ら問題はなく、やはり事件が引き金になってる精神的なことなのだろうと。
実際会うことで成果があった。
意識が戻ったのは、事件から5日後の朝。それから俺たち会う今日までの2日間何も話さず、笑顔どころか、泣くことも感情を表に出してなかったと。
それを聞くとまた胸が苦しくなった。目を覚まし自分の事も周りの大人たちも、わからないあの病室で心細いはずなのに。
職業柄色んな子供たちと出会ってきたけれど、これ程までに心締め付ける想いはしたことがなかった。
帰り道二人でいつもより強く手を握り繋いだ。
あの子の強さを思い出すように。

それから2日経ち、俺たちは男の子の存在が誰なのかを深夜のニュース速報で知る事となる。

《ゴミ置場児童置き去り事件 被害者児童の母親らしき女性の遺体発見》

俺も朱里も寝ようとしてた時だったが眠気も吹っ飛び二人でその文字に釘付けとなった。
その直後、俺の携帯が軽快な音楽を鳴らし着信を告げた。