週が明け会社に行って仕事をしていても私は先日和美に言われた言葉が頭にこびり付いて仕事に集中出来ないでいた。
「どうした?朝からボーっとして」
「あ、部長、すいません。ちょっと考え事をしていて」
そんな私の様子に気付いた部長が声を掛けた。
「何だ、何だ、その様子じゃ昨日彼女と喧嘩でもしたか?いいなあ若い者は楽しそうで」
「喧嘩じゃないんですけど・・・ちょっとした擦れ違いというか、男と女の考え方の違いですかね」
「まあ若いうちは色々な事があるさ、まあうちなんか一緒になって何年も経っているから喧嘩にもなりゃしない。もっとも顔を合わせるのも朝だけだから喧嘩する時間も無いがな、ははは」
部長は会社から結構遠い所に家を構えていたので朝も早く、また部の責任者という事もあり毎日遅く迄会社に残って仕事をしていた。
誰よりも遅く迄働く部長を入社以来私は誰よりも尊敬していた。そして共働きが多い今の世の中で奥さんを働かせない事もその理由の一つであった。
自分も結婚したら女房は働かず家で自分を待っていてくれる、そんな家庭を築きたいと思い描いていた。そしてそれが男の役目だと信じて疑わなかった。
そんな部長は家に帰って食事をするのが面倒らしく、仕事が終わると一杯引っ掛けて帰るのが日課となっていた。一人で飲むのも退屈な部長は会社に残っている部下を代わる代わるその相手に誘っていた、勿論私もその一人であった。
「何なら今日どうだ?軽く。これでも一応部の責任者だからな、部下の悩みは相談に乗るぞ」
半分は本気で半分は今日の酒の相手探しだと思ったが、私はつい先日の和美の事で部長の考えを聞いてみたくなってその誘いに応じた。
そしてその日仕事が終わった私は部長の行き付けの居酒屋に居た。
「今日もご苦労さん」
「あ、お疲れ様でした」
そう言うと最初のビールを一気に空けた。
「ふう~、毎日飲んでも最初の一杯は上手いな」
「そうですね、でも私は毎日飲んでいる訳じゃないですけど。部長はほぼ毎日ですよね」
「ああ、そうだな。仕事が遅いし、家に帰る迄に腹が減るからな。それに急にお客と飲む事もあるし、そうすると食事を作る女房が怒るんだよ、連絡もしないで!ってな。まあ食べるか食べないか判らない飯を用意するのも可哀想だしな」
「連絡しないんですか?」
「馬鹿!仕事関係の人に飲みに誘われていちいち男が家に電話なんか出来るか、格好悪い。だからある時から夕飯は用意しない事にしたんだ。まあ俺の話はどうでも良いとしてお前の話を聞こうじゃないか、なあ」
部長は自分の家庭の事を言うのが照れ臭いようであった。
「実は・・・」
私は部長に先日の和美とのやり取りを掻い摘んで話した。
「なるほど、俺もお前の考えは間違ってないと思うぞ。男が仕事をして金を稼ぐからこそ結婚も出来るし安定した生活が送れる訳だ。それに女房や子供の為に一生懸命働くのは昔から男の義務じゃないか」
「で、ですよね。私もそう思うんですよ。幾ら好きだの何だのと言ったところで結局生活出来なければ何もならない訳だし」
「そうだとも!愛でお腹は膨れないさ。それにうちの部の独身の女の子達に聞いたって結婚するなら顔よりある程度の年収だなんて話をしてるぞ、皆涼しい顔をして」
「え、そうなんですか?」
「ああ、顔は付いてりゃいいなんて言っているのも居たな、ありゃ誰が言ってたんだっけ?いやいやあれには参った。最近の女の子はドライというか、現実的というか、ははは」
「そうなんですか・・それも何か怖いですね。そんな話を聞くと女性に対して幻滅しますよ、ニコニコしながら顔や性格じゃなくてこっちの年収をチェックしてると思うと」
「ははは、まあ女性は子供を産んで育てるからな、そういうのを考えての事だろうよ。動物だって昆虫だって雌は強い雄を求めるだろ?それと同じさ、ただ人間の場合はそれが金という生活力になっているのさ」
「生活力か、なんか良く考えたらそれも虚しいですね」
「馬鹿だな、これが昆虫や動物のように弱肉強食の世界だったら弱い男は良い女だってモノに出来ないんだぞ、そう考えたら人間で幸せさ、人間だったら頭で金を稼げるんだぞ」
「あ、そうか。それもそうですね」
「そうさ、昆虫のように大きな巣を作ったり。そう言えばこの前何かのテレビで見たが、どこの国か忘れたがそこの海岸に生息する蟹がいるんだよ、その海岸で二匹の雄の蟹がな、一生懸命雌の蟹の前で砂で大きな巣を作るんだよ、そしてより高い巣を作った雄の巣に雌が入って行くのを見た時は涙が出たよ、ははは。雌の蟹にも人間の女性にも大きな家は魅力的なのかと思ってさ。それに雌に選ばれないにしても他の動物のように別の雄と血みどろになって戦って勝たなければ交尾も出来ないなんて考えられないだろ」
「ははは、確かにそうですね。うちの会社の野村のようなのと力づくで女を取り合ったりしたらどうやっても勝ち目が無いですよね」
野村というのは大学でラグビーをしていたという体のゴツイ総務部の社員だった。
「ははは、これが戦国時代や動物の世界だったら野村の一人勝ちだったかもしれんな」
「野村も生まれてくる時代を間違えたのか、ははは可哀想に」
「まあ、そういう事だ。だからお前の考え方は間違いじゃない、彼女もそのうち判ってくれるさ。さてと、冗談はさておき俺はそろそろ帰るとするか、少し早いがまだ月曜日だし」
確かにいつもゆっくり飲む部長にしては随分早い帰り時間であった。
「珍しく早いですね」
「ああ、朝から女房が少し熱っぽいらしくてな、だから今日位は早く帰ってやらんと」
「え、そうだったんですか?それはすいません」
「何、どちらにせよ飯は食わないとならない訳だし、こっちこそ誘っておいて先に失礼して悪いな」
「いえ、何か却って申し訳ありませんでした、部長のお話大変参考になりました、特に蟹の話が」
そして部長は会計を済ませると足早に店を後にした。このまま一人残って飲み直そうかと思った私であったが、一人で飲むのも何だと思った私は一旦店を出る事にした。
外に出るとこれから飲みに行くであろうサラリーマンの姿が多く目に付いた。時計を見るとまだ九時前、時間的にこれからの時間かもしれない。
何処かで軽く飲み直そうかと思っていた私は少し前に行ったあのスナックを思い出した、考えてみるとあれから一度も行ってなかった。
(今の時間ならスナックも空いているだろうし、水割りに渇き物なら丁度良いかもしれない、それにボトルも残っているから安く飲める筈だ)
そう思った私であったが本心は少し違っていた。確かに今部長と話をして一応自分の考えが間違っていないと納得はしたが他に誰か、特に女性からの意見を聞いてみたかった。
そしてそれは見ず知らずの女性、こう言った表現をしたら失礼であったが会社関係や友人関係ではなく、自分や和美の事をあまり知らない人に聞いてみたかった。