目覚めると、洗面台に立ち、唯一1日のうちでまじまじを顔を見る。




 唯一の瞬間。


 それは、最低限の身だしなみに気をつけることで必要だったが、

 目を見れない。




 直視ができないのだ。

 
 自分というのを、直視できないのと同じことだと思う。




 目の周りや鼻、口、眉毛などはみれる。




 要は部分、部分は見れるのだった。




 ただし、部分部分をみれても、全体、自分を見れないでいる。




 そんな、自分も嫌になる。

 


 時間はかかるが、どうしても見れないでいる自分。



 目は物を言うと、昔から言われるが、まさしくそのとおりだ。


 自分というのを、正確に捉えることが出来ない。


 それだけの理由。


 だから、いつも洗面台の向こうの自分は違う、人間として捉えることがある。


 向こうは向こう、こっちはこっちで…


 それが何とも思わないから、変人なんだと思う。


 


 
 朝ご飯をがんばって、食べて支度をして、家をでる。




 別にがんばる必要はないが、食事は無理やり。




 食べなくても、生きていける気がするし、食べないでどこまで

 行けるのかも知りたいし、太っている自分はかなりのストレスだ。





 周りはどう思われようが、自分は自分で、太っていると感じている。

 


 体重は40キロ半ばだか、見た目は太っていると思っている。



 30キロだったら、納得するのかな?




 でも、それでも太っていると思うかもしれない。




 体重維持ではなくて、体重減は喜びかもしれない。


 どこまで体重を落とせるか、ここにポイントをおいているのかもしれない。




 
 練習は過酷で、辛いもので、食べないとだめだからという、それが大前提。


 なにも、してなければ太るに決まっている。




 それが、自論。