「ねえね、蓮人。みんながいないときはさ、お嬢様って呼ぶのやめてくれない?」


蓮人はびっくりした表情を見せ、「ではなんと呼べば…」と、困り果てた。


わたしはとびっきりの笑顔で言った。


「蓮人の好きな呼び方で良いよ。それと、敬語もなしねっ」


夕方の太陽のせいなのか、その時の蓮人の頬は少し赤みがかっていた。


「じゃあ…『ひだまり』なんてどうかな」


「ひだまり? なんか可愛い!」


蓮人は照れながら、


「じゃあそれで。ほら、お嬢様の名前を縮めたら『ひだまり』なるし、それに…」


「それに?」


「…なんでもない」


蓮人はそれ以上なにも言わなかった。


今思えば、蓮人が言おうとしたことってなんだったんだろ。


ぎゅうぎゅうに荷物を詰めたスーツケースを引っ張りながら、ふとそんなことを思った。


わたしが家出の話をしたときに、真っ先に賛同してくれたのも蓮人だった。


「ひだまりがひだまりらしくいるためには、こんなところで縛られてちゃだめだ。お前にはもっと広い世界を知ってもらいたい」


かっこつけてそんなこと言ってた。


広い世界かぁ。


外の世界のことをほとんど知らないから、わたしにとっては全部が未知の世界。


これからどうやって生きていこうか、ほぼ考え無し。


一々考えて出たら、それがうまくいかなかったときに困るからっていう、蓮人のアイデア。


全部が新鮮なわたしにとっては、そっちの方がワクワクする。


そうしてわたしは日高家の門を抜けた。


これでもうあたしは日高家のお嬢様じゃなくなった。