異世界で帝国の皇子に出会ったら、トラブルに巻き込まれました。




今までの様々な言葉の端々から、お母さんは娘のあたしを水瀬の巫女にしたくなかった……つまり、ごく普通にひとりの女性として幸せに暮らしてほしいと。こんな因果に関わらず、何も知らずに人生を終えて欲しかったと望んでいたと解る。


それは、たぶん。あたしが水瀬の巫女の因果を自分の死で終らせようとしたことと同じ。悲しみや不幸を繰り返さないため、巫女という役割を放棄させようとした。


もしもあたしがこの世界へ来なければ、何も知らずに一般人として生きたことは想像に難くない。


親しい人とは縁が薄かったけど、それでもあたしには唯一無二の友達である芹菜がいた。もしかしたら他に大切な人だってできていたのかもしれない。


けれども、実際にあたしは召喚されてこの世界へ――ディアン帝国へとやって来た。


そもそも、あたしを召喚したのは誰?


あたしを水瀬の巫女と知っていて、なおかつ日本にいるとの情報を持つ人物。それは皇帝陛下が関わる機密である以上、ごく一部の人しか知らないはず……。


なら、いったい誰が?


それに、あたしを召喚したのにその理由が未だにはっきりとしない。召喚してからかれこれ半年近く経つのだから、今まで接触がないとおかしい。


そこで、ドキンと心臓が嫌な音を立てた。


“接触がないとおかしい”――自分の思考なのに、その言葉がギリッと胸に食い込む。


「まさか……」


あたしはひとり、呆然としながら呟いた。


「あたしを召喚したひとは……今まで接したなかにいる?」


何気ない呟きだったのに、何故だか妙な確信を得てそれが事実だと胸にストンと落ちてきた。







「なごむ、どうした?気分でも悪いか?」


あたしがずっと俯いたままだったからか、護衛のロゼッタさんが心配そうに声を掛けてくれた。


そういえば、彼女は一番最初に接触したディアン帝国人の一人で。旅の最初からずっと着いて来てる。


たしかに、召喚されて初めて訪れたのはロゼッタさんの集落だった。一番近かったからという理由があったけど。


現れた場所=あたしの召喚に関わりがあるという考え方はしない方がいい。召喚の儀式はとても難しいものだと聞いたことがあるし、そんな力のある人がそうそう辺境にいるとも思えない。


「そういえば、ロゼッタさんの出身の集落で。魔術師とかいた?」

「魔術師? なんだそれ。わたしの集落には呪い師ならいたけど」


なぜ聞かれたのかわからないという状態で、ロゼッタさんはきょとんとした顔をしている。裏表がない実直な彼女だから、事実は答えの通りなんだろう。




ちなみにこの世界での呪い師は呪いを生業にしてるわけでなく、お祈りをして病気の快癒や天候の回復を祈る、祈祷師のようなもの。医者や薬師がいない土地では重宝されてた。


「そっか……そうだよね。ありがとう」


わかってはいたけど、あたしは安堵の息を吐く。ロゼッタさんに裏切られたら、きっとあたしは立ち直れないくらいのダメージを受けるだろう。密かに姉とも慕ってきた、心強い味方の彼女を失えば。


ずっとずっと不安な気持ちを察して、細やかなフォローをしてきてくれた。流砂に巻き込まれて無くなった荷物を一晩かけて発掘してくれた。いつもいつもそばにいてくれて……。


「ありがとう、ロゼッタさん。ずっとそばにいてくれて」

「なんだよ、なごむ。急に!嬉しいけど照れるじゃないか」


ロゼッタさんにばん! と軽く肩を叩かれた。たぶんお腹に配慮してくれたんだろう。


(そうだよね。ロゼッタさんは裏切ったりしない)


彼女の照れたような笑顔を見ながら、そう確信していたけど――まさかもっと深刻な展開になるなんて。その時は思いもしなかった。






お昼ごはんに大好きなカレーを食べたおかげか、久しぶりにお腹いっぱいになれた。

ここのところ軽いつわりでろくに食べられなかったからなあ。満腹感から眠気が襲ってくる。ミス·フレイルが気を利かせて膝掛けとショールを持ってきてくれたから、遠慮なく使ってうたた寝をする。


懐妊中は眠くなるのが自然だから、無理にガマンしないと聞かされてる。何もかも初めてだから、専門家や経験者の話を参考にするしかない。


そんなお昼寝も終わりに差し掛かった時、唐突に訪問者が現れた。




『失礼いたします、和様。ご面会のお申し込みがございますが、いかがなさいますか?』


うつらうつらと夢見心地に揺れる意識を、ミス·フレイルは容赦なく現実に引き戻してくれた。


「は……へ? 面会!?」


長椅子で仰向けに寝入ってたから、目を覚ましてすぐ慌てて体を起こし目を擦る。


あたしがこんな状態の時はミス·フレイルはいつも面会を断ってきた。それはあたしがバルドの妃になる立場だから、それより下の身分の人にはだけど。


けれども、今。ミス·フレイルはあたしを起こしてでも面会について訊いてきた。となれば……バルドと同等かそれ以上の身分の人が訪ねてきたということ。


その点に思い至った時、あたしは急いでミス·フレイルに訊いた。


「お訪ねしてきたのはどなたですか?」

『……ライネス皇子殿下でいらっしゃいます』


ライネス皇子と聞いて、すぐにそれが皇后陛下の産まれた第2皇子でバルドの弟。そして帝都で重要な政務を担う有力な皇子と思い出した。


けど……どうしてわざわざあたしを訪ねてくるんだろう。しかもバルドがいない時を狙って。




自分だけの判断でお会いしていいものだろうか?


バルドは自分が帝都にいない間、弟に政務を任せていると話してた。それはとりもなおさず、彼を信頼している証で。バルドも評価できる実力があるなら、宮廷でもそれなりの重みと地位を得ているはず。


つまるところ、バルドのライバルともなる皇子だ。


たしか年齢は一つ下なだけで、皇后唯一の皇子ということで皇位継承順はバルドに継いで2位だけど、実際にはバルドと対等に張り合う――皇太子となる可能性はそれぞれ五分五分だ、とミス·フレイルから聞いた。


バルドは以前力を持ちたい……つまり皇太子に。いずれは皇帝にと願っていると語っていたのだから、あたしが単独で対立する立場の人間に会えば、確実に波紋が広がる。


(ライネス皇子がどんな目的で来たにせよ、あたしはバルドの妃になる立場だし。一人っきりで会うのはまずい)


「ミス·フレイル。至急バルドにお伺いを立てていただけますか?」

『承知致しましました』


ミス·フレイルはあたしの判断に文句を言わず、早速侍女の一人に伝言を託す。一応城内には電話線が引かれているけど、内密の行動だから盗聴の危険がない人伝のやり取りにした。


バルドはたしか執務室にいるはずだから、往復で30分もあれば大丈夫なはず。その間待たせるのは申し訳ないけど……とミス·フレイルに控え室にお茶菓子を出す指示をしようとした時だった。


向こう側が騒がしくなったかと思うと、突然バン! とドアが開く。


そして、ライネス皇子らしき人物が姿を現した。





『お待ちください! ライネス殿下』


警護責任者が皇子を止めようと走り寄る。ロゼッタさんがあたしの前に立ち、更に侍女長であるミス·フレイルが2人の間に立ちはだかった。


『ライネス皇子殿下。淑女を訪れるにしては、少々品がない方法ではございませんか?』


身につけたスクエア型のメガネをキラリと光らせたミス·フレイルは、不穏な空気が漂う最中でも、相手が誰であろうと変わらない。そのプロ根性は尊敬できるレベルだ。


あたしもなにか言った方がいいかな?


確かに、ライネス皇子の訪れ方はあまり褒められたものじゃない。一応あたしは異母兄の妃になる身分なのだし、軽く注意くらいはした方がいいかも。


だけど、とあたしはライネス皇子を見上げる。


長身でがっしりした体つきはバルドに似てるけど、顔つきが全然違う。バルドは野性味溢れる凛々しさだけど、ライネス皇子はどちらかと言えば柔和に見える。つまり、優しげだけど。紅い瞳と長めの銀髪で印象がガラリと変わってた。


とりあえず、挨拶はすべきだよね?とあたしは長椅子を降りると軽く頭を下げた。


『お初にお目にかかります、ライネス皇子殿下。わたしは秋月 和と申します。以後、お見知りおきを』

『和様!』


ミス·フレイルの咎める声がして、すぐさま彼女に視界を塞がれたけど。


その直後――


『ははははは!』


唐突に、ライネス皇子が笑いだした。






「なるほど。異世界の女と言うものは、得てして変わったものらしいな」


ライネス皇子の発言に引っかかるものを感じて、どうしてもその場で確認しておきたかった。


「得てして……ということは、殿下は他の異世界の女性にお会いしたことが?」

「ふ、やはり気づいたか」


ライネス皇子はロゼッタさんとミス·フレイルに、まあまあと両手を差し出した。


「そう親の敵のように睨むな。今日は顔を見に来ただけで、どうこうしようと言う意図はない。もてなしも一切要らぬ」


さて、とライネス皇子はあたしへの答えを口にした。


「いかにも。俺はセイレスティア王国の王太子妃となった、ユズに会ったことがある」

「……それは」


よもや、あたしとバルド以外にユズに会った人がいるなんて予想外だった。まさか条約締結時のセイレム王国に? でも、第2皇子がいたなんて情報は何もない。


「差し支えなければ、どちらで会われたのかお訊ねしても?」

「なかなか慎重のようだな。それでいい。……ユズと会ったのは、セイレスティア王国でだ。セイレスティアに奪われたユズを取り戻そうとしてな」

「……え」


そこで、ライネス皇子は真剣な瞳になりあたしにこう告げた。


「ディアン帝国が一度総力を挙げて召喚した伝説の言霊の姫……それがユズ。先に必要とされたのが彼女で、もしも成功していればおそらくあんたは召喚されていない。つまり、あんたは二番目に過ぎなかったという事実を忠告しに来た」





ライネス皇子にわざわざ忠告されずとも、そんなことは知ってる。


先にディアン帝国に召喚されてた……つまり、必要とされていたのがユズであることくらい、散々言われてきたし自分でも悩んだ。


でも、今ユズはセイレスティア王国のティオンバルト王太子殿下の跡継ぎを身籠っている、押しも押されぬ王太子妃だ。国民の支持も高く宮廷でも受け入れられてる。不可侵条約を締結した今、ディアン帝国が力づくで彼女を奪うのはほぼ不可能に近い。


それに……。


あたしはディアン帝国からすれば確かに二番目で、本来なら必要なかった人間かもしれない。ユズがすんなりディアンに来ていれば、きっと召喚はされなかった。なら、今ごろはまだ義父と義妹にこき使われる日々を送ってたに違いない。


けど、それでも。


あたしは二番目でも何でも、ディアン帝国に召喚されてよかったと思う。


だって、この世界へ来て真実を知れた。大切な人にも会えた。

そして、何より。


バルドと出逢うことが出来たんだ。


日本にいたら決してめぐり逢えなかったんだから、感謝したいくらいだ。




「……構いません。動機はどうあれ、私は今幸せですから。バルドに必要とされて……」


そして、この子を授かったのだから。無意識にそっとお腹に手を当てる。

まだ懐妊を発表する段階でないから公表できないけど、あなたは叔父になるんだよと知ったらこの人はどんな顔をするんだろう? 知らず知らず、微笑んでいたと思う。


そんなあたしに、ライネス皇子は大きなため息を吐いた。


「……見事に懐柔されたか、バルドに」

「懐柔? いいえ、違います。私は……」

「だけどな、言っておくがあんたは騙されてる」

「は?」


ライネス皇子は生真面目な顔のまま、あたしを見据えて真剣に話し出した。


「忠告だ。バルドをあまり信用し過ぎるな。やつは俺でも計りきれないほど腹黒い。おまけに迫真の演技が得意ときた。男優並みにな」


ライネス皇子の物言いにムカッ腹立つ。お腹を押さえたまま、すぐに反論をした。


「あなたに、バルドの何が解るんですか?」

「少なくともあんたよりは理解してるさ。生まれて24年間ずっと間近に見てきたんだからな」


それを言われては反論のしようがなく、グッと言葉を飲み込むしかない。すこし俯いたあたしに、ライネス皇子はこう提案してきた。


「もしも、あいつと離れたいなら協力してやるぞ?」

「え?」


何を言われたのか咄嗟にはわからなくて、顔を上げるとライネス皇子はあたしを見たまま複雑な顔をした。


「もしも日本へ還りたいなら、手を尽くし逃してやろう……巻き込んだのは俺たちの責任だからな」