「……すごい」
《ようやく巫女としての力を使えるようになってきたな》
ふわり、とヒスイが目の前に現れる。彼女はニヤリと口の端を上げて笑った。
《久しいの、アスカ。年齢を顧みずずいぶん派手に飾りたてるようになったものじゃ》
ヒスイが肩越しに言葉を放ったのは、他ならぬアスカ妃にで。声を掛けられた彼女はヒスイに向けて不敵に笑んだ。
「その歯に衣着せぬ物言い。そなたも相変わらずのようだな」
《そなたほどではあるまいて。わらわは身の程はわきまえておるぞ? 40過ぎでヘソだしするような恥知らずではないだけじゃ》
「ふふふ、心地いいものじゃ。そのように好き勝手な物言いは。誰も彼もが妾を腫れ物の様に扱うからの。張り合いがなく、つまらぬことばかりだ」
《奇遇であるな。わらわもじゃ。だが、他人を貶めたり陥れたりはせぬぞ。そのようなねじ曲がった根性では何も楽しくなかろうて》
(散々振り回しかき回してきたあんたが、どの口で言う!?)
ヒスイがシレッとアスカ妃の所行を非難してたけど。あたしはあんたにこそ声を大にして言いたいんですが! なんてツッコミはともかく。
アスカ妃とヒスイが顔見知りだったなんて初耳だ。いったいどんな繋がりがあったんだろう?
アスカ妃がちらっとこちらへ目を向ける。突然のことだから、ガチッと固まったあたしを見てふ、と鼻を鳴らした。
「……なるほど。そなたが当代の巫女か」
水瀬の巫女ということをアスカ妃に言い当てられた。当然ながら、あたしのさっきの行動でバレたんだろう。
帝国に帰る際に一番厄介だったのが、あたしが巫女と知られることだった。
自分の身の安全どうこうよりも、周りへの危険度が増すことが我慢ならない。
セイレム王国で起きた悲劇を繰り返さないためにも。出来るだけ隠した方が良いかと考えた。
だけど……。
今、ここにはアスカ妃の他にたくさんの臣下や国民が揃ってる。もしもの話だけど、アスカ妃が巫女を取り入れようとする、もしくは排除しようとする立場なら。あたしがハッキリと認めれば何らかの反応が返ってくるはず。
ここであたしが巫女だと宣言すれば、取り消しようがない。密室ならともかく、これだけたくさんの人の目があるんだ。ディアン帝国中枢部に話が伝わるのも時間の問題だろう。
“バルド皇子が巫女を婚約者にした”――と。
そうなれば、アスカ妃が一人であたしをどうこうは出来なくなる。ディアン帝国は公に水瀬の巫女を捜してきたんだから、個人的な私情で手出しは不可能になるだろう。
だからあたしはバルドにエークを進めてもらい、アスカ妃に向かって一番の笑顔を出した。
「はい、わたしが水瀬の巫女の秋月 和と申します。はじめまして、アスカ妃殿下」
そして、アスカ妃は初めてまともにバルドを見る。最初はククッと小さめに笑い始めたけど、次第にわははは! と盛大な笑い声を上げた。
「そうか、我が息子は巫女を捕まえたか。なかなかやりおるではないか」
「え……え?」
あたしは信じられない思いでアスカ妃を見た。だって、この気安さはとても10年息子を避けてきた母親のものとは思えない。
だからといってバルドの話が嘘とは言えないだろうな。事実、つい先ほどまでは険悪な空気だったのだし。
お腹を抱えて笑うアスカ妃に、バルドから絶対零度の冷たい視線が突き刺さる。
「母上、オレを独り立ちさせるためにわざと避けてたのか?」
「そうだ、と言えばどうする?」
「どうもしない。やはり母上と思うだけだ」
何がおかしかったのか、アスカ妃は噴き出すと再びお腹を抱えて笑う。しばらく呆気にとられたけれど、ほっとした。
(よかった。バルドとお母様が仲違いを解消して。こんなにもたくさんの人たちに見られていたなら、きっとすぐに広まるよね)
ほっと息をついたあたしは、手にした剣に改めて気付いた。
ハルバード公爵がヒスイを刺した剣。ヒスイから渡されたけど、役立ったのは偶然?それとも……意図的なもの?
(わからない……ハルバード公爵はいったい何を考えているんだろう)
なんとなく底の知れない怖さを感じて、ぶるりと身体が震える。そんななか、アスカ妃の声が耳に入った。
「来るがよい、皇帝陛下も一日千秋の思いで待ちわびておった。帰ったらすぐ顔を見せるがよいぞ」
アスカ妃の出迎えを受けたあたし達は、彼女に連れられて無事に首都にある皇帝陛下の居城に到着した。
首都·バラサンは海沿いの港町から発展し、100年前に初代皇帝陛下の夫となった秋人おじさんがここに遷都した。
植物が乏しい上に乾燥している気候だから、帝都でも木造建築は見当たらない。石材やモルタルや漆喰を始めとする、鉱物主体の建材が使われてた。
道は荒れないようにアスファルトや石畳でしっかりと舗装されていて、側溝なんかも整備されてるし。上下水道や電気配線もばっちり通ってるんですよ。
区画整理はきっちりされていて、無許可な建設や増改築は認められていない。
そして、緑が少ない気候だからこそあえて乾燥に強い常緑樹をあちこちに植えて、海水を淡水化した水路を巡らせて。あちこちに芝生を植えた公園や、休める水場が垣間見える。
帝都は広いからか、交通網はよく整理され民間人が所有する車やバスが行き交ってる。
お店は予想より種類が多くて、生鮮品以外は結構品揃えが豊富な様子。本来は買い物好きな自分がウズウズしたのは内緒です。
つまり、帝都は日本のどこかと言われても違和感がないくらい、現代日本とよく似た景観をしてた。
そして皇帝陛下がいらっしゃるお城は、和洋折衷の不思議なデザイン。石垣と堀があるのは共通で、中世ヨーロッパ辺りのお城をベースに石造り+瓦葺きなんて変わった建築様式。古代中国辺りにも似てるけれど、微妙に違うんだよね。
けど、なぜか懐かしい気持ちになる。
アスカ妃とともに厳重な警備で入城すると、目の前に広がったのは信じられないほど豊かな森林。空はガラスか何かのドームになっていて、乾燥した土地とは思えないほど穏やかな風が吹き抜ける。
小鳥がさえずり蝶が舞う。まさか、こんな場所が帝都にあったなんて。
「素晴らしいだろう? わらわが陛下をせっついて造らせたものじゃ。この内部で品種改良したものを、徐々に乾燥した環境に慣らしやがては屋外で栽培出来るよう研究しておるのじゃ」
アスカ妃は呆然としたあたしにそう解説してくれた。
「緑化をなさっておられるのですか?」
「……わらわの祖先の一人が、その志を抱いていたのでな。紅の瞳を持つ闇の者であったがの。今はその志のみを受け継いでおる。今すぐには無理でも、いずれ国中が緑に満ちればよい」
固い決意を秘めた眼差しで緑を眺めたアスカ妃は、話で聞いたイメージとずいぶん違って見えた。
バルドを始めとするみんなの話を総合すると、最近はあんまり良くないイメージしか抱けなかった。
でも、こうして話してみれば全然違う。
皇帝陛下を操って傍若無人に振る舞う人には到底見えない。
(やっぱり、直接会って話さないとわからないよね)
現皇帝陛下がいらっしゃるお城が、スマガラ城。何となく昨今の日本の携帯電話事情を思い起こす名前だけど、たぶん気のせいでせう。
で、スマガラ城の中にもいくつかの宮殿があって、メインとなる鳳凰宮が皇帝陛下のいらっしゃる本宮。内宮と外宮及び後宮で構成されていて、後宮はお察しの通りに皇后を中心とするお妃や女官が住む男子禁制の宮。
内宮が政務を取る言わば表舞台で、国の中枢部とも言える重要な役割を果たす。
外宮はいわゆるお役所みたいなところで、軍の司令部やら何やら重要な拠点の役割も担う。防御の要ともなるらしい。
――以上の知識はミス·フレイルのお妃教育で叩き込まれた知識ですよ。
不眠不休で1ヶ月の付け焼き刃だったけど、必要な知識や礼儀作法に振る舞いなんかを必要最低限広く浅く教えてくれた、その手腕には感心するばかり。
帝都にはとりあえず3日間滞在する予定だから、内宮に部屋(とは言っても一般家屋程度の離れ)を用意していただいて、皇帝陛下へ拝謁するための準備をする。
いよいよ皇帝陛下……秋人おじさんの子孫に会うというだけで、体が自然と震えてきた。
バルドやライベルト……皇帝陛下の皇子には何人か会ったけど、やはり皇帝陛下の方が血では秋人おじさんに近い。だから、緊張するなという方が無理だった。
『よろしいですか、和様。将来の義理のお父上とはいえ、最高の地位にあたられる御方にお会いするのです。粗相がないよう十分にお気をつけなさいませ』
支度をしている最中であろうと、侍女長のミス·フレイルは安定の厳しさでした。
一応ディアン帝国にも民族衣装はあるけれども、公的には近代日本の洋装に準じた服装みたいだ。洋装に馴染んでる現代日本人としてはその方がありがたいです。日本人も今や着物なんて特別な時にしか身に付けないもんね。
用意されたのは淡い水色のドレスで、羽のように軽い繊細なレース生地が蝶の羽根みたいにひらひらと舞う。それがノースリーブの袖口とスカートにあしらわれてて、ずいぶんとかわいらしい印象。
髪飾りは水鳥をモチーフにした銀でできた簪。まだ短い髪のアレンジのバリエーションは少ないけれど、ミス·フレイルは何とかアップに結い上げてくれた上に編み込みまで。さすが侍女のお手本と言われるだけありますな。
懐妊によるホルモンバランスの崩れで肌の調子も悪いから、薄化粧もやめてメイクは最低限のものだけ。いい加減に慣れないといけないけれど、メイク作業だけはどうしても違和感があるんだよね。
ミス·フレイルに先導されて部屋を出ると、迎えに来たらしいバルドが正式な皇子の姿でドキッと心臓が跳ねる。詰襟の軍服を着たバルドはやっぱり誰よりもカッコイイ。何だか恥ずかしくて彼がまともに見れない。
思わずうつむいたあたしだけど、いつの間にかバルドに手を取られてた。
ゆっくりと視線を上げると、大丈夫だ、って。少しだけ柔らかな黄金の瞳が励ましてくれているみたいに感じた。
“オレがいる”
“うん、ありがとう”
何も言わないままに頷いたあたしに、バルドは僅かに目を細めて前を向く。彼に手を取られたまま、皇帝陛下のいらっしゃる部屋へと歩いた。
やっぱり帝国の長子だけあってか、バルドに着く臣下や護衛や警備の数が今までと段違いで驚いた。侍従長であるリヒトさんはもちろん、侍女や近衛やたくさんの人間が回りを固めてる。
廊下の間の左右には微動だにしない近衛兵が一定間隔で配置されてるし、何か息詰まりそうですよ。
ふかふかの緋色のカーペットをどれだけ歩いた後だったろう。いい加減に足が疲れてヒールに悲鳴を上げ始めたころ、チョコレートみたいな焦げ茶色のドアが目の前に見えてきた。
『皇帝陛下はただ今プライベートのお時間をお過ごしでいらっしゃいます。その様な時に特別にあなた方をお招きされたのです。失礼なきようお過ごしなさいませ』
なんて。皇帝陛下付きの侍従が鷹揚におっしゃいました。
(いよいよ、秋人おじさんの……曾孫とお会いするんだ)
否応なしに、緊張が高まっていった。
皇帝陛下がいらっしゃったのは、和室だった。
い草で編まれた畳と、梁の太い木造の天井。障子に鴨居。
他は全て石造りだったのに、その部屋だけが木の香りで満たされてた。
「やぁ、よく来たね。和」
たぶん、単衣(ひとえ)だと思うけど。着物に詳しくないからよくわからない。 皇帝陛下は紺色のざっくりした生地の和服を着て……畳の上で寝転がってらっしゃいました。
黒髪をツンツンと立てて、浅黒い肌をだいぶ晒してる。顔はかなり整っていて、涼やかな目元と高い鼻はバルドに似てない。瞳は焦げ茶色で、日本人にはよくある色だけど。何だかちょっと陽気な光を帯びてて違和感が。
片手を上げて気軽に挨拶をして下さった皇帝陛下は、抱き枕らしいイルカ方のぬいぐるみを抱きしめてらしてですね……一瞬呆気に取られてしまいましたよ。
寝癖と無精髭を堂々と晒す皇帝陛下なんて、フレンドリー過ぎて……一周回っていろいろ突き抜け過ぎじゃないでしょうか!?
「気にするな。父上はアレがいつものことだ」
バルドは淡々と言うと、一応挨拶のためか膝を折る。あたしも慌ててそれに倣った。