異世界で帝国の皇子に出会ったら、トラブルに巻き込まれました。




「ほんとう……ほんとうに、赤ちゃん……あたしの……子どもが……ここに」


再度そっとお腹に触れてみた。まだ、何も感じないけど。新しい生命がこの中に生きてるんだ。あたしとバルドの血を分けた子どもが。


あり得ない、と思ってた。


あたしは一生ひとりで生きていくから、血を分けた家族だとか最愛の人が出来るとか。夢のようなものだと想像しては涙を堪えてきた。


でも、今。あたしの近くには最愛のひとがいて、幸運なことに彼の赤ちゃんまで授かれた。


こんな幸せって、あっていいのかな?


まだあたしは十代で、人間としてまだまだ子どもだ。日本の法律では結婚を許されるけど、そんなのはしたとしてもまだ先と考える人がほとんどのはず。


あたしだって同じ。義理の家族にこき使われたとしても、まだ高校生で大人とは言い難い。

人間的に未熟だし、ましてや親になるなんて論外だ。


子どもが子どもを育てるなんて最悪のパターンだから。


だけど……。


それはきっと、好きな人がいなかったから想像もできなかったんだ。


だって、今。あたしはバルドとの子どもでよかったと思ってる。この人の子どもをこの身体に宿して生めるなんて……すごくすごく幸せだって。世界中に叫びたいくらいなんだ。





ポロリ、と涙がこぼれ落ちる。頬を伝う滴を、バルドは指先で拭った。


「ひとりで抱えようとするな」

「……バルド」

「おまえはすべてを自分のなかで完結させようとする。悪くはないが、もっと甘えかたを覚えろ」


わかっていてくれた。


バルドはいつの間にか、あたしのことをこんなにも理解していてくれたんだ。


あたしがすぐにぐるぐるとした思考の渦に巻き込まれること。誰かに頼る前に自分で何とかしようとするクセも。



「オレは、いい加減な気持ちでおまえを抱いてはいない」

「……バルド」

「おまえの一生も、子どもも、国も。すべてを背負う覚悟がなければ手を出さなかった」



バルドはあたしを抱きしめたまま、そっとあたしのお腹に手を当てる。


「おまえも、生まれて来る子どもも、何より大切だ。一生賭けて何からも護りとおす――だから、信じてオレに着いてこい。和」








まるで、プロポーズみたいだなんて。あたしも大概ばかだ。


自分の都合のいいように解釈し過ぎてる。


だけど……でも。


「ほんとう……に? あたし……バルドのそばに……いていいの?」

「ああ、着いてこい、和。ひとりでは困難なことも、2人で力を合わせれば乗り越えられる」


バルドが手を差し伸べてきた。あたしが大好きな、厚い手。タコがたくさんあって、傷だらけ。決してきれいとはいえないけど。


……あたしは、この手が好き。


きっと、もっと、誰よりも。


まだ、ためらう気持ちはある。


あたしは異世界の人間だとか、身分差とか、がさつな人間だとか、胸が小さいとか、水瀬の巫女だからとか。他にもいろんな懸念がある。


だけど……


あたしはバルドへ手を伸ばしたけど、数回ためらって一旦引っ込めようとした。


でも。バルトの手がいきなり動いて、あたしの手をその大きな手のひらでギュッと握りしめたんだ。


「迷うな。オレは、おまえしか妃にしない」

「……バルド……」




「オレの、妃になれ和。義務でも役割でもなく……オレが必要だから、おまえを妃とするんだ」

「……はい」


あたしは、両手で顔を覆って頷くだけで精一杯だった。


必要な言葉はお互いにまだなかったけど。


きっと、これが不器用な2人の精一杯だったと思う。


初めて、本当に気持ちが通じあった涙味のキスは――今までになく、あたたかくてしあわせだった。







セイレム王国を出立する日の朝、最後だからと国王夫妻やティオンバルト殿下とユズ夫妻もともに朝食を摂った。





「和が帰ってしまうなんて。本当に名残惜しいわ」


セリナは心底残念そうな顔であたしへ話しかけてきた。セリス王子がよみがえってから多忙で顔を合わせる機会がなかったんだよね。


「……うん。あたしももっといろんな話をセリナとしたかったな」

「あたしも! 和とセリナ王妃様ともっとお茶をしたかったです」


ユズが勢いよく片手を挙げたから、ティオンバルト殿下が苦笑いをして妻を注意してた。


「ユズ、もう少し落ち着かないとね。君だってもう母親になるんだから」


何だか聞き流せない言葉が含まれていて、突っ込んでいいかどうかわからなくてもだもだしていると、察したらしいセリナが先にユズに話しかけた。


「まあ、そのようにおっしゃっていただけて光栄ね。それと、不躾かもしれませんが……ティオンバルト殿下のご発言……もしかしたら、ユズさんがご懐妊なされたのですか?」


公的ではなくあくまでもプライベートな席だから、セリナも堅苦しさを抜きにしてストレートに訊ねてた。さすがに長年王妃を務めてるだけあって肝が座ってるな、と内心感心しきり。


セリナの言葉を聞いたユズは、急に頬を染めてもじもじしだした。




「はい……その……実は……3ヶ月目辺りらしいんです」

「体調を崩した彼女を心配してカーライル医師に診ていただいたところ、懐妊が判ったんです」


「まあ、とてもおめでたいことね。ねえ、あなた」

「そうだね。このところ心が塞がるような知らせばかりだったから、久しぶりに気が晴れるよいニュースだ。おめでとう。後ほどセイレム王国からもお祝いを贈らせてもらうよ」


セリナの明るい声に微笑したハロルド国王陛下は、セイレスティア王国王太子夫妻にお祝いを告げた。


「ありがとうございます」


国王夫妻にお礼を返したティオンバルト殿下は、お腹に手を当てた妃を優しい目で見守る。より真っ赤になったユズは、しどろもどろに言葉を紡いだ。


「あの……本当に、まだ信じられないんですけど。ここに……赤ちゃんがいるなんて。
でも……やっぱり。じわじわと嬉しくなって。すごく幸せだなぁって思います……やっとあたしもこの世界に受け入れてもらえたんだって。この世界で生きることを許された、そんな気持ちもあるんです」


気心が知れたいい人ばかりだから、ユズも不安を明かしたんだと思う。特に同じ日本の女子高生だったあたしとセリナに。


いくらティオンバルト殿下に愛され、みんなに必要とされていても、自分は異なる世界の人間で。本来ならばここに存在してはいなかった。その心許なさや、不安感や焦燥感は体験しないとわからない。


この世界で生きていいのか、といった疑問はいつもつきまとう。一度納得しても繰り返し湧き出して決して決着がつかない負のスパイラル。


セリナは……25年もずっとこんな中で生きてきたんだ。


すごく、強いな。改めてそう思う。






「その気持ちはわたくしもよくわかるわ。本当におめでとう。今から誕生が楽しみね」


セリナも改めてユズにお祝いを述べたから、あたしもちゃんとしなきゃね。


「おめでとう! ユズもこれでひと安心だね」


自分のお腹をそっと撫でる。ほぼ同時期に懐妊したからか、ユズの嬉しさは自分のことのように感じられて、心の底からお祝いを言えた。


「うん。セイレスティアにはティオンしか後継ぎがいないから……焦る気持ちはあったけど。ホントによかった」

「そっかぁ……そうだったね。それじゃあよけい不安があったんだ」


セイレスティア王国には三人の王子がいたけど、前の王太子である第一王子と第二王子はディアン帝国との戦争で亡くなった。異母弟のティオンバルト殿下が唯一の王位継承者である以上、彼が後継ぎを残すのは義務でもある。ユズにすれば相当なプレッシャーになったに違いない。


(まあ、あの熱愛ぶりからすれば近々そうなることは予想できたけどね)


水晶宮殿で行われた歓迎パーティーで、ティオンバルト殿下のすさまじい独占欲を見せつけられてましたから。ただセリス王子とちょっとお話しただけで、ユズはほとんどパーティー会場に居られなかったし。


「私としては少なくとも十人ほどの子どもが欲しいと考えていますから。これだけではまだまだ。ねえ、ユズ。これからも頑張ろうね」


みなさんの前と言うのに構わず妃の肩を抱き、耳元であまく何かをささやくのはお止めください。こっちの精神力がガリガリと削られていきますから。





「オメデト~ヨカッタデスネ」


一人だけ棒読み口調でお祝いを言ったのが、ルーン王国のカイル王子だった。


「ちぇっ、この中で僕だけが独り身じゃないか。つまらない~」


ぶすったれて王子に似つかわしくない態度を取る彼だけど、セリス王子の幼なじみでこのセイレム王国に留学してたんだし、セリナからはあたしの話を聞いて育ったんだ。それだけにくだけたこの気安さも納得できる。


「あらあら、カイルには侯爵令嬢との婚約話があったのではなくて?」

「そんなの、と~っくに断りました! だってその女、僕を隠れ蓑に騎士である恋人を護衛としてそばに置くつもりだったんですよ? 自分の血を引いてない子どもを後継ぎにさせられそうになった時の恐怖ときたら」


青くなってぶるぶると震えるカイル王子に、訊ねたセリナも苦笑いをしてた。


セリナもカイル王子も優しいから何も言わないけど、本来ならここに一番居るべき人がいない。その喪失感は、何をしても埋まらない。


その存在に触れるのを避けているのは、あたしのためなんだと思うと申し訳ない気持ちになる。


カイル王子がわいわいと騒いでる中で、気分が落ち込んでしまうのはどうしようもなかった。

……というか……ねむい。


食べ物をお腹に入れたからよけいに。




「……でも。和さえ了承してくれたら、一緒にルーン王国へ来てくれてもいいんだよ。ねえ、和……和?」

「え、は……?」


カイル王子に何度も呼ばれてから気付いた。一瞬、気が遠くなったのはたぶん眠気と貧血の両方のせいだ。




「もう、どうしちゃったのさ。ずっとぼんやりしてるみたいだけど、体調でも悪いの?」

「え……あ、すみません。ちょっとだけ……ご心配をおかけしましたが、だいじょうぶです」


カイル王子がジッと探るような視線を向けてくるから、いたたまれない。


別に懐妊を隠したいわけじゃないけど、ユズが先に明かして勢いが削がれたというのもあるし、第一。あたしとバルドはまだ正式に結婚もしてないのに、先に懐妊なんてして。皇族にすればスキャンダルにしかならないような気がする。


カイル王子はちゃらんぽらんだけど、真実を見抜く目は持ってる気がする。だから、下手な言い訳はしたくないんだけど。懐妊を明かして良いか迷う。


それに。


(ミス·フレイルも言ってた。バルドの子どもは重要な皇位継承者になるって)


あたしがバルドの子どもを身籠ったことで、きっとディアン帝国の皇位継承争いに変化が生じる。


後継ぎがいる有能かつ実績をあげている長子ならば、誰もがそのひとに期待をするだろう。


後世に確実に血を残すのは、継承者としての重要な役割だから。


まだ自覚は全然ないけれど、自分もその政争に巻き込まれるんだ……って。ぼんやりと考えてた。


最悪な話、この子が邪魔になって排除される危険性もある。バルドが何も言わないのは、たぶんその辺りもわかってるからだ。






「ねえ、和さ。やっぱりそいつがいいの? さっきから全然喋らないし、そんな無愛想でちゃんと話できてるの?」


カイル王子がカトラリーであたしの隣にいるバルドを指すから、セリナがこら! と眉をひそめて注意をした。


「カイル、そんなふうに人を指しちゃいけませんって。ほんとうに、子どもの頃から変わらないのね」

「はい、すみません~ついついやってしまいました!」


ピシッと背筋を伸ばしたカイル王子は、即座にセリナに頭を下げる。そのやり取りはたぶん慣れたもので、ハロルド国王陛下も殊更咎めたりしなかった。


「あの、カイル王子。バルドとはきちんと話し合ってますから大丈夫です」


まだ恐縮して頭を下げ続けるカイル王子に、仕方なく声をかける。でないといつまでも動かなさそうだ。


「え、マジですか?」


ガバッと勢いよく顔を上げたカイル王子は、黙々と食事を取るバルドをジッと見る。


それにつられてか、他の視線もバルドに集まる。バルト自身は全く動じることなく綺麗な所作で食事を終えると、感謝の祈りを捧げてからポツリとひと言。


「和とは正式に愛をかわした――彼女は懐妊してる。来年夏にはオレの後継ぎが生まれるだろう」



「……………………」



一瞬、すべてがフリーズした。



そして……。





「えええええっ!?」




どこからともなく叫び声が上がり、阿鼻叫喚の地獄絵図と化した……こともなく。


ただ、ちょっとした混乱状態になったことは付け加えておきます。