異世界で帝国の皇子に出会ったら、トラブルに巻き込まれました。




誰か、助けて! と言いたいです。バルドは何のつもりであたしをお姫さま抱っこなんてことをしてるの?


やがて、彼はあたしを抱えたまま歩き出す。風が吹いて花びらが散り舞い上がる中で、こんなイケメンにお姫さま抱っこされるなんて。あたしにはハードルが高すぎて……気絶してもいいですか?


バルドが目指したのは、庭園の真ん中にある東屋(あずまや)。
公園なんかによくある、屋根付きのベンチがある休憩所みたいなところだけど。さすがに木ではなく、大理石で造られていてものが違う。


バルドはあたしを長椅子に座らせると、そのまま膝を着いてあたしの左手を右手で取る。手首に填めた腕輪に左手に握っていた黄金色の宝石を宛がうと、何やら難しい呪文の詠唱を始めた。


一字一句日本語で表すには難しい発音だけど、聞いているとすごく綺麗な流れで。思わず目を閉じて聞き入ってた。


流れが、見えてくる。清浄な水のような……サラリとした流れが。これは、なんだろう? 水色の光の束が、あたしの脳裏に浮かぶ。


その流れは、下から上へ。上から下へ。延々と巡ってる。


きれいだ、って触れたくなったけど。なぜか怖さを感じる。後退りして尻込みをしていると、後ろからふわりと暖かさを感じた。


“怖がるな”――と。囁くように励まされて。思い切って手を伸ばす。


そうだ、と。またあの声があたしを後押しして。


あたしは、一本の細い糸を指に絡め引き寄せてみた。


ざあっ、と。波の音が聞こえた気がした。







はっ、とあたしは目を開けた。なんだろう……今のは? 自分が自分でなかったみたいだ。


うつむいていた顔を上げれば、バルドの黄金色の瞳と視線がぶつかる。彼はあたしを見上げると、おもむろに口を開いた。


「今、あの女が居間で祝詞を唱えている」


バルドがいうあの女、って誰だろう? ロゼッタさん……は魔術が使えない。なら、ヒスイしか心当たりがない。


「あの……のりと、って……何のこと?」


恥ずかしながら、あたしにはわかりません。そういった知識はまるっきり無いし。そう言いたかったのに。


「ヒスイが何をしてるの?」


バルドの右手があたしの頭に回ったかと思うと、グイッと前に引き寄せられる。


そして……


音もなく、彼の唇があたしのそれに重なった。


「……!」


なにが、起きたの?


その瞬間、全身が花びらで包まれたように花の薫りが濃くなって。あたしの中にあった一本の細い光が、まるで爆発するように広がると空へ昇るのを感じた。


ぽつり、と。葉を叩く音でハッと我に返る。


いつの間にかバルドは離れていて、あたしでなく空を見上げてた。


「な……なんで?」


あまりに突然の出来事に、あたしが出せたのはそんな疑問だけ。バルドはそれには答えず、ただひたすら空を見てる。彼につられて視線を上げて、あっ! と驚いた。


空が、雲に覆われてるんだって。


しかも、ただの雲じゃない。濃い灰色で、高度が低く垂れ込める雨雲だった。





徐々に濃さを増して嵩を増やす雨雲から、雨粒が降ってくるのは時間の問題だった。


そして、バルドは立ち上がってあたしを見下ろす。


「……水無瀬の巫女は力の発現に、同じ血を持つ者の接触が必要」


囁くようなバルドの低いかすれ声に背中が震えたのは、雨の冷たさからか。それとも違う予感からか。


同じ血を持つ者? それはどういうことだろう? 花の薫りがまつわりついて、酔ったように思考がうまく回らない。軽く痺れたみたいで、あたし……どうしちゃったの?


「バル……ド?」


カツン、と踵を鳴らし彼が再びひざまづく。彼が、どんな顔をしているのか……影になってよく見えないよ。


「翡翠之御上に、雨を降らすまでの力はない」


すると、ヒスイは居間で雨乞いをしてるってこと? 降らせる力がないなら、どうして?


頬をバルドの冷たい指先が滑る。ひんやりとしてるのに、熱を残されたように感じた。


その指が、あたしの顎を掴んで顔を動かなくする。影の中に、黄金色の光を見た瞬間、出るはずだった言葉がバルドの唇に吸い込まれていった。


二度目のキスは、触れるだけだったものと違って。噛みつかれそうで、逃げようとしても圧倒的な力の差で抗えない。




やがて、雷が鳴るほどの激しい雨が降ってきたけど。あたしの中で何かが切れて、そのまま意識が落ちていった。










ぽちゃり、と雫がおちる。


それが落ちた先は綺麗な澄んだ水で、波紋が広がり消えたあとは、磨きぬかれた鏡のように周りをよく映してた。


漆黒の中で無数に輝く光。宇宙にも見える空間は水面に反射されて、水を煌めかせてた。


あれ? とあたしは空を仰ぐ。この景色には見覚えがある。たしかこの世界に来て最初に訪れたのがロゼッタさんの集落で、眠りに落ちた時に夢の中でこの景色にいた。


(そうだ……あの時はたしか、誰かがいたんだ)


不思議と水面の上に立ったままのあたし。夢なら非現実的でもいっか、なんてあっさりと考えることをやめた。


そんなあたしの耳に、声が聞こえた。


“たすけて……”


え、と勢いよく周りを見回す。気のせい? でも、今たしかに聞こえたよね。


「あの……誰、ですか? どこにいるの? 助けてって……どうすれば」

“たすけて……”


あたしが声を張り上げても、その声は“たすけて”を繰り返すだけ。いくら目を凝らして探し回っても、見つからない。


いったい、どういうことなの?ぐるぐる回るだけのあたしに、もう一度声が聞こえた。


“たすけて……”


近い。


バッ、と振り返れば。そこには人の形をした水があった。氷や石じゃなく、本当に人の形を取った水。


「えっ……なにこれ?」


水の像は、髪の長い女性に見えた。そこから声が聞こえる。


ぽとり、と頬を伝う涙が水面を揺らした。


「あの……あなたは?」


あたしはためらいながら、その水の像に触れようとした。すると、途端に水の像が形を変えて、あたしの腕に絡み付く。


えっ? なにこれ!?


あたしが振り払おうとした瞬間――


水の像の顔が、見えた。




“たすけて――なごむ”




「せ、芹菜っ!?」




その顔は――



紛れもなく、日本の親友だった芹菜のものだった。






「芹菜!」


ガバッと起き上がったあたしは、急いで周りを見回す。そこは全然知らない部屋で、あたしはいつの間にかベッドの上にいた。


「芹菜……」


夢の中とはいえ久しぶりに見れた親友の顔は、とても苦しそうだった。一体何があったんだろう? ただの夢……意味がない夢であればいいけど。


《ずいぶんとのんびりしておったな、なごむ》

「ヒスイ……」


ベッドの傍らにある長椅子にヒスイが座っていて、肘置きに腕を置き頬杖をついてる。妖艶さも感じさせる美女だけど、今はそれどころじゃない。


「ヒスイ、あたしの友達の芹菜が夢に出てきた。助けて……って。これ……夢、だよね? 何にも意味がない夢でしょう」


あたしは肌が粟立ちそうになるのを我慢しながら、否定して欲しくてヒスイに問いかける。彼女はふむ、と言うと髪をいじりだした。


《無意味、ではあるまい。そなたは初めて巫女の力を顕現させた――つまり。この世界の理(ことわり)に干渉する力を得たのじゃ。夢見も現実に即したものを見るようになった》


スッ、と華麗に立ち上がったヒスイはあたしの元に飛んできて、すぐ近くにフワリと降り立つ。


《それゆえ、そなたが見た夢はきっと芹菜とやらの危機を現しておるのじゃろう。だが……》





ヒスイはそこまで話すと、口をつぐんで瞼を閉じる。

普段からあれだけ言いたい放題なくせに、なんで言葉を切るかな? よけいに気になるじゃん。


「ヒスイ、何なの? 最後まで言ってよ」

《わからぬからじゃ》

「は?」


ヒスイは閉じた目を開いて、あたしに困惑を浮かべた瞳を向ける。


《そなたの友がどうなっておるか、わらわにはわからぬ。いつもならば、手に取るようにわかるのじゃが》


「えっ……」


御上であるヒスイでも、芹菜のことがわからない?


「それって、どういうこと? ヒスイは誰がどこにいて、何をしているかわかるの?」

《無論じゃ。わらわはこれでも天上人なるぞ》


カチンときたのか、ヒスイはフワリと浮いて空中で正座をしつつ何やら唱える。


――で。


突然、あたしの座ってるベッドがふわんと浮き上がりました。それだけじゃない。窓が開いたかと思うと、そのまま飛び始めたし!


「ちょ、ちょっとおお~ぎゃあああっ!」


あたしはベッドの背もたれに必死にしがみつきながら、ただ叫ぶしかできませんて! ベッドで空中散歩なんて聞いたこともないわ。


ふわん、とひたすら上昇していったベッドは、お屋敷が一望できる程度の高さでようやく止まった。





《ここでは、誰も聞かれぬじゃろ》

「そりゃそうだけど! 物には限度ってものがあるでしょうが」


喚くあたしに、ヒスイは残念な子を見るような目で見てくる……なんかムカつくんですけど。


《やれやれ、偽の巫女を演じるわらわの苦労も考えよ。侍女がそのような粗野な言動では、わらわの品性が疑われる》

「そ、粗野で悪かったわね~どうせ、ろくな育ちじゃありませんから」


い~っ! と舌を出してやると、さらに半目で見られたよ。けど、気にしない。


「……って。それはともかく、芹菜に関して本当に何にもわからないの?」

《まったくではない。そなたの友の“気”はわらわも把握しておるでな》


そういえば、ヒスイはあたしが持つ翡翠の勾玉に宿ってる。秋人おじさんに貰った時から肌身離さず身に付けてたから、芹菜のこともよく知ってるんだよね。


《それゆえに、その気を辿れば居場所は掴める。じゃが……不思議なことに、糸が途中で切れてしもうておる》

「糸?」

《縁(えにし)というか、運命というか。そのようなものじゃわらわには繋がりが糸のようなもので見えるのじゃが、芹菜のものはこの世界へ伸び……途中で消えたのじゃ》

「ちょ、ちょっと待って!」


あたしは思わずベッドから身を乗り出してヒスイに詰め寄った。


「この世界へ……伸びてたって……もしかして、芹菜も……この世界に来てるってこと?」


あり得ない、あってはならないと思ってた。あたしだけじゃなく、唯一無二の親友まで大変な目に遭ってるなんて。


でも、ヒスイは。


《そうじゃ、おそらく芹菜もこの世界に“おる”じゃろう》


残酷な現実を、迷いなく肯定した。





ショック、なんてものじゃなかった。


芹菜が……芹菜が。日本では一番大切なひとが、こちらの世界に来てる?


「な……なんで? なんで芹菜が。もしかして、あたしのせい? あたしの召喚に巻き込まれて……」

《それは、わからぬ。じゃが、忘れたか? そなたは東京とやらでれやーとともに召喚された。そなたの住むO市とどれだけ離れていたか》


ヒスイの指摘に、そういえばと思い直す。あたしが住む土地と東京じゃ、少なくとも300kmは離れてる。

それだけ距離の離れた場所で召喚の余波で巻き込まれたなら、少なくとも関東や中部地方北陸甲信越……とんでもない規模の召喚で、何千万人の人がこの世界に来ることになるもんね。


いくらあたしが芹菜と親友という絆があっても、巻き込まれ一緒に召喚って言うのは現実的とは言えない。


「なら……なんで? 芹菜がどうしてこの世界に??」

《それはわからぬ。じゃが、わらわには少なくとも良からぬ意思を感じた。セリナとやらを探すなら、手伝うぞ》


ヒスイのあまりよくない情報に、胸が嫌な予感でざわめく。ギュッと胸元で勾玉を握りしめて誓う。


きっと、芹菜も秋人おじさんも助けて一緒に日本に帰るって。


「うん……ヒスイ、お願い。あたしは芹菜も秋人おじさんも助けたいから」

《うむ、任せるのじゃ。しばしの退屈しのぎになるからのぅ》


にんまり笑うヒスイは性格が良いと言うか、何と言うか。ほぼ不老不死な天上人だから、とてつもない長い時間を生きていて、娯楽に飢えてるのかもだけど。


あたしらをおもちゃにはしないでね、頼むから。




《わらわは疲れた。すこし休むぞ》

「って、ちょっと!?」


ヒスイはあくびをしたかと思うと、体が光の粒になって勾玉に吸い込まれていった。


「おおおい!あたしは飛べないんですけどおぉっ!?」


高度何百mで、どうやって浮かんでろって言うのさ!?


案の定、ヒスイの力が切れた瞬間にベッドが落ち始めましたよ。


「んぎゃああああああっ!」


バカヒスイ!最後までちゃんと責任を持って下ろしなさいよね。と叫んだところで、ヒスイはたぶん熟睡してる。重力に逆らえず、まっ逆さまに落ちた……んだけど。


とくん、と左手首の腕輪が細かく震えた途端。暖かさを感じて目を開けば。


「あ……あれ?」


いつの間にかあたしの周りに緑色の膜のようなものが張られてて。落下のスピードもずいぶんゆっくりになってた。

そう、まるでシャボン玉みたいにふわりふわりと。


「ど、どうなってるの?」


光の膜に触れてみると、ふんわりとあたたかい。ずいぶんゆっくりと降りていけば、途中でレヤーが拾ってくれて助かった。彼の背中に着地すると、パチンと膜が破れて消えていった。


「よかった、和さん。無事でしたか?」

「あ、ありがとう……でも、なんで?」

「翡翠さんがずいぶん無茶して力を使ってましたからね。そろそろエネルギー切れになるかと。間に合ってよかったです」


前々から思ってたけど、やっぱりヒスイは継続して力を使えないらしい。すごい力があるけど持続性がないって……某ヒーローみたいだ。