「お母さん.....どうして私の家なの?」
女がいる。
そうわかった今、浮かれることのできない状況に達した私は逃げるように彼から離れ、お母さんに尋ねた。
「そりゃー撮影場所があんたの家の近くだからじゃない。」
そう言われるのは確かにわかっていた。
目と鼻の先にあるNNKは、ともに撮影場所として使われるのだ。
そんなことわかっていた。
「やっぱ住みたくない。」
「...んー?」
キッチンで洗い物をするお母さんから伸びた声が返ってくる。
「住みたくない!あいつとなんか住めない!」
無理無理と、駄々をこねる幼稚園児のように私はお母さんの背中を叩く。
「ぇ?何言ってんのよー龍斗くんがさっき一緒に住みますって連絡入れてきたわよー」
やめなさい。と私に注意をしたお母さん。
なにそれ。
「連絡?は?」
急に一人で私と住むと決めた彼の勝手な行動も、かなりの具合でイラついたが
それよりも、お母さんとの彼との連絡手段が気になった。
「メル友なの。」
んふ。と、もういい年して若い男の人と浮気に走るような顔をしたお母さんに私は、ついていけない。
メル友?
どうして?
また、私だけ知らなかった。
一番近くで山崎龍斗くんを好きだって知っていたお母さんさえ
メル友という仲なのに
私には何も教えてくれなかったんだ。
「向こう気を使ったのよー。
『いねこさんが、恥ずかしがるといけないのでこっそりご報告いたします。』
とか言ってさぁ〜、なんて律儀なのぉ〜」
お母さんは、水が流れ出る蛇口を止め、タオルで手を拭きながら花を飛ばせた。
「.....おかあさん」
もう、我慢できない。
「ん?」
「ちょっと私、彼に話してくるね。」
今度こそ顔を殴ってやる。
誰が恥ずかしがるじゃボケ。
勝手なことして、裏で手を回して私を騙すなんて。
やっぱあいつは仮面男だ!
「明日からお邪魔するらしいからね!」
無理無理、
絶対住むなんて無理!!!
泣いてでも頼んでやる。
ほっぺたをこれまでかと膨らませた私は
彼がいる今へ急いだ。
途中、帰る親戚方に挨拶をした。
そうか、もう、こんな時間か。
時計を見ると夜の10時30分。
里美に電話していないな。
そう思いながら居間へと続く廊下を歩いていると
「は?」
「あ、いねこちゃん。はい。これとこれ、大きい荷物は持つから。さぁ、戻った戻ったー。」
大きなトランクを2つ持つ彼に
私はコートと小さな手提げ鞄を手渡された。
「.....いや、待ってください」
待ってと両手でポーズをとると、この状況を理解しようと試みる。
「大丈夫。大丈夫ー。何も気にしなくていいから。いねこちゃんのアパートまではマネージャーの車で行くし、お母さんとお父さんは、ここで一晩泊まるそうだし、」
「.....は」
ペラペラと喋り続ける彼のセリフは右から左
「だから、何も心配しないで。いねこちゃんのアパートの方々にはマネージャーさんがお菓子渡しているし、いねこちゃんが住んでるとこ2LDKでしょ?余裕余裕。俺、小さいとこでも大丈夫だからさ」
待って。
「ちょっと待ってください!!!!」
話が追いつけないし、
「意味がわかりません!っていうか何勝手なことしてくれてるんですか?というか、お金あるんでしょ?俳優なんだから、」
禁句を述べる私に対して彼がまた口を塞ごうと手を伸ばしたけれど、わたしは避けに避けて反論を繰り返す
「他のアパート借りてください!
わたしは一人でいっぱいいっぱいなんです!!!」
シーンとした廊下に響く私の裏返った声。
目の前の彼が静かに顔を下に向けた。
「.......ごめん。」
そして、ぽつりと呟かれる言葉。
「..........ぇ。」
また、一瞬にしてキャラ変した彼に
追いつけなく落ち着かなくなる。
しゅんと背中を曲げて落ち込む彼に
私が悪いことをしたのかと胸が痛んだ。
「.....無駄ですよ。そうやって演技をしても、お見通しなんですから。」
そう。
これもまた私をだまして
あとから盛大に笑ってバカにするに違いない。
「ごめんね。図々しすぎたなー。あーー。くそ。」
小さくボソボソと呟く彼の言葉が妙に胸に響く。
何?
これも演技?
「......いいから、帰ってください。ホテルとかなんなりあるでしょ。」
私みたいに
家賃もキツキツで、それでも高校に通って大学に進んで、夢を必死で追いかけているのに
こんなやつに邪魔されてたまるもんか
あー。よかった。
イケメンと同居なんて、好条件にも当たらない。
中身はこんなやつと一緒に暮らすことには変わらないんだから。
「......ごめん..ね」
すっと顔を上げた彼の目とバチリと目がが合う。
少し、瞳が潤んでいる
そうかんじた。
「.....私帰ります。」
彼の持っているピンクのトランクを無理やりとると、そのまま玄関に急いで、コートをきて、ひいおばあちゃんの家を逃げるようにして後にした。
ゴロゴロ。
アスファルトですれたトランクが音を立てる。
駅へ向かう途中の道は暗くて、周りは田んぼしかなくて、街灯が私を小さく映し出す。
なんだったんだろう。
もしかしたら夢だったのかもしれない。
従兄弟が山崎龍斗だってことも
あの鼻を酔わす香水も
あの私を見る切なそうな瞳も。
すべて、嘘
なのかもしれない。
「...。」
ほっぺを小さくつねる。
痛い。
痛い。
指にかすかについた雫は
私の心そのものだ。
「....私、どうして泣いてんのよ」
疲れたんだ。
きっと、彼に出会ったから。