怡織が人生で初めて失った命。守り抜きたかった命。それがいとも簡単に消えてしまったという現実。
それを真っ向から受け入れることなどできるはずもなく、秋那がいなくなってから怡織は虚無感に襲われ続け、そして自分の周りで笑顔でいる人間を見ては腹立たしくなるようになっていた。
何でこいつは笑っていられるのに、何で秋那はもう笑えないんだ! 何で秋那はいなくなったんだ! と。
怒りと悲しみの感情が入り乱れ、死とは何なのか、怡織は全く理解できずに日々を過ごしていた。
そんなある日。怡織の下に秋那のお母さんが訪ねてきた。
秋那から怡織宛ての手紙。つまり、遺書を渡しに。
その手紙は秋那の勉強机の引き出しの中に「僕が死んだら読んでください」と書かれた紙と共に置かれていたらしい。家族に宛てたものと、そして怡織に宛てたものと。
お母さんが帰った後、怡織は手紙の封を開けた。
優しい秋那のことだから、想いを綴った何枚もの便箋が入っているのではないかと思ったが、中には便箋など入っておらず、あったのは一枚の写真だけ。その写真は二人が高校に入学した際に学校の正門の前で撮ったものだ。背景には校舎があり、二人が笑顔で中央に立っている。幸せに満ちた、そんな光景。
思い返してみると、こうして二人で撮った写真はこの一枚しかないことに気付く。秋那は筋肉が衰えて痩せていた自分の容姿を嫌い、そんな自分を写す写真も酷く嫌っていたからだ。この写真は怡織が秋那に無理を言って撮ってもらった唯一のもの。
その写真を秋那はずっと大事に持っていたのだ。
「でも、何でこれを俺に・・・・・・」
ふいに写真を裏返す。そこで怡織は言葉を失った。
”君を忘れない。特別な時間をありがとう”
秋那が怡織に最も伝えたかったことが、見覚えのある筆跡でそこに記されていた。
「それは、俺の台詞だってのに・・・・・・」
写真を持ったまま、怡織はその場でしばらく泣き続けた。それが悔し涙だったのか嬉し涙だったのかは、今となってはもう覚えていない。
「やばっ! もうこんな時間!」
感傷にふけていた怡織は、時計の針が指す時間を見て現実に戻った。あと数十分で会社の始業時間となる。まだ朝食さえ食べていないというのに。
しかし悪いのは明らかに自分自身であり、誰かを責めることなどできない。
怡織は走り、ハンガーに掛かっていた服に急いで着替え、作業着をバッグに押し込んだ。こんな時に限って携帯食料もなく、怡織は空腹の腹をさすった。
月日は流れ、高校を卒業した怡織は大学へと進学。その後留年もすることなく無事に卒業し、そして今の勤めている会社へ入社した。そんな新入社員の立場である自分が遅刻をするなど言語道断というものだ。
怡織は玄関へ急ぎ、スニーカーを踵部分を踏みつけながら履いた。
そして外へ続くドアの前で、怡織はノブを掴みながら振り返り、下駄箱の上に飾って置いてある写真立てに目を向ける。その中にあるのは秋那が怡織に送ったあの写真だ。
「……行ってきます」
怡織は写真に向かって笑顔でそう言うとドアを開けた。
天国にいる秋那にこの声が届いているかどうかは分からない。
だが、この日課が毎日を一生懸命生きようという強い意志を作り出す。
だから秋那、今度は俺からお前に伝えるよ。
「君を忘れない。特別な時間をありがとう」
おわり
それを真っ向から受け入れることなどできるはずもなく、秋那がいなくなってから怡織は虚無感に襲われ続け、そして自分の周りで笑顔でいる人間を見ては腹立たしくなるようになっていた。
何でこいつは笑っていられるのに、何で秋那はもう笑えないんだ! 何で秋那はいなくなったんだ! と。
怒りと悲しみの感情が入り乱れ、死とは何なのか、怡織は全く理解できずに日々を過ごしていた。
そんなある日。怡織の下に秋那のお母さんが訪ねてきた。
秋那から怡織宛ての手紙。つまり、遺書を渡しに。
その手紙は秋那の勉強机の引き出しの中に「僕が死んだら読んでください」と書かれた紙と共に置かれていたらしい。家族に宛てたものと、そして怡織に宛てたものと。
お母さんが帰った後、怡織は手紙の封を開けた。
優しい秋那のことだから、想いを綴った何枚もの便箋が入っているのではないかと思ったが、中には便箋など入っておらず、あったのは一枚の写真だけ。その写真は二人が高校に入学した際に学校の正門の前で撮ったものだ。背景には校舎があり、二人が笑顔で中央に立っている。幸せに満ちた、そんな光景。
思い返してみると、こうして二人で撮った写真はこの一枚しかないことに気付く。秋那は筋肉が衰えて痩せていた自分の容姿を嫌い、そんな自分を写す写真も酷く嫌っていたからだ。この写真は怡織が秋那に無理を言って撮ってもらった唯一のもの。
その写真を秋那はずっと大事に持っていたのだ。
「でも、何でこれを俺に・・・・・・」
ふいに写真を裏返す。そこで怡織は言葉を失った。
”君を忘れない。特別な時間をありがとう”
秋那が怡織に最も伝えたかったことが、見覚えのある筆跡でそこに記されていた。
「それは、俺の台詞だってのに・・・・・・」
写真を持ったまま、怡織はその場でしばらく泣き続けた。それが悔し涙だったのか嬉し涙だったのかは、今となってはもう覚えていない。
「やばっ! もうこんな時間!」
感傷にふけていた怡織は、時計の針が指す時間を見て現実に戻った。あと数十分で会社の始業時間となる。まだ朝食さえ食べていないというのに。
しかし悪いのは明らかに自分自身であり、誰かを責めることなどできない。
怡織は走り、ハンガーに掛かっていた服に急いで着替え、作業着をバッグに押し込んだ。こんな時に限って携帯食料もなく、怡織は空腹の腹をさすった。
月日は流れ、高校を卒業した怡織は大学へと進学。その後留年もすることなく無事に卒業し、そして今の勤めている会社へ入社した。そんな新入社員の立場である自分が遅刻をするなど言語道断というものだ。
怡織は玄関へ急ぎ、スニーカーを踵部分を踏みつけながら履いた。
そして外へ続くドアの前で、怡織はノブを掴みながら振り返り、下駄箱の上に飾って置いてある写真立てに目を向ける。その中にあるのは秋那が怡織に送ったあの写真だ。
「……行ってきます」
怡織は写真に向かって笑顔でそう言うとドアを開けた。
天国にいる秋那にこの声が届いているかどうかは分からない。
だが、この日課が毎日を一生懸命生きようという強い意志を作り出す。
だから秋那、今度は俺からお前に伝えるよ。
「君を忘れない。特別な時間をありがとう」
おわり