息子がとなりの車両に乗っていることも気づかず、
章子さんは地下鉄とJRを乗り継いで神戸駅まで来た。

海と山に挟まれた神戸の街は狭い。

人目につくのを章子さんがいやがったので、
夜にこっそり行く海か、
暗い映画館か、誰も知らない自分の部屋くらいしか、一緒にいられる場所はなかった。

だから早く一人前になって、誰の前でもしっかり手をつなげるようになりたいと、
直ちゃんは考えていた。

がんばらなあかんな。
こちらに歩いてくる笑顔を見ると思う。

章子さんは改札から出て来ると、
開口一番、「隆司がいるから、夕方は早めに帰る。」と、すまなさそうに言った。

それならそれでいい。
子どもが一番って、普通の母親やったら当たり前もんな。
おれは何番でも、少しだけ好きでいてくれれば十分。

卒業したのに、こうやって話ができるだけでも、ほんとうにうれしいことなのだ。

「うん。」と言って、並んで歩こうとしたとき、

「オカン。」という声がして、章子さんがびくっとして立ち止まった。

振り返ると、何度か写真で見せてもらった顔がある。
体育会系というだけあって、肩幅が広い、しっかりした体つきだった。

「隆司、あんた、こんなとこで何やっとるん?」と、章子さんが驚いて言った。

「そんなんおれのせりふや。なあ、いくらなんでもそれはないやろ。」

そう言ってから、彼は、直ちゃんのTシャツの襟元をつかんだ。
「お前、あほ学校の生徒か。休みの日まで勉強か?」

「違う。おれは、章子さんと…。」

わかってもらいたくて、一生懸命話そうとしたが、

「章子とか呼ぶな!」と怒鳴られて、
口元に拳骨が飛んできた。

久しぶりやから痛いな。
そう思ったけど、殴られても当然だから抵抗はしなかった。

章子さんが悲しそうに何か言っている。
お願い、そんな顔せんで。
おれは平気やで。

しばらく殴られていると、駅の構内にある交番から、警官が走ってきて、
二人とも交番までつれて行かれた。
章子さんも心配そうについてきた。

なんとか調書をとろうとする警官に、
「久しぶりに会ったので、少しふざけました。」と言い張って、交番を出る。