地震で会社の入っていたビルが倒壊したので、
しばらくの間父は自宅で仕事をすることになった。

先代の社長である祖父から頭金を出してもらった家は、
4人家族には広すぎるくらいだったから、スペースには問題はなかった。

だが、知らない人が頻繁に出入りするのは母にはかなりの負担だったようだ。

とりわけ、美香さんが来たときは、見ている直ちゃんが泣きそうになるくらい、
怖い顔になった。

母が、友達の家のおばさんに頼んでくれて、
昼間はそこで過せるようになったときはほっとした。

そこのおうちは家でお店をやっている。
おばさんたちは忙しそうで、子どもの扱いはぞんざいだったけど、
どんな風でいても怒られないので気が楽だった。

友達の妹が、直ちゃん、直ちゃんとなついてくれるので、
それも救いだった。

その子の名前は美代子ちゃんだったから、
みんなはみーちゃんと呼んでいた。

おばさんがそのみーちゃんに、「大きくなったら直ちゃんのお嫁さんにしてもらい。」と言ったので、
大きくなったみーちゃんがお嫁さんになってくれた姿を想像して、
その夜は久しぶりに楽しい夢を見ることができた。

やがて、その一家は大阪に引っ越してしまい、
直ちゃんの家庭の状況はよりいっそう悪くなった。

父は新しいビルに会社を移し、自宅に帰ることがいっそう少なくなった。
鬼のような顔の母がこわい気持ちは、直ちゃんにはわかるような気がした。

そんな母をなぐさめようとしても、
「そういう誰にでもいい顔をするところは父親譲りね。」と言われると、
近寄らないのが一番安心させることだと思うようになった。

中学校に入ったときは、家の中は実に殺伐としていた。

母はますます兄に執着し、兄はときどき家の中のものを投げたりするようになった。

ときどき考えることがある。

あの地震がなくて、父は朝の食卓に間に合うことができていて、
伊藤さんの家族が引っ越さずにいられたら、
もしかしたらもう少しましなことがあったんじゃないか。

命をなくしたわけでもない自分が、悲劇を主張する権利があるとは思わないが、
何か大切なものを失ったことは確かだった。