震災後、数年その場所で店をやっていたが、
なじみのお客さんがめっきり減ってしまったのが痛手になった。

父は大阪の奈良県境の町の出身で、実家も理容店である。
祖父が趣味程度で続けていたが、そろそろ引退もしたい。
こっちに来てやらんか、という申し出は渡りに船だった。

もうあれだけのことはないだろうとも思うが、
子どもを育てるのに安全な町に移りたいという気持ちもあったかもしれない。

向こうでやるとしたら、店舗を改装するほうがいいのか。
使ってる設備はそのまま使えるのか。

何度か父と母が実家を往復して、この話は本決まりになった。

大阪へ引っ越す。

こうきいて、小学校3年生だったわたしはふてくされて部屋に閉じこもった。

せっかくできた友達と別れるのも、
なじんだ学校を去るのも、
全部いやだった。

直ちゃんと離れてしまうのもいやだ。

直ちゃんはもう6年生になっていたから一緒に遊ぶことなんてなかったけど、
大阪は直ちゃんと圧倒的に遠い。

「近い近い。ほら、となりやん。」と、両親は日本地図を広げて見せたが、
何度も電車に乗り換えなくてはならないことを知っていたわたしには
そんな手は通用しなかった。

兄は来年中学校にあがる。
どうせ新しい学校なんだし、別にええ、とあっさりしたものだ。

まあ、どんなに泣いたりわめいたりわがままを通そうとしても、
大人の決めたことを子どもがくつがえせるはずもない。

兄の卒業を待って、わたしたちは大阪へ引っ越した。