「章子さんの何が悪い?
何も悪いことなんかしてない。ちゃんとしてたやないか。
それでええやろ。
おれはいややからな。ぜったいにいやや!」

「いや、わたしはあの子が最後に助けを求めてきたときに、
ちゃんと助けてあげられんかった。

なあ、わたし、怖かってん。」

そのとき、章子さんの目に涙が盛り上がるのが見えた。
こうやって彼女の涙を見るのも初めてであることに、直ちゃんは気がついた。

何もかも初めてなんやな。
いったい今まで、何をしてたんやろう。

そう考えると、頼りにしていたはずの今までの時間が、
何の意味も持たなかったように感じられてうすら寒い。

「章子さん、何が怖い?なんでそんな風に思う?
おれのこと、信じられへんか?
怖がることなんかなにもないやんか。」

章子さんの涙は丸く目のふちにたまったままで、頬に伝って落ちようとはしない。

こういうの、理科の時間に習ったな、と場違いなことを考えた。

章子さんが顔を上げた。
じっとこっちを見たけど、答えはくれなかった。

テレビの横においてあるティッシュに手を伸ばして、たまったままの涙を拭くと、

「あ、よう考えたらすっぴんやった。
恥ずかしい。」と言った。

そのまま顔を伏せてしまったので、
直ちゃんは、章子さんの両手をつかんで体を起こさせ、覗き込むようにして顔を見た。

「やめて。」

目尻にうすいしわがあって、目の下にはくまもある。

それでも、普段からあまり化粧の濃くない顔は、それをしていなくてもそれほど違和感はなかった。

「何言うてるん。もともとそんな化粧上手でもないやん。
もう十分見たからあきらめ。」

かわいいで、と言って、目元に唇をつけようとした直ちゃんを、
章子さんは力いっぱいで押し返した。