柚月としては切実な悩みだが、同じ掃除当番の生徒たちは見なかったふりをした。
触らぬ神に祟りなし。
それが現代日本社会共通のルールである。
(最近のイライラがなくなっちゃってる……たった、あれだけのことで)
周囲に一線を引かれていることを気付かない柚月。
そこで、ある可能性が頭をよぎった。
(それとも、まさか、私……)
「蒼衣さん!」
嫌な予感が湧いて出てきた時、名前を呼ばれてハッとなる。
反射的に、東雲のことは頭から追い出した。
声のした方を見れば、長谷川が教室の扉前で手招きをしている。
「蒼衣さん。ちょっと」
「なによ、今度は。ちゃんと掃除してんじゃな……」
ホウキを持ったまま、近寄ったところで言葉が途切れる。
目の前には、長身の男が立っていたからだ。
「お互い、こうして会話するのは初めてだな。蒼衣 柚月」
声のトーンは、東雲よりも抑揚がなくてずっと低い。
黒髪黒目。
涼しげな切れ長の瞳と、微動だにしない整った顔立ちは、抜き身の刀を思わせた。
ノンフレームの眼鏡からは鋭い光を放つ。