水城島を襲った津波は何だったのか。


 それが最大の疑問だった。


 清春が言っていた通り、島ひとつ消えるくらいの津波ならば、他地域に被害が記録されていないのも謎だ。


 その時期の地震や津波の記録は、太平洋側の各地域の古文書などにも記載されていない。


 なぜ水城島だけ……?


 私があるヒントを得たのは、ある夏、またしてもこの町に滞在していた時のことだった。


 朝方に地震があった。


 震度二程度なので、被害はほとんどない。


 加えてこの地域では地震が頻発しているので、人々もさほど気にしている様子もない。


 地震の直後、もうテレビでは「地震速報」が流れた。


 清廉の時代にも、こうやって速報があったならと、ふと考えた。


 清廉のみならず、島の人たちももっと助かっていただろう。