自分の名前が嫌いだった。てらいすぎていて寒いし、それにしたって他にやりようがあったって、何度考えても思えてしまうから。これで苗字は元は今野だったのだからどんな偶然かという話だ。母が再婚したのは数年前、家庭を顧みない彼女が私の世話役にと見つけてきた男が多倉智だった。メイジーの瞳、と呟いた私に二人共が首を傾げたけれど、その後私と一緒に映画を見てくれたのは父だけだ。だから私は父も嫌いだった。狙いすぎたものはぜんぶ嫌いだ。この名前も、映画に沿った展開も、わかりやすく同情されてしまういまの境遇、難しい連れ子に悩む父親を持つ娘、入学式で出会った男子と同じクラスになること、一人同じ中学の友達も一緒で、そんな、誂えたような環境。私は多倉千代が嫌いだった。多倉智が嫌いだった。信濃孝太が嫌いになった。佐原万里が嫌いになった。多倉麻環? 言うまでもなく、死ねばいい。