「人が多いから、気をつけないとね」
ちょっと照れたように顎を引いて笑うその男子は私の知らない人だった。ありがとう、という声が自然少し低くなる。律儀にうんと頷いてから手を解いた彼は、そのまま人差し指を立てて自分に向けた。

「おれ、信濃。信濃孝太。品物の方じゃなくて、信濃川だから、よろしく」

時々どもるけれど、変声期前のよく響く声だったから喧騒の中でも聞き取ることは容易だった。信濃くん、と私が口の中で転がすと、初めて私の目を見て笑った。

「多倉麻環、です。多いに、倉、麻縄と、環境の環。よろしく」

たくらまかさん、無意味に胸元の校章を
いじりながら信濃くんは言った。次の言葉を当たり前のように私は知っていたから、私たちの声は重なる。

「砂漠みたいだね」