桜の花弁が一つ木から離れ、私のすぐ横を通り過ぎていった。


日の光を浴びて桃と言うよりはいっそ白く溶けてなくなってしまいそうな色。


運命みたいに私を見送ったひとひら。


彼女と入れ替わりに私は敷居をまたぎ、空を仰ぎ見る。


春らしい綿雲が西の空に少し見えた。


秋のバケツをひっくり返したような遠くの見えない濃い水色も好きだけれど、このどことなくふわふわとした、曖昧な空の色、そして引き延ばしたように薄い雲もまた好きだ。


まだ未完成なそれは水滴の浮いた若草を思わせる。


霞の中でふるえるそれはまだ自分の花のかたちも知らずにただ漠然とした希望の中で輝いているだろう。


そんな春の日。


多倉麻環十六歳。


おおくら、ではなく、たくら。まかん、ではなく、まか。


きっと今日も読み間違えられるであろう名前。


でもその方がきっと早く覚えてもらえるだろう。


まだ芽吹いたばかりの私を春の風が優しく撫でた。


それはきっとあの玄関から吹いてきたのではないか。


私と同じ茶色のブレザーがひしめき合っている。


女子はチョコレートみたいに深い茶色、男子はほぼベージュ色。


時々白く光るのは胸に輝く真新しい校章に違いない。


赤煉瓦の道を歩く足が一歩、二歩、しだいに早くなり最後はとうとう駆けだしていく。


慣れない制服は布が擦れてくすぐったく、それでもじっとしていることなんてとてもできそうになかった。