「茉莉花、ありがとう」
放課後の教室で譲二は微笑んで伝えた
「茉莉花の言ってた通り、世界は優しいってことを知ったよ」
『きっと、私もあなたも恵まれてるのよ。まだまだ辛いことはいっぱいあると思うけど、今があるからきっと頑張れる』
「うん。そうだね」
譲二ー!帰ろうぜー!とクラスの男子が叫ぶ
「僕、両親に話すよ。今までのこと、これからのこと、そして今日あったこと。」
『うん、頑張ってね』
うん!と人懐こい笑顔で返事をすると、譲二は男子の輪に入って教室を出ていった
「"付いてきてください"かー。アイツもなかなかやるなー」
帰り道、ハルトは楽しそうに頭の後ろに手を組んで笑っていた
『あんなに譲二に敵対心燃やしてたのに』
「あ、あれはアイツが茉莉花にベタベタとっ…!』
ニヤリと目を細めて自分を見てくる茉莉花に顔を赤くしながらそっぽを向いた
『あ、茜さん!』
そこにはパスタの散歩をしていた茜がいた
「おかえり、茉莉花ちゃん」
パスタが嬉しそうに茉莉花に飛びつき、茉莉花もただいまーと抱きしめる
「もうすぐだね…」
『…はい。そうですね…』
ハルトは二人の意味深な会話にはてなマークを浮かべたがその時は何も聞かなかった
家に着くと茉莉花は引き出しを開けて中の物を出していた
「さっきの"もうすぐ"ってなんのことだ?」
引き出しを漁っている茉莉花の手が止まる
『…もうすぐ、父の一周忌なの』
あ、とハルトはそれ以上何も言えずにいた
『思い出すと、寂しさで押しつぶされそうだから父の写真は見ないようにしてたんだけど…』
そう言って引き出しの奥から写真立てを出した
『今は百合や譲二やクラスのみんながいるし、寂しくない』
あと…と言って黙る茉莉花の後ろ姿を見ると髪をかけている耳が少し赤いことに気付く
『は、ハルトがいるから…寂しくないよ』
ゆっくり振り返っていう茉莉花の目は恥ずかしさのあまり少し潤んでいてハルトは心臓あたりがドクンと響いた
『わ、私ご飯作ってくる!!』
茉莉花は頬を真っ赤にさせながらキッチンへと向かった
残されたハルトも耳まで赤くなり後頭部をグシャグシャと乱す
「茉莉花のやつ…反則だろ、あれ」
口元を押さえ手の甲で頬の熱を下げると、先程まで茉莉花の背で見えなかった写真をみた
「っっ!!!」
茉莉花と茉莉花の父が並んでいる写真を見た瞬間、ハルトは激しい頭痛に襲われた
頭の中に莫大な量のシーンが入ってくる
これは…
「っ林…、先生っ…」
「譲二ー!サッカーするぞ!お前も来いよ!」
「ちょっと待って!茉莉花、また後でね」
『いってらっしゃい』
「怪我しないようにねー」
クラスの男子と仲よさそうに教室を出て行く譲二を見ながら、茉莉花と百合は笑って見送った
「この前までの一匹狼が嘘みたいだね」
ふふふっと二人で笑い合う
あの一件をきっかけに譲二は両親へ気持ちを打ち明けたそうだ
二人は最初かなり驚いていたものの、譲二の気持ちを理解し一緒に頑張ろうと言ってくれたと嬉しそうに報告してくれた
今までのわだかまりが吹っ切れたようで譲二は明るくなり、誰とでも分け隔てなく接することで今はクラスメイトから引っ張りだこだ
「やっぱり茉莉花ちゃんはすごいなー」
『え?』
百合は頬杖をつきながら茉莉花を見る
「茉莉花ちゃんのお陰で、私も譲二君も世界が広がったんだもん」
感謝してもしきれないよーと、ニコニコ言う百合
彼女はいつも素直で思ったことをすぐ相手に伝えてくれる
『私も、百合や譲二に救われてるよ。だからお互い様』
二人でえへへーと笑いながらほのぼのしていると視線の先にハルトがいた
『………』
最近のハルトは会話に入ってこず、外を見ていることが多くなった
そんな些細なことが茉莉花の不安を煽ることとなる
だが、茉莉花は何も言わずそんなハルトを見ているしかなかった
『今日ね、百合がまたコスプレ衣装を作ったって見せてくれたんだー。細やかな所までこだわってて、やっぱり凄いなーって…』
キッチンで料理をしながらハルトに話しかけたがハルトからの返答は無く、手を止めて見てみるとまたハルトはベランダから空を見ていた
『ハルト…?』
「ん?ああ…ごめん、ボーっとしてたわ」
いつものように笑っているが、少しぎこちなく感じた
『…ハルト、何かあったの…?』
「え…?あ、いっ…てっ…!」
『ハルト!!!』
急に頭を抱え悲痛な声を上げるハルトに全てを放棄してキッチンから走って側に寄った
『ハルト!どこか痛いの!?どうしようっ…どうしたら…っ』
普通であれば救急車を呼んだり、病院に行ったりと選択肢があるが彼は実体のない存在で何も出来ない歯がゆさで目を潤ませた
「っ大丈夫、大丈夫だから…」
茉莉花を安心させようと無理に笑うハルトに胸が締め付けられる
『私…そんなに頼りない?私だって…ハルトを支えたいよ…』
視界が歪んでハルトが見えない
「マジで、大丈夫だから…。茉莉花は、俺の側で笑ってくれてたらそれでいいから」
な?と優しく促す彼に何も言うことが出来なかった
それから何事も無かったように振る舞うハルトに茉莉花もそれ以上追求できなかった
その夜、寝静まった茉莉花の横にハルトは腰を下ろした
茉莉花の目にはうっすらと涙が流れている
「茉莉花…」
頭を撫でようとした右手が一瞬透けてしまった
「!…っ頼む…もう少し…もう少しだけ時間をくれっ…」
頼むからっ…とハルトは自分の右腕を左手で掴みながら懇願した
ハルトの声は虚しくも夜の静けさに溶けていく
「もうすぐ夏休みだねー。茉莉花ちゃんは何か予定とかあるの?」
百合の言葉にぼんやりしていた茉莉花はハッとする
『特には…。いつも長期休暇はバイトか家にいることが多いかな』
えー!もったいない!と驚く百合に笑いかける
夏休みに入ったら父の一周忌だ
今年の夏はきっといつもより寂しく思う日が多くなるだろう、と視線を下げた
「じゃあさ、一緒にプール行こうよ!」
『え?』
前を見ると百合がニコニコして頬杖をついている
「だって、高校最後の夏休みだよ?楽しまないと損じゃない!」
「いいね」
その声を聞いて登校してきた譲二も茉莉花の隣の席に腰を下ろす
「僕も行きたいな」
『譲二、仕事は?』
「僕、卒業したら本格的にモデルの仕事始めようと思うんだ。だから今年、学生最後の夏休みは仕事をセーブして楽しもうかなって」
譲二の言葉にクラスメイトが茉莉花達の側に集まりだす
「おいー!譲二、林さんばっかじゃなくて俺たちとも遊べよな!」
「プールいいなー!私も行きたい!」
「私も!」
「じゃあみんなで楽しい思い出作ろう!」
私、しおり作るー!とみんな口々に盛り上がり茉莉花は呆然としていた
ーーそうか、もう一人じゃないんだ
今まで夏休みを楽しみにしたことなんてなかった
だけど、今は違う
百合や譲二、クラスのみんなが側で笑ってる
そんな些細なことが茉莉花の寂しかった気持ちを跳ね除けてくれた
外を眺めていたハルトが遠くでこちらを見て笑ってるのを見て、いつもなら嬉しいはずなのに先日の一件でうまく笑えなかった
朝の光が射すハルトになんだかそのまま消えてしまいそうで
ーーハルト、何を隠してるの?
ーー私じゃ、ハルトの支えになれないのかな?
きっとハルトにそう言ってもはぐらかされて困らせてしまうだけだとわかっていたので何も聞かなかった
きっとハルトは話してくれる
いつかきっと、彼の言葉で。
今はそう信じて過ごすことしか出来なかった
そんな茉莉花の気持ちを他所に、ハルトは日に日に強くなる頭痛に悩まされていた
気付かれないように、茉莉花には心配させないように、前よりも少し離れて見守ることしかできなかった
「みんなー、もうすぐ夏休みだからって浮れてばっかじゃなくて真剣に進路の事考えるんだぞー」
教室のドアが開くと担任が入ってきた
「夏休み明けたら本格的に自分の将来考えて、先生に話すこと!就職を希望してる者は求人情報確認!今年の夏はあっという間だぞー」
先生の声にええええ、落胆する生徒達
茉莉花は未だ将来が決まっていなかった
夏休みが終わるとみんなそれぞれの道に進む
みんなといる楽しい時間もきっとすぐに過ぎてしまうんだろう
ーーずっとこのままだったらいいのに
今までそんな事考えたことなかったが、今切に思っている
「茉莉花は?」
『え?』
ふいに譲二が尋ねてきた
「進路。決まってる?」
『就職…かな』
「茉莉花ちゃん就職希望なんだー!意外!」
特にやりたい事も見つからないまま、「とりあえず大学に」という選択肢は茉莉花の現状ではそこまでの余裕がなかった
「だったら茉莉花には僕のマネージャーしてほしいなー。そしたらずっと茉莉花と一緒にいれるし」
「また譲二君はそういう勝手なこと言ってー!」
二人のやりとりに笑っていた
いつもならハルトがヤキモキして譲二に食ってかかっているのに、未だに彼は窓の外を見ているだけだった
茉莉花も雲一つない空を見上げた
「………」
「………」
そんな茉莉花をみて譲二も百合も心配そうにしていたが、何も言わなかった
二人はいつの日か約束していた
自分達は茉莉花に救われて茉莉花のおかげで世界が広がった
もし、茉莉花が悩んだり苦しんだりしていたら全力で支えになると
「茉莉花ちゃん最近元気ないよね…。何かあったのかな」
廊下で百合と譲二は近頃無理に笑う茉莉花を思い出していた
「茉莉花はきっと、どうしたの?って聞いても答えてくれないよ」
「………」
寂しそうにする百合に譲二は空いている左手で頭を撫でる
「茉莉花が困るから無理矢理聞き出さない。でも茉莉花がほんとに困った時はすぐに手を伸ばして助けになること」
「!」
「今はそれしか出来ないよ。悔しいけど」
眉を下げて笑う譲二に百合は頷いた
「…譲二君」
「?」
「あなた、コスプレとか興味ない?」
「は?」
「だって今の、深夜アニメでやってる主人公が恋する先輩に似てたんだもん!彼ね、実は宇宙から来た戦士で地球滅亡を密かに企んだ組織が地球に身を隠して暮らしててそれでっ…」
「…君と真剣な話が出来るのはもって5分だね」
譲二は頭を抱えてため息を吐いた
「さー、明日からみんなお待ちかねの夏休みだぞー」
「「イェーイ!!」」
「「やったー!!」」
放課後のHRの担任の一言でみんなが盛り上がりをみせる
「宿題もいっぱい出てるからなー」
「「ええええー!」」
「「ブーーっ!」」
生徒たちはそれぞれ夏休みの計画や提出物に様々な顔色をしていた
「茉莉花ちゃん!みんなでプールに行く日が決まったからこれ渡しておくね!」
百合に手渡されたのはクラスメイトが作った手書きのしおりだった
『すごい、本格的だね…』
パラパラと中身を見ると集合時間やお昼ご飯、帰宅時間まで可愛い絵で書かれていた
「楽しみだね!今年はいっぱい遊ぼうね!」
「遊ぶのもいいけど、しっかり勉強するんだぞー」
百合の言葉を聞いた担任がそう言うと、はーい!と元気に返事をした
茉莉花は家に帰って父の一周忌の準備をする
その後ろ姿を見てハルトは切なそうな顔をしていた
「明日、なんだな」
『うん、去年の夏休みに入ってすぐ父が倒れちゃったから…』
少し見えた茉莉花の横顔は寂しそうだった
『明日、父の前でたくさん報告することがあるの。友達が出来たことや、毎日が楽しいこととか…』
きっと、心配してると思うしねと茉莉花は無理に笑う
『ハルトは…』
「?」
『どこにも…いかないでね…』
茉莉花の言葉にハルトは困ったように笑うとああ…、と短い返事をしベランダに向かってしまった
『ハルト…』
ーー本当だよ。ハルトさえいてくれれば、私は…
茉莉花はそんなハルトを見て何も言えずそのまま準備にとりかかっていた
朝、パスタを茜に預けて花屋により父の墓前に添える花を選んでいた
『あ、これ…』
茉莉花の目に止まったのは体育祭で百合が作ってくれたリストブーケの花だった
「グラジオラス、綺麗ですよね」
そこに店員が声をかける
『あ、はい。でも、墓前に添えようと思っていて…』
「グラジオラスもお供えするお花として適していますよ。花言葉に"思い出"と入っているので、選ばれる方もいらっしゃいます」
そう言われて茉莉花は色とりどりのグラジオラスの花を選んだ
「ゆりりんが選んでくれた花がこんなとこでも活躍するなんてなー」
ハルトが花束を見て言う
偶然、いや必然としてあるならこれを摘まないことはないと心が動き持っていた花束をそっと胸に寄せる
ーーお父さん、私に起きることは全て何か意味があることなのかな?
父の墓に向かうまでの間、茉莉花は透き通る空を見てそんな風に思った
電車を乗り継ぎ目的地へと向かう
その間、茉莉花もハルトも特に言葉を発することはなかった
茉莉花の横顔は少し緊張した面持ちだった
目的の駅に降りるとすこし歩き、霊園に辿り着いた
茉莉花はバケツに水を汲み、林草太・林陽子と連名で記されている墓前まで行くと持っていた花を手向けた
『ずっと…来れなくてごめんね。なかなか勇気が出なくて…』
話から推測すると、茉莉花は父が亡くなってからここに来ることが出来なかったらしい
17歳という年齢の彼女には突然の父の死は受け入れがたいものだった
茉莉花は父の墓の前にしゃがみ込む
『私ね、お父さんがいなくなってなにもかも嫌になって何で生きてるんだろうってずっと思ってた』
ハルトは後ろから茉莉花の話を聞いている
『帰って来ても誰もいなくて、ずっとひとりぼっちで。いつも部屋の隅で泣いてたんだよ』
茉莉花は思い出して涙を流す
『でもね、ハルトが現れて私の世界は変わった。誰かといることの温かさを知った。生きる希望を与えてくれた』
茉莉花は溢れる涙を手の甲で抑える
『友達もいっぱいできて…っ、クラスに馴染めるようになったっ…。みんなが優しくしてくれて、"明日"が楽しみになったの…っ』
少し嗚咽をもらしながら父に伝える
『だからねっ、だから…っもう大丈夫だよ!お父さんとお母さんに会えないのは寂しいけど、私、精一杯頑張るから!だから、安心してね!』
その時、サッと優しい風が吹いた
まるで両親が返事をしてくれたかのように。
ハルトは茉莉花の隣にしゃがみ、墓前に手を合わせた
そんなハルトを見て茉莉花は膝におでこを置き、ひとしきり涙を流した
供えたグラジオラスの花がふんわりと花びらを揺らしていた
『ここ、綺麗でしょ?父と、母の御墓参りに来た後はいつもここに来てたの』
そこは霊園から少し離れた高台だった
街並みが一望でき、夕方のこの時間は夕日が綺麗に見える
最近元気のないハルトに少しでも元気になってほしかった
「すげー!絶景だな!」
久しぶりにハルトの満面の笑みを見てホッと胸を撫で下ろす
『この街は父と母が出会った所なんだって。だから母のお墓をここにしたって言ってた。二人もきっと、ここで同じ夕日を見てたんだと思う』
懐かしいような、寂しいような。けれどしっかりと二人ともこの街並みを見ている
「…茉莉花」
『なに?』
ハルトは強い眼差しで茉莉花の瞳を射抜く
茉莉花の心臓は大きくドクンっと波打った
「茉莉花に、話さないといけないことがある」
茉莉花はハルトから目が離せなかった
響く鼓動の音がまるで近くで鳴っているようだ
ハルトはゆっくりと茉莉花に向き直る
「…俺の名前は天野晴人(あまの はると)」
『!ハルト…もしかしてっ…』
「うん。全部思い出した」
茉莉花は嬉しいはずなのに何故か胸騒ぎだけが残る
「俺も、この街で育った。そして、林先生…茉莉花のお父さんは俺の担任だった」
『お父さんがっ…?』
ハルトはゆっくり頷くとそれまでのことを思い出して話し始める
「俺は、事業に失敗してアルコール中毒になった父親とそれに耐えながらも俺を育てた母親と三人で暮らしていた」
『…っ』
父親は荒れ、母親に暴力を振るようになり、母親を守りたくて止めに入った俺も父親からの暴力を受けていた
そんな父を見兼ねてか俺が小3の頃、母親は自分の荷物だけを持って突然姿を消した
信頼して、唯一の救いだった母親が自分だけ逃げて俺を置いて行った
俺は小さいながらに母親を憎んだ、と同時にすごく寂しかった
家はグチャグチャで学校にも通えなくなり、どこかに飲みに行ったっきり帰って来ない父親から満足な食事を与えられることもなく気を失いそうになっているところを、児童相談所の人に発見された
それから身寄りのなかった俺は施設で育つ事になった
施設にいる子供達は俺と同様いろんな境遇でそこにいた
だけど他人と打ち解けることもしないまま、俺は毎日を与えられた小さな部屋で一人過ごしていた
「小学校でも中学校でも友達は作らずに孤立してそのまま高校に入学した」
高校卒業と同時に施設は出ないと行けなかったからとにかく勉強だけして安定した仕事につければ何でもいいと思ってた
そして高校2年になった時、林先生が担任になった
「天野!おはよう!」
「…おはようございます」
先生はいつも一人でいる俺を気にかけていたみたいだが、正直放っておいてほしかった
誰とも関わりたくない。
結局みんな自分のことしか考えていないのだから
「天野!ちょっとこっちに来い!」
「………」
「ほらほら!」
「……なんですか」
下校中、中庭を通ると草太に声をかけられ一度は何も言わず立ち去ろうとしたが再び呼ばれてしまったため晴人は心底ダルそうに草太の元に寄る
「そこ!雑草生えてるだろ?それ抜いてくれ!」
「………なんで僕が、」
「天野は帰宅部だろ?ちょっとくらい先生を手伝いなさい」
言い返そうとしたが、相手は担任
自分の内申を操作されてはいけないと思い、力なく座り込み雑草を抜く
「天野は学校楽しいか?」
「…別に」
「何かあるだろー?友達とか勉強とか恋愛とか」
「僕、勉強以外どうでもいいんで」
晴人はある程度雑草を抜くとサッと立ち上がった
「もういいですか?僕、先生が思ってるほど暇じゃないので」
では、とその場を立ち去った
「…んー、かわいくない」
立ち去る晴人の後ろ姿を見ながら目を細めて笑い呟いた
次の日もその次の日も草太は飽きずに晴人に声をかけ続ける
晴人が無反応で帰ろうとすると正門を出るまで声をかけ続けるので、いっそのこと無視をするより数分その場に留まりさっさと帰るのが得策だと晴人は学んだ
「晴人!いいとこに来た!今日は苗を植えるぞ!」
「………」
いつの間にか名前で呼ばれていることに嫌悪感を抱きつつ、今日こそは帰ろうと何も言わず通り過ぎた
「晴人、担任の言うことが聞けないのか?内申に響くぞ?」
「………」
たかだか雑用を放棄したからといってさほど成績には響かないと分かっているが、相手は担任。
また適当に時間を稼いでさっさと帰ってしまおうと、何も言わず草太の元に引き返す
「これはバーベナって言ってな、夏には綺麗に咲くらしいぞ」
「…そうですか」
晴人は興味無さそうに苗を植える
「クラスはどうだ?楽しいか?」
「別に」
晴人は素っ気ない態度で返事をする
「お前なー、"別に"の一言で考えることを放棄するな」
晴人は返事もせず苗を一つ植えた
「…じゃあ、一つ植えたので帰ります」
パンパンと手を払うと地面に置いていた鞄を持ち上げて門に向かう
「お前、この世の中で自分が一番可哀想な奴だって思ってるだろ」
草太の一言に足を止める
「周りの奴は人に頼って甘ったればっかで、たいした苦労もしないで。結局自分のことしかみんな考えてない、この世の中はクズばっかだって」
「………」
「そうやってかっこつけて、自分だけで生きていこうとしてるだろ。言っとくけどな、そうやって被害者ぶってる奴が一番かっこ悪ぃんだよ」
「うるさい!!!」
晴人は草太の言葉に大声を出して振り向いた
「お前に何が分かるんだよ!誰かに捨てられたり、居場所がない奴の気持ちが分かんのか!!頼る奴がいなかったら自分だけ信じていくしかねぇだろうが!!分かったような口聞くんじゃねぇよ!!」
呼吸を整えると自分のやったことにハッと気付き嫌な汗が背中を伝ったのがわかった
感情が湧き出たからと言って相手は教師だと認識し、今までやってきた自分の努力が無駄になるのではないかと焦った
「ふっ…」
「?」
「ははははははははっ!」
急に笑い出す草太に晴人は体を跳ねさせた
「はははっ、晴人ー、やっとだな!」
「?」
「やっと、本音で話してくれたな」
「!」
草太の言葉に耳が熱くなる
「"何が分かるんだよ"かー。それがなー、晴人。俺には痛いほどお前の気持ちが分かるんだよ」
草太は目を細めて微笑み晴人を見る
「俺もお前と一緒。親に捨てられて施設で育った人間だ」
「!」
草太はそう言うと残り一つのバーベナを植え始めた
「親の顔は知らない。どうにも予定外の子だったのか、生まれてすぐ施設の前に捨てられていたらしい」
「………」
晴人は何も言えず眉を寄せる
「俺もなー、天涯孤独で誰も頼れなくて。一人、他の子より大人にならないとって思ってたくさん我慢した。我慢が当たり前になると、周りが馬鹿げて見えて世の中腐ってるって思って生きてた。毎日何にもおもしろくなかったし、人を見ると妬んでばっかだった」
草太は最後の苗を植え終わると手で土を優しく叩いた
「でもな、ある日同じ施設にいた女の子に言われたんだ」
ーーあなたって寂しい人ね
ーー今こうなってしまったあたし達の運命は変えられないの。だけど未来は変えられる。
ーー人が誰しも平等に与えられているのは時間よ
ーーその限られた時間の中でどういう選択をするかで未来は明るくも暗くもなるの
ーーどうせ考えるなら明るい方がいいじゃない!人を妬む時間があるなら、人に羨ましがられる自分になる選択をしなさい!
ーー大丈夫!何かあったらあたしが背中を押してあげるわ!
「その言葉にハッとしたよ。自分は可哀想な奴だ、と卑屈になって蔑んでたのは自分自身だ。他の誰でもない。きっとそんな風に考えていなかったら今の自分はもっと前向きだったんじゃないかって」
晴人は拳を強く握った
「その子がまた可愛くてなー。明るくて優しくて、まぁ後に俺の奥さんになるんだが」
「……惚気ですか」
「惚気だ」
草太が笑うと晴人もクスリと笑った
「晴人、お前には俺と同じ想いをしてほしくない。大丈夫だ、今からでも遅くない。お前は一人じゃない」
草太の言葉にハルトは目を潤ませる
「血の繋がりだけが全てじゃない。どこかで誰かがお前を見てる。お前が心を開けばきっと誰かが支えてくれる。今までよく一人で耐えたな…。これからはお前の抱えてたものを、俺にも背負わせてくれないか?」
今まで耐えていた苦しみがこぼれ落ちるかのようにハルトは涙を流した
生きてきて初めて他人に涙を見せた日だった