『ど、どうしよう。先生に見つかったら…』
譲二は中庭のベンチに座り、うろうろと周りを見渡している茉莉花を見てクスリと笑った
「茉莉花って意外と小心者だよね」
譲二の言葉にハルトもクスリと笑う
そんな二人を見てムッとしたが、落ち着いて譲二の隣に座った
「この間はありがとう。あれからどんな顔して茉莉花と会えばいいかわかんなかったけど、今日声をかけてくれて嬉しかった」
茉莉花はゆっくりと微笑む
『私ね、あれから考えたの。譲二の今までの辛い思いや、苦しかったこと。でもね、全部分かってあげることは出来なかった』
「………」
『だけど、あなたはそれでも前を向いて進もうとしてて…それがすごくかっこいいなって思った』
茉莉花…と譲二が呟く
『100人の人がいたとして、100人全員が自分を理解してもらうっていうのは難しいことだと思うの。人は自分とは違うし、育ってきた環境も違う、それに感情というものがあるから』
ーーだけど…
『その中にたった一人でも自分のことを理解しようとしてくれる人がいたら、それはもうどんなに大勢の人が否定したとしても大きな力になると思う』
譲二は黙って頷いた
『あなたは逃げたんじゃない。誰もいないところから自分で自分を理解しようと守ってあげただけ。それを逃げたって人が言うなら、私は笑って"だったら何?"って言ってやるわ』
「茉莉花…」
『私は譲二の味方よ』
目を見開く譲二に笑いかけると勢いよく茉莉花に抱きついてきた
「あ、こらお前またっ…!!」
「…ありがとう」
ハルトは制ししようとした手を止めた
「ありがとう、茉莉花。ありがとう…」
肩口で涙を流す譲二にしょうがないな、と笑いながら肩を撫でる茉莉花にハルトはため息を漏らしつつも目尻を下げて笑った
そのまま時間は過ぎ、朝礼はサボろうと言い出した譲二だが茉莉花の"ダメ"の一声で二人で体育館に向かった
キィ…と恐る恐る体育館のドアを開け、中に入ると担任が「桜庭!」と大声を出し近付いてきた
茉莉花は怒られる!と思い、肩を竦めたがその思いも虚しく担任は譲二の腕を掴んだ
「林も、お説教は後だ!とにかく桜庭は早く舞台に上がれ!」
何が起きたかわからず譲二はそのまま担任に引っ張られて舞台に上がらされた
「あ、茉莉花ちゃんおはよう!」
『おはよう、これは一体…』
整列している自分のクラスに入り、茉莉花は百合に声をかけた
「それがねー、すごいんだよ!この間、美術の時間に描いた桜庭くんの絵がコンクールで入賞したんだって!」
そう言えばいつかの美術の時間、美術担当の先生が絶賛していたのを思い出し勝手にコンクールに応募したんだなと思った
舞台を見ると譲二が描いた絵が置いてある
「桜庭君、おめでとう」
「あ、はい…」
あまり状況を理解していない譲二は校長から手渡された表彰状を受け取る
「さぁさ!この素晴らしい絵の説明とどういう気持ちで描いたかを皆さんに伝えてくださいな!」
嬉しそうな美術担当の先生は未だ謎に包まれた絵の解説を待ち遠しくしていた
おもむろにマイクが渡され譲二は目線を泳がせている
《あー、えっと…この絵は…。》
たくさんの視線に緊張と困惑で声が震えていた
《混在した色は、その…人の感情や想いを描きました。いろんな色があるのは、そういう意味で…えっと、色素の薄いものは簡単に濃い色に支配されてしまう…。でも、飲み込まれてもまた別の形として新しいものが生まれる》
先生達はほぅ…と感心し、生徒達も譲二の話してる姿に惚れ惚れとしていた
《そうして、人の考えや時代は移り変わって…》
そこまで言うと譲二は黙り込んでしまい辺りが沈黙した
「…桜庭君?」
隣にいた校長が声をかける
《僕は…同性愛者です》
『!』
ザワッ
譲二の一言に生徒達が騒ぎ始めた
「桜庭君?なにを…」
《ここにいる人の中で、僕のことを気持ち悪いと否定的な人や、笑いの種にする方もいるでしょう。でもそれは、異性愛が普通だと思っているからです》
生徒や先生達も黙って譲二を見る
《僕を理解して欲しいとまでは言いません。でも、僕みたいな人間がいることを知って欲しい。誰にだって、悩みや不安もあるだろうし眠れない夜もあると思う》
ハルトも譲二の話を真剣に聞いていた
《けど、どこかに分かってくれる人はいるから。恐れずに一歩踏み出してほしい。その一歩がなかなか踏み出せないというなら…》
譲二は生徒達の中に紛れた茉莉花を見る
《まずは僕がその一人になります。だから、付いてきてください。》
以上です、とマイクを校長に渡し舞台を降りようと階段に向かう
生徒達は呆気にとられ、譲二を見ていることしかできなかった
そこに茉莉花にだけ拍手の音が聞こえる
それはハルトのものだった。
茉莉花も譲二に向かって拍手をするとそれに続いて手を叩く数が増え、体育館が拍手に包まれた
譲二は舞台から眺めた後、涙を堪えながら階段を降りた
自分のクラスに戻ろうとすると、以前昼休みに譲二を茶化していたクラスメイトが立っていた
譲二は一瞬たじろいだが、クラスメイトは勢いよく頭を下げる
「桜庭!ごめん!俺、桜庭の気持ち考えないで傷つけた!」
ごめん、と続いて他の男子も頭を下げる
「………」
譲二は何も言わず右手を差し出した
クラスメイトは勢いよく顔を上げると微笑んでいる譲二に向かって自身の右手を出した
「これから、よろしくね」
その言葉にクラスメイトは固く握手を交わした
「お前、喋るとめっちゃ普通じゃん!」
「ていうか、付いてこいとかカッコよすぎるんだけど!」
「俺も!鳥肌たったわ!」
「はははっ」
譲二達は肩を組み笑い合った
転校して初めてみんなの前で笑顔を見せた譲二にまた拍手が巻き起こった
「茉莉花、ありがとう」
放課後の教室で譲二は微笑んで伝えた
「茉莉花の言ってた通り、世界は優しいってことを知ったよ」
『きっと、私もあなたも恵まれてるのよ。まだまだ辛いことはいっぱいあると思うけど、今があるからきっと頑張れる』
「うん。そうだね」
譲二ー!帰ろうぜー!とクラスの男子が叫ぶ
「僕、両親に話すよ。今までのこと、これからのこと、そして今日あったこと。」
『うん、頑張ってね』
うん!と人懐こい笑顔で返事をすると、譲二は男子の輪に入って教室を出ていった
「"付いてきてください"かー。アイツもなかなかやるなー」
帰り道、ハルトは楽しそうに頭の後ろに手を組んで笑っていた
『あんなに譲二に敵対心燃やしてたのに』
「あ、あれはアイツが茉莉花にベタベタとっ…!』
ニヤリと目を細めて自分を見てくる茉莉花に顔を赤くしながらそっぽを向いた
『あ、茜さん!』
そこにはパスタの散歩をしていた茜がいた
「おかえり、茉莉花ちゃん」
パスタが嬉しそうに茉莉花に飛びつき、茉莉花もただいまーと抱きしめる
「もうすぐだね…」
『…はい。そうですね…』
ハルトは二人の意味深な会話にはてなマークを浮かべたがその時は何も聞かなかった
家に着くと茉莉花は引き出しを開けて中の物を出していた
「さっきの"もうすぐ"ってなんのことだ?」
引き出しを漁っている茉莉花の手が止まる
『…もうすぐ、父の一周忌なの』
あ、とハルトはそれ以上何も言えずにいた
『思い出すと、寂しさで押しつぶされそうだから父の写真は見ないようにしてたんだけど…』
そう言って引き出しの奥から写真立てを出した
『今は百合や譲二やクラスのみんながいるし、寂しくない』
あと…と言って黙る茉莉花の後ろ姿を見ると髪をかけている耳が少し赤いことに気付く
『は、ハルトがいるから…寂しくないよ』
ゆっくり振り返っていう茉莉花の目は恥ずかしさのあまり少し潤んでいてハルトは心臓あたりがドクンと響いた
『わ、私ご飯作ってくる!!』
茉莉花は頬を真っ赤にさせながらキッチンへと向かった
残されたハルトも耳まで赤くなり後頭部をグシャグシャと乱す
「茉莉花のやつ…反則だろ、あれ」
口元を押さえ手の甲で頬の熱を下げると、先程まで茉莉花の背で見えなかった写真をみた
「っっ!!!」
茉莉花と茉莉花の父が並んでいる写真を見た瞬間、ハルトは激しい頭痛に襲われた
頭の中に莫大な量のシーンが入ってくる
これは…
「っ林…、先生っ…」
「譲二ー!サッカーするぞ!お前も来いよ!」
「ちょっと待って!茉莉花、また後でね」
『いってらっしゃい』
「怪我しないようにねー」
クラスの男子と仲よさそうに教室を出て行く譲二を見ながら、茉莉花と百合は笑って見送った
「この前までの一匹狼が嘘みたいだね」
ふふふっと二人で笑い合う
あの一件をきっかけに譲二は両親へ気持ちを打ち明けたそうだ
二人は最初かなり驚いていたものの、譲二の気持ちを理解し一緒に頑張ろうと言ってくれたと嬉しそうに報告してくれた
今までのわだかまりが吹っ切れたようで譲二は明るくなり、誰とでも分け隔てなく接することで今はクラスメイトから引っ張りだこだ
「やっぱり茉莉花ちゃんはすごいなー」
『え?』
百合は頬杖をつきながら茉莉花を見る
「茉莉花ちゃんのお陰で、私も譲二君も世界が広がったんだもん」
感謝してもしきれないよーと、ニコニコ言う百合
彼女はいつも素直で思ったことをすぐ相手に伝えてくれる
『私も、百合や譲二に救われてるよ。だからお互い様』
二人でえへへーと笑いながらほのぼのしていると視線の先にハルトがいた
『………』
最近のハルトは会話に入ってこず、外を見ていることが多くなった
そんな些細なことが茉莉花の不安を煽ることとなる
だが、茉莉花は何も言わずそんなハルトを見ているしかなかった
『今日ね、百合がまたコスプレ衣装を作ったって見せてくれたんだー。細やかな所までこだわってて、やっぱり凄いなーって…』
キッチンで料理をしながらハルトに話しかけたがハルトからの返答は無く、手を止めて見てみるとまたハルトはベランダから空を見ていた
『ハルト…?』
「ん?ああ…ごめん、ボーっとしてたわ」
いつものように笑っているが、少しぎこちなく感じた
『…ハルト、何かあったの…?』
「え…?あ、いっ…てっ…!」
『ハルト!!!』
急に頭を抱え悲痛な声を上げるハルトに全てを放棄してキッチンから走って側に寄った
『ハルト!どこか痛いの!?どうしようっ…どうしたら…っ』
普通であれば救急車を呼んだり、病院に行ったりと選択肢があるが彼は実体のない存在で何も出来ない歯がゆさで目を潤ませた
「っ大丈夫、大丈夫だから…」
茉莉花を安心させようと無理に笑うハルトに胸が締め付けられる
『私…そんなに頼りない?私だって…ハルトを支えたいよ…』
視界が歪んでハルトが見えない
「マジで、大丈夫だから…。茉莉花は、俺の側で笑ってくれてたらそれでいいから」
な?と優しく促す彼に何も言うことが出来なかった
それから何事も無かったように振る舞うハルトに茉莉花もそれ以上追求できなかった
その夜、寝静まった茉莉花の横にハルトは腰を下ろした
茉莉花の目にはうっすらと涙が流れている
「茉莉花…」
頭を撫でようとした右手が一瞬透けてしまった
「!…っ頼む…もう少し…もう少しだけ時間をくれっ…」
頼むからっ…とハルトは自分の右腕を左手で掴みながら懇願した
ハルトの声は虚しくも夜の静けさに溶けていく
「もうすぐ夏休みだねー。茉莉花ちゃんは何か予定とかあるの?」
百合の言葉にぼんやりしていた茉莉花はハッとする
『特には…。いつも長期休暇はバイトか家にいることが多いかな』
えー!もったいない!と驚く百合に笑いかける
夏休みに入ったら父の一周忌だ
今年の夏はきっといつもより寂しく思う日が多くなるだろう、と視線を下げた
「じゃあさ、一緒にプール行こうよ!」
『え?』
前を見ると百合がニコニコして頬杖をついている
「だって、高校最後の夏休みだよ?楽しまないと損じゃない!」
「いいね」
その声を聞いて登校してきた譲二も茉莉花の隣の席に腰を下ろす
「僕も行きたいな」
『譲二、仕事は?』
「僕、卒業したら本格的にモデルの仕事始めようと思うんだ。だから今年、学生最後の夏休みは仕事をセーブして楽しもうかなって」
譲二の言葉にクラスメイトが茉莉花達の側に集まりだす
「おいー!譲二、林さんばっかじゃなくて俺たちとも遊べよな!」
「プールいいなー!私も行きたい!」
「私も!」
「じゃあみんなで楽しい思い出作ろう!」
私、しおり作るー!とみんな口々に盛り上がり茉莉花は呆然としていた
ーーそうか、もう一人じゃないんだ
今まで夏休みを楽しみにしたことなんてなかった
だけど、今は違う
百合や譲二、クラスのみんなが側で笑ってる
そんな些細なことが茉莉花の寂しかった気持ちを跳ね除けてくれた
外を眺めていたハルトが遠くでこちらを見て笑ってるのを見て、いつもなら嬉しいはずなのに先日の一件でうまく笑えなかった
朝の光が射すハルトになんだかそのまま消えてしまいそうで
ーーハルト、何を隠してるの?
ーー私じゃ、ハルトの支えになれないのかな?
きっとハルトにそう言ってもはぐらかされて困らせてしまうだけだとわかっていたので何も聞かなかった
きっとハルトは話してくれる
いつかきっと、彼の言葉で。
今はそう信じて過ごすことしか出来なかった
そんな茉莉花の気持ちを他所に、ハルトは日に日に強くなる頭痛に悩まされていた
気付かれないように、茉莉花には心配させないように、前よりも少し離れて見守ることしかできなかった
「みんなー、もうすぐ夏休みだからって浮れてばっかじゃなくて真剣に進路の事考えるんだぞー」
教室のドアが開くと担任が入ってきた
「夏休み明けたら本格的に自分の将来考えて、先生に話すこと!就職を希望してる者は求人情報確認!今年の夏はあっという間だぞー」
先生の声にええええ、落胆する生徒達
茉莉花は未だ将来が決まっていなかった
夏休みが終わるとみんなそれぞれの道に進む
みんなといる楽しい時間もきっとすぐに過ぎてしまうんだろう
ーーずっとこのままだったらいいのに
今までそんな事考えたことなかったが、今切に思っている
「茉莉花は?」
『え?』
ふいに譲二が尋ねてきた
「進路。決まってる?」
『就職…かな』
「茉莉花ちゃん就職希望なんだー!意外!」
特にやりたい事も見つからないまま、「とりあえず大学に」という選択肢は茉莉花の現状ではそこまでの余裕がなかった
「だったら茉莉花には僕のマネージャーしてほしいなー。そしたらずっと茉莉花と一緒にいれるし」
「また譲二君はそういう勝手なこと言ってー!」
二人のやりとりに笑っていた
いつもならハルトがヤキモキして譲二に食ってかかっているのに、未だに彼は窓の外を見ているだけだった
茉莉花も雲一つない空を見上げた
「………」
「………」
そんな茉莉花をみて譲二も百合も心配そうにしていたが、何も言わなかった
二人はいつの日か約束していた
自分達は茉莉花に救われて茉莉花のおかげで世界が広がった
もし、茉莉花が悩んだり苦しんだりしていたら全力で支えになると
「茉莉花ちゃん最近元気ないよね…。何かあったのかな」
廊下で百合と譲二は近頃無理に笑う茉莉花を思い出していた
「茉莉花はきっと、どうしたの?って聞いても答えてくれないよ」
「………」
寂しそうにする百合に譲二は空いている左手で頭を撫でる
「茉莉花が困るから無理矢理聞き出さない。でも茉莉花がほんとに困った時はすぐに手を伸ばして助けになること」
「!」
「今はそれしか出来ないよ。悔しいけど」
眉を下げて笑う譲二に百合は頷いた
「…譲二君」
「?」
「あなた、コスプレとか興味ない?」
「は?」
「だって今の、深夜アニメでやってる主人公が恋する先輩に似てたんだもん!彼ね、実は宇宙から来た戦士で地球滅亡を密かに企んだ組織が地球に身を隠して暮らしててそれでっ…」
「…君と真剣な話が出来るのはもって5分だね」
譲二は頭を抱えてため息を吐いた
「さー、明日からみんなお待ちかねの夏休みだぞー」
「「イェーイ!!」」
「「やったー!!」」
放課後のHRの担任の一言でみんなが盛り上がりをみせる
「宿題もいっぱい出てるからなー」
「「ええええー!」」
「「ブーーっ!」」
生徒たちはそれぞれ夏休みの計画や提出物に様々な顔色をしていた
「茉莉花ちゃん!みんなでプールに行く日が決まったからこれ渡しておくね!」
百合に手渡されたのはクラスメイトが作った手書きのしおりだった
『すごい、本格的だね…』
パラパラと中身を見ると集合時間やお昼ご飯、帰宅時間まで可愛い絵で書かれていた
「楽しみだね!今年はいっぱい遊ぼうね!」
「遊ぶのもいいけど、しっかり勉強するんだぞー」
百合の言葉を聞いた担任がそう言うと、はーい!と元気に返事をした
茉莉花は家に帰って父の一周忌の準備をする
その後ろ姿を見てハルトは切なそうな顔をしていた
「明日、なんだな」
『うん、去年の夏休みに入ってすぐ父が倒れちゃったから…』
少し見えた茉莉花の横顔は寂しそうだった
『明日、父の前でたくさん報告することがあるの。友達が出来たことや、毎日が楽しいこととか…』
きっと、心配してると思うしねと茉莉花は無理に笑う
『ハルトは…』
「?」
『どこにも…いかないでね…』
茉莉花の言葉にハルトは困ったように笑うとああ…、と短い返事をしベランダに向かってしまった
『ハルト…』
ーー本当だよ。ハルトさえいてくれれば、私は…
茉莉花はそんなハルトを見て何も言えずそのまま準備にとりかかっていた
朝、パスタを茜に預けて花屋により父の墓前に添える花を選んでいた
『あ、これ…』
茉莉花の目に止まったのは体育祭で百合が作ってくれたリストブーケの花だった
「グラジオラス、綺麗ですよね」
そこに店員が声をかける
『あ、はい。でも、墓前に添えようと思っていて…』
「グラジオラスもお供えするお花として適していますよ。花言葉に"思い出"と入っているので、選ばれる方もいらっしゃいます」
そう言われて茉莉花は色とりどりのグラジオラスの花を選んだ
「ゆりりんが選んでくれた花がこんなとこでも活躍するなんてなー」
ハルトが花束を見て言う
偶然、いや必然としてあるならこれを摘まないことはないと心が動き持っていた花束をそっと胸に寄せる
ーーお父さん、私に起きることは全て何か意味があることなのかな?
父の墓に向かうまでの間、茉莉花は透き通る空を見てそんな風に思った
電車を乗り継ぎ目的地へと向かう
その間、茉莉花もハルトも特に言葉を発することはなかった
茉莉花の横顔は少し緊張した面持ちだった
目的の駅に降りるとすこし歩き、霊園に辿り着いた
茉莉花はバケツに水を汲み、林草太・林陽子と連名で記されている墓前まで行くと持っていた花を手向けた
『ずっと…来れなくてごめんね。なかなか勇気が出なくて…』
話から推測すると、茉莉花は父が亡くなってからここに来ることが出来なかったらしい
17歳という年齢の彼女には突然の父の死は受け入れがたいものだった
茉莉花は父の墓の前にしゃがみ込む
『私ね、お父さんがいなくなってなにもかも嫌になって何で生きてるんだろうってずっと思ってた』
ハルトは後ろから茉莉花の話を聞いている
『帰って来ても誰もいなくて、ずっとひとりぼっちで。いつも部屋の隅で泣いてたんだよ』
茉莉花は思い出して涙を流す
『でもね、ハルトが現れて私の世界は変わった。誰かといることの温かさを知った。生きる希望を与えてくれた』
茉莉花は溢れる涙を手の甲で抑える
『友達もいっぱいできて…っ、クラスに馴染めるようになったっ…。みんなが優しくしてくれて、"明日"が楽しみになったの…っ』
少し嗚咽をもらしながら父に伝える
『だからねっ、だから…っもう大丈夫だよ!お父さんとお母さんに会えないのは寂しいけど、私、精一杯頑張るから!だから、安心してね!』
その時、サッと優しい風が吹いた
まるで両親が返事をしてくれたかのように。
ハルトは茉莉花の隣にしゃがみ、墓前に手を合わせた
そんなハルトを見て茉莉花は膝におでこを置き、ひとしきり涙を流した
供えたグラジオラスの花がふんわりと花びらを揺らしていた
『ここ、綺麗でしょ?父と、母の御墓参りに来た後はいつもここに来てたの』
そこは霊園から少し離れた高台だった
街並みが一望でき、夕方のこの時間は夕日が綺麗に見える
最近元気のないハルトに少しでも元気になってほしかった
「すげー!絶景だな!」
久しぶりにハルトの満面の笑みを見てホッと胸を撫で下ろす
『この街は父と母が出会った所なんだって。だから母のお墓をここにしたって言ってた。二人もきっと、ここで同じ夕日を見てたんだと思う』
懐かしいような、寂しいような。けれどしっかりと二人ともこの街並みを見ている
「…茉莉花」
『なに?』
ハルトは強い眼差しで茉莉花の瞳を射抜く
茉莉花の心臓は大きくドクンっと波打った
「茉莉花に、話さないといけないことがある」
茉莉花はハルトから目が離せなかった
響く鼓動の音がまるで近くで鳴っているようだ
ハルトはゆっくりと茉莉花に向き直る
「…俺の名前は天野晴人(あまの はると)」
『!ハルト…もしかしてっ…』
「うん。全部思い出した」
茉莉花は嬉しいはずなのに何故か胸騒ぎだけが残る
「俺も、この街で育った。そして、林先生…茉莉花のお父さんは俺の担任だった」
『お父さんがっ…?』
ハルトはゆっくり頷くとそれまでのことを思い出して話し始める
「俺は、事業に失敗してアルコール中毒になった父親とそれに耐えながらも俺を育てた母親と三人で暮らしていた」
『…っ』
父親は荒れ、母親に暴力を振るようになり、母親を守りたくて止めに入った俺も父親からの暴力を受けていた
そんな父を見兼ねてか俺が小3の頃、母親は自分の荷物だけを持って突然姿を消した
信頼して、唯一の救いだった母親が自分だけ逃げて俺を置いて行った
俺は小さいながらに母親を憎んだ、と同時にすごく寂しかった
家はグチャグチャで学校にも通えなくなり、どこかに飲みに行ったっきり帰って来ない父親から満足な食事を与えられることもなく気を失いそうになっているところを、児童相談所の人に発見された
それから身寄りのなかった俺は施設で育つ事になった
施設にいる子供達は俺と同様いろんな境遇でそこにいた
だけど他人と打ち解けることもしないまま、俺は毎日を与えられた小さな部屋で一人過ごしていた