「茉莉花、あれ…」
教室棟を出て校門に向かう最中、ハルトは渡り廊下を指差した
そこには帰ったはずの百合が鞄を持ったまま、下を見ながらゆっくりと歩いている
まるで何かを探しているように
その様子を見て、きっとアルバムを探しているのだと思い茉莉花は走って百合の元へ向かう
『川瀬さん!』
「あ、林さん!」
百合は茉莉花に気付くと笑顔で小さく手を振った
『あの…今大丈夫?』
「え?え?だ、大丈夫だよ!?今私、蟻の散歩に付き合ってただけだから!」
明らかに動揺しているのがバレバレで尚且つ、言い訳が意味不明で苦しすぎる
『あの…もしかして、これを探してるんじゃないかなって…』
そう言ってぶつかった後に拾ったアルバムを差し出す
「あ!これ!よかったーっ!」
百合は受け取ると涙をためて喜んだが、次の瞬間ハッとして茉莉花にもう一度アルバムを渡す
「えっと、なんのことかしら?私にはサッパリ…」
余程知られたくないのか、見ている方が苦しくなるくらいシラを切っている
『ごめんなさい、中身…見てしまったの』
茉莉花は百合に頭を下げた
「み…見たの?」
『ごめんなさい。誰のものか確認の為に1ページだけ』
すると百合はガッと茉莉花の腕を掴んだ
「お願い!!絶対誰にも言わないで!!」
瞳に涙をいっぱい溜めて百合は懇願した
「お願い!!なんでもするから!」
『ちょ、ちょっと落ち着いて!あたし、誰にも言わないから!』
すると、その言葉を聞いて百合は力なく茉莉花の腕をするりと離した
「そうだよね、林さんはそんなことしないよね」
ごめんなさい、と眉を下げてアルバムを受け取った
「引いたでしょ?あんな格好してるんだって…」
百合は目線を下に落とし、アルバムをギュッと抱いている
『驚いたけど、引いてはないよ』
茉莉花のその言葉に「え?」と百合が顔を上げる
『だって、そのキャラクターが好きなんでしょ?川瀬さん、すごくキラキラした表情だったもの』
アルバムの中の百合は学校で見る遠い存在の人ではなく、身近で同じ女の子なんだと思った
『どんなものでも、好きなことや熱中できることがあるって素晴らしいことだよ。恥じる必要なんてない。むしろ、好きだって思えることに自信を持っていいと思う』
百合はその言葉を聞いて目を潤ませ、コクンと頷いた
『じゃあ…私、バイトがあるから、これで…』
茉莉花はくるりと後ろを向くと校門に向かって歩き出す
「林さん!!」
呼び止められもう一度振り向くと、百合がアルバムを掴み、大きく手を振っていた
「拾ってくれてありがとー!」
大きな声でお礼を言う百合にくすりと笑った
『大切なものなんだから、もう落としちゃ駄目だよ!』
茉莉花も負けずに大きな声でそう言って手を振り、歩き出した
こうしてまた平穏な日々が始まった
いつもの様に茉莉花はパスタと一緒に起き、学校に行き昼休みになると中庭でハルトとご飯を食べる
そんな些細な時間が幸せだと思うようになった
「好きだって思えることに自信を持っていい」そう百合に伝えた時、自分に言い聞かせているようだった
先のことなんてまだわからないが、自分の好きだという気持ちを大切にしようと
そんな風に思いながら今日も中庭でハルトとお昼ご飯を食べている
「で、そこで相手がバーンっと…って、茉莉花聞いてるか?」
『え、あ、うん!聞いてる!』
楽しそうに昨日テレビでやっていた格闘技の話をするハルトをずっと見てしまっていた
「絶対聞いてなかっただろー!」
『き、聞いてたから!だからちょっと離れてよ!』
ベンチに座っている茉莉花にふわふわと近づき、顔を近付けてくるハルトから逃げるように顔を背ける
「なんだなんだ?照れてんのか?」
意地悪にさらに顔を近づけてくる
『ちょっと…っ!』
バッ!とハルトを見るとかなりの至近距離で二人とも固まってしまった
「あ…え、と」
珍しくハルトも顔を赤くしそのままの状態が続く
ドキドキとハルトにまで心臓の音が聞こえそうだった
「林さん!」
そんな二人を現実に戻すように、弾んだソプラノの声が茉莉花を呼ぶ
『あ…川瀬さん』
「えっと…今大丈夫?」
ハルトが見えていない百合からすれば、今の茉莉花は一人何かから逃げるような態勢で固まっていた
『だ、大丈夫!む、虫が!春だから!』
そう言ってベンチに座り直すと、百合が「隣いい?」と聞いて茉莉花の隣に座る
「昨日はありがとう、すごく助かった。拾ってくれたのが林さんでよかった」
百合は昨日のアルバムを出して開いて見せた
「私、普段のお休みは一人で自分で作った衣装を着てこういったことを…。たまに、アニメのイベントとかに参加したりしてるの」
そうだったんだ、と手元のアルバムを見る
「親が教育熱心で小さい頃から習い事をたくさんしていて、その分友達と遊ぶ機会も無くて…。教育上良くないからってアニメや漫画を読むことも禁止されていたの。でもある日…」
中学生の頃、眠れない夜にキッチンで温かい飲み物を作っていた時たまたまつけたテレビで可愛いふわふわキラキラの女の子が勇敢に敵と戦っているのを見て衝撃を受けた
ただ淡々と1日1日を過ごしていた自分に、画面の向こうの彼女はすごく輝いて見えた
普通の女の子として恋をして、特別な力を授かった運命に立ち向かい次々と悪を倒す。そんな姿に胸が震えた夜を今でも覚えてる
そんな風になりたいって思えた自分を知って欲しくて、すぐに誰かに伝えたくて学校で唯一仲のよかった女の子に話すと
「え、百合ってそういう趣味だったの?ちょっと引く」
一言そう言われた。
話はたちまち周りに広がり、私を見る度みんなコソコソと何かを言っていて怖くてそれ以上誰にも話さなかった
でも好きな気持ちは抑えきれなくて…親に内緒でこっそり一人でイベントに参加した時に自分と同じものを好きな人がたくさんいたことを知った
その場所でその人達と一緒に服を作ってキャラクターになりきったり写真を撮ってそれが楽しくて夢のようで…
新しい自分の一面を知ることも出来たし、その度に私の居場所がここにあったんだって思えた
でも現実に戻った時、もう二度とあんな思いはしたくない。本当の自分を知られるのが怖いって思って高校ではせっかく出来た友達とも適度な距離を保つようになったの
「でも、昨日林さんと話して胸の中にあったわだかまりがすっと溶けた気がした」
『え?』
百合はアルバムを持つ茉莉花の両手を握った
「恥じる必要なんてない。好きなことに自信を持っていいって言ってくれた時、自分は自分のままでいいって認めてあげることができた。そしたら、周りの目なんて気にならなくなった!自分をもっと好きになれたの!」
茉莉花の持っているアルバムを見る
「この中の私も、今の私も、川瀬百合なんだって。だから…気付かせてくれてありがとう」
真っ直ぐ、笑顔で言う彼女が輝いてみえた
『自信を持つって、まずは自分を好きになるってことなんだね。うん、川瀬さん今すごく綺麗だよ』
百合は少し頬を赤く染めた
「それでね、お願いがあるの…」
改めて百合は座り直す
「私と、友達になってもらえますか!?」
ぽかーん、と目の前で真っ赤になって俯く百合に口が開いてしまった
『え、私?私でいいの?』
今まで友達と呼べる人なんていなかった
ましてや、友達になって欲しいと頼まれたことなんて以ての外。
自分でいいのだろうかと不安になった
「林さんがいい!林さんと友達になりたいの!」
だめ?と上目遣いで目を潤ませながら言われる。きっとこれは男を虜にする武器だろうが、彼女の計算ではない素直な仕草だとわかっていた
『…こちらこそ、よろしく』
その言葉に百合はわーい!と両手を上に広げた
「じゃあ茉莉花ちゃんって呼んでもいい!?」
『うん…』
少しこそばゆい感覚があったが、それと同時に嬉しさも感じた
「私のことは百合か、ゆりりん♪って呼んでね!」
『…じゃあ百合で』
さすがに最後の滑稽なあだ名は呼ぶのに恥ずかしかったので名前で呼ぶことにした
「茉莉花ちゃん、これからよろしくね!」
『よろしく、百合』
二人はニコニコと笑い、一緒にお昼ご飯を食べた
ハルトも二人の頭上から様子を見ていて、よかったと安心した
見上げると雲ひとつない青空で、ハルトは気持ち良さそうに両腕を力一杯あげ伸びをする
両手の指を指と指の間に絡ませ、後頭部に当て仰向けに倒れると片足を組んで宙を寝そべる
茉莉花と百合、二人の笑い声を聞きながら口角を上げ目を瞑った
「茉莉花ちゃん!おはよ!」
「茉莉花ちゃん!一緒に教室まで行こう!」
「茉莉花ちゃん!お昼食べよう!」
「茉莉花ちゃん!茉莉花ちゃん!」
先日、友達宣言をしてからというもの百合は茉莉花の後をくっついてまわるようになった
「茉莉花ちゃん!あのね!」
『ちょ、ちょっと待って!わかったから!』
周りはそんな百合と茉莉花を遠目で見て、何があったんだと思考を巡らせていた
「私、わかったの!なんでこんなに茉莉花ちゃんのことが気になるのかって!」
お昼休みの中庭、茉莉花とハルトはベンチに座り左手でお弁当を持ち右手で拳をにぎる百合を見た
「私の一番好きなキャラクターがいるんだけど、その子がピンチの時いつも助けてくれる王子様がいるの!」
これ!とスマートフォンの画像を見せられる
画面の中の彼は所謂イケメンというやつで、キラッキラの現実ではなかなかお目にかかることのできない歯の浮いた台詞を言いそうな王子様だった
白い歯を出して笑っている顔がなんとも憎らしい
「彼女が悩んだり、落ち込んだりすると優しく包み込んで励ましてくれたり…彼女が敵に敗れそうになった時に颯爽と現れたり…」
百合はうっとりとした表情で画面の中の王子様を見ている
「私にとって茉莉花ちゃんはまるでこの王子様みたいなの!!」
『…いや、私一応女だけど…』
隣でハルトが声を抑えて笑っているのがわかる
「私の前に颯爽と現れて、ピンチを助けてくれて…私の心のわだかまりを溶かしてくれたのよ…」
『…廊下でぶつかって、落としたアルバム返しただけだけど…』
自分の世界に入り込んでしまっている百合に、もう何を言っても通じないとは分かっていても突っ込まずにはいられない
「茉莉花ちゃんには感謝してるの!もし私に出来ることがあったら何でも言ってね!」
そう笑顔で言う百合に茉莉花もありがとう、と笑顔で返す
友達っていいなぁ…そう素直に思った
「と、言うことで感謝の気持ちとしてその王子様の衣装作ったから茉莉花ちゃん、着てもらっていいかな!?」
『友達でもそれはごめん』
「あの子、ほんっとおもしろいなー!」
ハルトは先程の百合との会話を思い出し、目尻を下げて笑っている
『笑い事じゃないわよ…。危うく王子様の服、着せられるとこだったわ』
短期間で作った割にはなかなかの仕上がりだった服を思い出し、百合の器用さを再確認したがさすがに友達とは言えイベントに行くわけでもなくましてや学校であの服を着る勇気はないので丁重にお断りした
残念がっていたが、いつかは着てもらえる服を作ると妙な挑戦心に火を点けてしまった
「まぁまぁ。毎日飽きなくていいじゃん?」
ズボンのポケットに両手を入れ、ふわふわ浮きながらこちらを楽しそうに見るハルトに、そうだけど…とため息をついて返した
ガラガラっと教室に入り、自分の席につく
百合は一緒にご飯を食べた後、足早に委員会の集まりへ向かった
教室を見るとまだ帰って来ていない様子だった
彼女は体育委員をしている
きっと委員会の議題は、数週間後に控えた体育祭のことだろうと思い自然とまたため息が出てしまう
その時チャイムが鳴り、担任が少し遅れて入って来た
その後ろを束になったプリントを持って入って来る百合がいた
「座れー、LHRの時間だぞー」と言う担任の声にみんな話しながら席につく
「今日のこの時間は再来週に控えた体育祭の参加種目を決めるぞー」
イェーイ!と喜ぶ声やえぇーっと落胆の声が聞こえる
茉莉花はどちらかと言うと沈んだ気持ちになる。何故なら運動は得意ではないからだ
ただ、毎年種目を決める時は立候補形式で同じ種目を選んだ場合はジャンケンだった
茉莉花は綱引きや玉入れなどの団体競技を立候補することが多かったので、今まで個人競技に出ずになんとかその場を凌いで来た
今回もその手法でいこうと心に決めていた
が、それは体育委員の一言でなし崩されることとなる
「委員会で協議した結果、今年は立候補形式では無く、全校生徒あみだくじで参加する競技を決めることになりましたー!なのでみなさん恨みっこなしですよー!」
可愛い笑顔でそう言う百合に男子は、はーい!と返事がいい
女子はほぼ机に項垂れていた
茉莉花も泣きたい気持ちだった
「今年の競技種目はこんな感じでーす!」と大きな紙に種目が書かれ、名前を記入出来るように名目の横に空欄がある
みんな席から立ち、毎年変わる競技種目を見ていた
「では、あみだくじを引く順番を決めるのでみなさん立ってくださーい!私とジャンケンして勝った方からでーす!」
そう言ってみんな立ち上がり片腕をあげて戦闘体制になった
「うわー!俺、騎馬戦じゃん!」
「やった!私玉入れ!」
「ちょ…俺のこの女装リレーってなに…?」
みんなあみだくじでひいた競技に一喜一憂。たまに新しい種目が入っているので困惑する人もいた
「茉莉花は何に出るんだ?」
ハルトは教卓の前で呆然と立つ茉莉花に尋ねたが、放心状態なので黒板に貼り付けてある参加種目の名前を見る
「…クラス対抗リレー?」
茉莉花は走るのが一番苦手だった
ましてや、団体競技で自分が足を引っ張ればクラスの勝敗に響く種目だ
「大丈夫だって!アンカーにさえならなけりゃ後は誰かが繋いでくれるって!」
あまりにも放心状態の茉莉花にハルトは優しくフォローする
「はーい!ではリレー種目に参加の人ー!ジャンケンで走る順番決めるのでこちらにどうぞー!」
茉莉花はどこか一点を見つめながらリレーに参加するクラスメイトの輪に入っていく
「では行きまーす!さーいしょはグー!ジャンケンっ…!」
「茉莉花ちゃん…大丈夫?」
「おい、茉莉花、しっかりしろ」
運命のジャンケン対決
結果は一人負けでアンカーになってしまった
『駄目だ…私本当にみんなの足を引っ張ってしまう…』
「またまたー、そんな事言ってー!茉莉花ちゃんなんでも器用にこなすじゃない!」
『いや…ほんとに…』
今すぐにでも逃げ出したい気持ちでいっぱいだった
「今から少しだけ種目別に練習するから体操服に着替えて運動場に集合!」
そう言って担任は教室を出て行った
『駄目駄目!ほんとに!ねぇ、できる事があれば何でも言ってって言ったよね!?辞退はしないからせめて私を先に走らせて!』
「んー、茉莉花ちゃんごめん。こういう運命だと諦めて☆」
眉を下げてショックを受けている茉莉花を百合は手を引いて更衣室まで連れて行った
「茉莉花、大丈夫か?」
『大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない』
着替え終わった茉莉花は体育委員である百合の元に重い足取りで向かっている
日頃強気な茉莉花がこんなに弱気になるところを初めて見た
「ま、まぁ、授業ではやったことあんだろ?授業だと思って走ってみ?肩の力を抜いて、リラックス!そして深呼吸!」
『……はぁぁぁぁぁぁ〜』
「茉莉花、それは深呼吸じゃなくてため息だ」
肩を落としながら整列する茉莉花を見て、大丈夫かよ…と心配になった
練習と称して種目別に整列し、決められた順番に並ぶ
茉莉花はアンカーなので一番後ろに体育座りをしていた
「練習ですが、まずチームの実力を知ってみなさんでフォロー出来るように考えていきましょう!」
よーい、どん!っと百合は旗を上げた
初めに走ったのはクラスの男の子。運動部らしく走りはとても速い
二番目は女の子で早くはないが、三番目が男の子なのでまだなんとかタイムを縮めることができる
そして四番目、アンカーは茉莉花
「林さん!」
クラスメイトがバトンを手渡し、茉莉花はしっかりと掴んで勢いよく前を向き颯爽と走った
「ん?」
「え?」
「あ?」
クラス全員が茉莉花を見る
「…林さん…走ってる…よな?」
「誰だ?林さんの靴に重り入れたやつ」
「どうしよ…茉莉花ちゃん…」
「茉莉花、すげぇ運動オンチじゃん」
手の振りこそ大きいが、足の速さがそれに全く伴っていない
よく言えば競歩、悪く言えばまるでトイレを我慢してる小学生
クラス全員がゴールするまで茉莉花の走りを見ていた
『はぁっはぁっはぁっ…ど、どうだった!?』
「お前、よくあの走りで汗かけるな」
ハルトは呆れ顔で茉莉花の額に浮かぶ汗を見た
「茉莉花ちゃん…えっと、結構重症みたい」
『だから言ったじゃない!』
茉莉花は目を潤ませながら百合の体操着を掴んだ
「大丈夫だよ、林さん!男子がなんとか引き離してアンカーに負担かけないようにするから!」
「おい、お前も遅いだろ。まぁでも俺とこいつでなんとかするから、任せてよ」
「俺ら頑張るからさ!」
チームメイトがそう茉莉花に声をかける
今まで話したことのない人達が次々と不安を消そうとしてくれる
茉莉花は呆然としながら頷いた
「茉莉花ちゃん、みんな茉莉花ちゃんと仲良くなりたいんだよ」
百合は茉莉花に耳打ちした
チームメイトが自分の為に作戦を考えてくれている
クラスメイトが励ましてくれる
今まで距離を置かれることが多かった茉莉花はどうすればいいかわからなかった
ただ、嬉しいと思う気持ちだけは本物だった
授業が全て終わり、帰宅した後ハルトとパスタの散歩に出ていた
「しっかし、茉莉花の走りは幼稚園児並だなー!」
散歩中、ハルトは白い歯を出しながら意地悪にそう言う
いつもの様に顔を真っ赤にしながら怒るだろうと思っていたら「…うん」としか返事がなかった
「どうした?腹でも痛いか?」
ハルトは茉莉花の前に立った
『今まで、誰かと仲良くなるなんてことなかったし連絡事項以外クラスの子と話すことなんて無かった』
いつの間にかクラス内ではグループができ、茉莉花はいつも輪に入れず教室では一人だった
『でも、みんな今日みたいに話してくれたりフォローしてくれたり…。私のこと考えてくれてた』
「…それは茉莉花が変わったからだろ?」
え?と足元を見ていた目をハルトに向ける
「どんな人でも最初の一歩ってすげぇ怖いじゃん。自分のことどう思ってんのか、とかこんな風に思われたらどうしようとか」
ハルトはまるで階段を上っているかのように空中を歩く
「でもその相手が受け止めてくれそうだったら、その一歩ってわりと簡単に進めるんだよな」
『…どういうこと?』
ハルトはくるっと振り向き茉莉花の前に立って顔を近づけた
「最初会った時、何もかもつまんなさそうですましてたけど今はちゃんと感情が表に出るし新しい友達も出来た。茉莉花が知らないところでそんな茉莉花を見てる奴らがいるんだよ」
真正面でニコッと笑ってそう言うハルトに顔が赤くなる
ハルトはずっと見ていた
授業中の風景、みんなが話していること、目線…毎日たくさんの人の移り変わる感情が手に取るようにわかってくる
「ゆりりんと仲良くなったことで茉莉花の自然な姿を見てみんな茉莉花の見方が変わって…仲良くなりたい話してみたいって思ったんだよ」
よかったじゃん、と自分の事のようにニコニコしている
『そんなの…ハルトが、』
「ん?」
聞こえなかったのか言いかけたことを聞き返されたが、恥ずかしくてそれ以上言えなかった
ハルトがいてくれたから。
ハルトが自分を理解しようとしてくれたから。
だから安心して素直な自分で居られるようになった。
思ったことを言えるようになって、友達が出来た。
ハルトがいつも支えてくれているから。
そう言いたいのに言葉が出ない。
『…ゆ』
「ゆ???」
『ゆりりんって勝手に呼ばないでよね!!!』
「はー!?なんだいきなり…?」
もっと素直になれたら…と思いながらもパスタと一緒に急いでその場から離れた
近頃の教室では体育祭の話題で持ちきりだ
「茉莉花ちゃん、今年はどんな服着たい!?」
『…王子様でなければなんでも』
えええーと肩を落とす百合を見てハルトはコソッと茉莉花に尋ねた
「服ってなんのことだ?」
『毎年体育祭でやってるクラス仮装でしょ?動きやすい服だったら何でもいいと思うけど』
ハルトに聞かれて怪しまれないように百合に伝えるように答えた
「私、お裁縫得意だから毎年作らせてもらってるの!」
『ああ、衣装作るの得意だもんね』
茉莉花ちゃん!しー!と人差し指を口元に持って来て注意された
特に百合の趣味を発言したわけではないのだが…
「今年の仮装の話し?」
「百合ちゃん去年の服もすっごく可愛く作ってくれたもんねー!」
クラスの女子2名が話しかけて来た
「今年も頑張るよー!!」
「じゃあさ!女子達に声掛けて衣装作り手伝おうよ!」
「いいね!林さんもどう?」
『あ、私は…』
クラスで残って何かするなんて予想していなかったため、grazieのバイトを入れてしまっていた
「…そっか、残念」
ああ、まただ
また距離を置かれてしまうかも。
『………』
違う。自分が相手と距離を置いてしまってたんだ
ーー"どんな人でも最初の一歩ってすげぇ怖いじゃん
ーー相手が受け止めてくれそうだったら、その一歩ってわりと簡単に進めるんだよな"
ハルトの言葉が脳裏を掠めた
『バイトの…』
茉莉花の言葉に3人が耳を傾ける
『バイトの前に残れる日があれば…参加してもいいかな?』
3人は顔を見合わせてニコッと笑顔になった
「当たり前じゃーん!」
「じゃあ私、さっそく女子に聞いてみるね!」
「茉莉花ちゃん、一緒に素敵な衣装作ろうね!」
そこにいたみんなが嬉しそうに受け入れてくれた
「だから言っただろ?」
ハルトは得意げな顔をして茉莉花の側に来た
少し顔が赤くなる
新しいことに飛び込むことはこんなにも勇気がいることなのか
クラスがまた体育祭の話題で盛り上がるのを見て茉莉花は微笑んだ